Monday 11 July 2011

帰郷

三日間だけ郷里に帰っている。
どうしても帰りたくなったのだ。
東京は人が多すぎて、吹いているはずの風も感じられない。
家のつくりがそもそも風を通さないようになっている。
東京は人が多すぎて隣の人の暑さまでもを感じなければいけない。
エアコンをつけないとよく眠れない。
そんな感じで最近すさまじいイライラがたまっていた。

一方で、田舎はいい。
家が夏用にできている(それもそれで冬は問題なのだが)ので、とても涼しい。
今のところ一回もエアコンのスイッチを入れていないが、常に山から風が吹いてくるので涼しい。
家全体に開放感がある。

郷里はいつも恋しいものだが、特にこの季節、夏になると帰りたくなる。
強い夏の日差しのなか、山水を飲みながら、道草しながら学校からの長い帰り道を歩いて帰ったものだった。その記憶と感覚がいまだに、身体に染みついている。

夜風が涼しくて、おふろあがりにアイスクリームを食べながら夕涼みをした。
特になにもせずに、畳の上でごろごろしているこの幸せ。
聞こえるのはセミの鳴く声だけである。
ここで育って良かったと本当に思う。
もじどおり「のびのび」と育ったのだなあとしみじみと感じている。
人間はそもそもこういう暮らし方をしてきたのだ。
これが合っているんだと思う。

嗚呼、明日から仕事だ…。
心底、帰りたくないと思う。今からあの雑踏の中に戻るなんて信じられない。

ところで、昔の写真を整理した。
昔といってもたとえば自分の生まれる40年前の写真だ。
祖母も生まれていないときの写真さえ出てきた。
ほこりかぶっているどころか、白いかびだらけのアルバムをひっぱりだしてきて、通気のよいところにおいておいた。
はがれかけている写真は元通りに貼り直した。
劣化を止めるためにも、ハイテクのスキャナでデータにしておいた。

イタリアでルネサンス期の絵画を修復する人たちはこんな気分かな、とか思った。

それにしてもどうして昔の人の写真はこんなにきれいなんだろう。
ものすごく鮮明なのだ。
切れ長の目がはっきり分かるほどに鮮明。50年以上前の写真だというのに。
みんな俳優みたいで、肌がとてもきれいに写っている。
祖父母の結婚式の写真があったが、肌が陶器みたいだった。
プロが撮ったんだろうか。

はっきり言って今現在我々がデジカメで手軽に撮る写真よりもずっと綺麗にとれているのである。
今のデジカメみたいな加工技術はもちろん無い。
そのためかもしれないが、一瞬が劇的なのである。
古いからそう感じるだけであろうか。
1942年の祖父の出兵時の写真なんて、あまりに貴重すぎて触るのに緊張した。

写真ってやっぱりすてきだなと思った。
そして記録を残すことの大切さを見た。

ありがとうとカルボナーラ

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