Saturday 12 November 2011

ジャンクフードの教訓

きょうは暖かかった。
仕事は半日で終ったし、天気もよかったし、たまにはと思ってフリーマーケットに行ってみた。
なかなか良い品を3点手に入れた。
心残りといえばアルファロメオの描かれた古いプレートだろうか。
300円だったが、買わなかった。
家に入れた途端にがらくたと化しそうな気がした。

たまには、ということでバーガーキングのワッパーを食べた。
本当に久しぶりである。
この大きさに慣れると、普通のハンバーガーが小さく感じる。

ジャンクフードについて。
ジャンクフードが大好きなわけではない。新製品が出ると「おおお!行くべし!」と騒ぐ種類の人間でもない。どうでも良いと思っている。ジャンクフード、ファストフードは、機会があれば食べるという程度だ。

本当に美味しいと思えば、何でも食べる。
マクドナルドは、あまり食べたいと思わない。直感的に。ロッテリアは最後に食べたのがいつだったか覚えていない。バーガーキングは美味しい。モスバーガーは、肉じゃないものが挟まっている。むしろ魚肉に感じられる。

それで、何を言おうとしていたかというと、「私はジャンクフードいっさい食べません!」というポリシーを決め込んでしまうと、付き合いの幅というか視野が狭まってしまう、ということだ。

どういうことか。

食生活からジャンクフードを排除すれば、それはそれはクリーンな身体になるだろう。
しかし、そうなるとだんだんとジャンクフードを食べる人たちを見下し始める。
見下す、が言いすぎでも、「あいつら理解できないよまったく」と思う。
理解しようとすることをやめてしまう。
いくらかの人間関係はそういう、些細に見えることをきっかけに破綻してしまうこともある。

ベジタリアンもその例かもしれない。
(ベジタリアンのさらに上をいく、ヴィーガンの友達はやはり外食に誘いにくかった。)

何でも、二元論に持ち込むのは危険だ。
「こうじゃないとダメ」と決め込んでしまうとそれ以外のものはまったく受け入れられなくなる。
ポリシーはありながらもゆるやかにあらゆるものを共存させていくとよい。
他者を認め、尊敬すること。

その結果、何でも食べれて、どこでも寝れて、誰とでも話せる人間がもっと増えるといい。
そしたら婚活する人も減るかもしれませんね。

ありがとうとカルボナーラ

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