domenica 1 novembre 2026

11月になった。10月を振り返って。

 11月になった。いい季節だ。いい季節だけど10月には叶わない。いちばんいい時期はどうしてこんなにすぐ過ぎ去ってしまうのだろう。10月が好きであることには変わらないけど、しばらく前までは4月〜9月までの季節が大好きだとよく言っていた。いつの間にか、うーんどっちでもいいなと思えるようになっている。紫外線が気になるから?寒さに強くなったから?わからない。生きているといろんなことが変化してくる。

10月を振り返る。

ちいかわをよく見た。1回風邪をひいた。合気道は10回行った。友達に会った。田中渓のラジオ、ポッドキャストをよく聞いた。昼に豆を食べるようになった。カリグラフィーの練習をした。こどもの運動会が無事に終わった。本はいろいろ読んだ気がするけど読みかけていまいちだと思ってやめたものもある。継続して読んでいるのはKazuo IshiguroのAn Artist of the Floating World。9月に借りたと思うけど、なかなか読み進められずにいた。だんだん流れに乗ってきて今ちょうど半分ぐらい読んだところ。文字が小さいのでどこを読んでいるか見失ってしまう。Kindleのほうがすらすら進められるのかもしれないが、カズオ・イシグロは図書館で借りられるのでアナログで読む。

どうにかこうにか、毎日を過ごしている。睡眠はまあ安定していると思う。健康で、後悔なく生きている。あと2ヶ月、今年を駆け抜ける。

mercoledì 28 ottobre 2026

年をとって

気温を見たら「19度」とある。さいこうじゃーん、と呟く。たぶん一番いい気候の時期か、それを過ぎつつある。あっという間に過ぎてしまうんだ。この過ごしやすさはもう少し続いてくれてもいいのに。

先日風邪をひいておきながら言うことではないかもしれないけど、寒さと暑さに強くなった気がする。つまり生活できる気温帯が広がってきた気がする。ほかでもない合気道のおかげだろう。これからの季節どうなるか分からないけど、なんとなく「芯」ができてきた。

先日ひとつ年をとった。髪とか肌とかそういうこまかいところはさておき、衰えた気持ちはない。20年前より今のほうが圧倒的に過ごしやすく、身体も強くなった。具体的に言うと、疲れにくくなった。20年前はもっとうんざりしながら仕事に行き、文句だらけだった。朝起きる時間や寝る時間も、覚えていないけどきっとバラバラだった。今では信じられないほど、そんなことはない。「ああいい1日だった」と思って寝られる。20代に戻りたいなんて絶対に思わない。後悔もない。

とにかく体を鍛えたい。習慣化がとその仕組みをつくるのがすべてだと思う。日々続けられるレベルの、ほんの少しのことを生活のなかに入れ込んでいく。それに限ると思う。

「1日24時間では足りない」というセリフを時々聞くことがある。周りの人の会話や、どこかに書いてあることなど。私は全然そう思わないし、24時間でちょうどいいと思う。そんなに時間を長くしてまで一体何をしたいのだろう。間に合わないような、何かしめきりに追われているのかもしれない。それならその締め切りをもっと前から意識して、やることを分散させて、前からやったらどうだろう。「そうは言うけどさ」という泣き言が聞こえてきそうだ。そんなに難しいことならそもそも引き受けなければいい。

lunedì 19 ottobre 2026

充実した土日

 週末は合気道が休みでちょっと物足りなかった。しかし天気はよく、気持ちは幸せなまま過ごした。

土曜は招かれた会で恩師に会い、新しい人たちにも知り合って楽しかった。初めての場所、人、できごとにあうと緊張するしストレスはかかるが、思い切って行ってみるとやっぱり行ってよかったと思う。夜もよく眠れた。

日曜は本当になにも予定のない日曜で、いつものように子とプールに行き、パンを焼き、昼にスパゲティを食べて、図書館で雑誌を読む。しかしきのうは雑誌より優先させて読むべき本があった。返却日がきのうまでだったから。土曜から読み始めて日曜に返すのは厳しいと思ったが、さいごのほうを読み飛ばしながらなんとか返却できた。ハン・ガンの『少年が来る』。友人と話題になって、そういえば読んでなかったと思って予約したのだった。ハン・ガンの作品はこれで三つ目だが、まるで詩のようなので、状況や設定がとらえづらく、困る。『菜食主義者』はそこまで困らなかったけど。光州事件についてあまりにも知らなかったので調べてみようと思った。バーガーキングを夕飯に食べて、寝た。日曜の夜に眠れないということがいままでに何度かあったので、日曜朝はきちんと5時に起きることにしている。きのうは目覚まし前に、4時台に起きてしまった。おかげで日曜夜もちゃんと寝れた。よかった。

子が、自分ひとりで動けることがどんどん増えてきて喜ばしい。「危なくないのかな」と思うときはもちろんあるので同伴することはまだまだ多い。それでも、友達と公園に遊びに行くとなると、まあいいでしょ、じゃあ行っておいで、という感じで送り出す。距離は限られるが自転車も乗れる。寂しいような気もするが、喜ばしい気持ちのほうが大きい。自分でいろんなことができる。先日会った人が、子育てと仕事の両立が大変なのでパートタイムに移行しようかと思うと言っていて、勿体無いなと思った。子供はいずれ大きくなるから。

venerdì 16 ottobre 2026

回復

水曜、時間があったので仕事を早めにあがってまっすぐ病院に向かう。咳も花粉症も同じクリニックに行くのでだいたい慣れたもので、すぐにありとあらゆるものを処方してもらった。咳、鼻水、気管にに効くもの。さっさと飲んで、横になった。夜も早く(といってもいつもと同じ9時)寝て回復につとめた。治ったら合気道に行こうなんて考えていたけど夜3時ぐらいに起きたときに頭が痛くてこれは行けるわけがないなと思った。5時に起きたけどそれでもまだ寝れるくらいに体が疲れていた。合気道はさっさとあきらめて、6時まで寝た。痰が出始めたので前日よりマシになってきたのがわかる。しゃべっても咳が出ない。でも喉の奥の方で「ゼロゼロ」しているのがきこえる。大きな声を出さないようにして1日を過ごした。ふらふらしない。

きのうの夜、咳で目覚めた。苦しかったのでちょっと立ち上がって、ソファに移った。ソファが寝やすいわけでもないけど、横になったらそのまま寝た。へんな夢を見た。弟の家族と、わたしの子供と、なにかの演劇に出ることになった。何役だったのかもうわすれた。どこでどう動くかもわかってない。なのにみんな動けている。よくわからないままに劇が終わった。

きょうも天気がよさそうです。

mercoledì 14 ottobre 2026

風邪ぎみ、とマリオのスター

 乾燥に弱い。喉が。

先週ちょっと喉が痛いかなと思った。よくあるビリビリした痛さはなくて、3連休はのどをそれほど使うこともなく休んだので悪化しなくてよかったと思った。たいていパターンは決まっていて、「ビリビリ」がおわると鼻水が始まり、咳が残る。そしてきのうがその「鼻水期」の始まり。そして咳も出る。問題は咳が長引かないかどうか、である。たいてい「治るだろう」と思って放っておくとそれがずっと続くので、きょうの午後あたりいっそのこと医者に行ってみようかと思う。

天気の良い日が続いていて嬉しい。連休はたくさん掃除をした。そのため背中が痛い。掃除をする体勢、姿勢は身体によくない。負担をかけるに決まっている。

読むべき本がたまりにたまっているがなかなか消化できていない。そのくせ雑誌なら毎週2時間くらいは読んでいる。

合気道に行ったら気持ちがよかった。ここ最近で2回くらい、稽古後に「マリオのスター状態」になることがあった。スターというのは無敵で、敵がいてそのまま走っても敵が飛ばされていく状態。それには時間制限があっていつのまにか普段通りに戻る。それにちょっと似ている。朝稽古後の神がかったあの感じは、ポジティブとかそういう言葉では表せない。いい意味でのアイデンティティ喪失状態で、立場や肩書き、周りの条件がうそのように消える。誰だっけ私は、という、リセットされた状態になる。前日まであったはずの気にしていたことや迷っていたことがうそのように小さくなる。永遠には続かず、9時までには戻る。これが起きたのは、京都の事件のときと、韓国から帰るときと、朝稽古の後。

さ、仕事行こう。早く終わらせて早く帰って風邪を治そう。

lunedì 21 settembre 2026

「ちいかわ」の映画を見た

 「シルバーウィークにちいかわが見たい」

しばらく前、子が言った。子からの、たいていの「〜したい」を本気で請け合うことはないが特に予定がないのに5日間も休みを抱えているわたしは、今回ばかりは、素直に「それもそうだな」と思えた。土曜に調べてみるとどの映画館も満員ではないか。ちいかわだけが満員。世間での人気はなんとなく感じ取ってはいたが、なんと、こういうことかと思い知った。日曜だったら空きがありそうということで、選んだのはなんと8時45分の回。こんなに早い時間に映画館に行ったことがあっただろうか。それでも、午前中にさっさと用事を済ませたいわたしたちはこれに合意してチケットを買ったのだった。

ちいかわの「ち」の字も知らずに−

ちいかわが一体なんなのかさえ知らずに映画を見に行くとは。キャラクターを見ればそれがちいかわであることは知っている。同僚のなかに何人も熱心なファンがいて、話をしたことがあるのでなんとなく知っている。でもその程度だ。キャラクターの名前もストーリーも知らない。子もまた然り、だと思う。そんなこんなで映画がはじめてのちいかわ経験となった。

劇場は(当たり前だけど)本当に満員で、こんな雨の日に、朝早くから映画を見に来る人たちがいることに驚いた。そしてさらに驚いたのは、そこにいる人たちのほとんどが大人だということだ。こどもの声はほとんどしない。これも世間で騒がれているとおりの「絵は子どもむけのようで内容は大人向け」ということなのだろうか。

さて内容はというと、キャラクターの性格や名前、特徴を知らないわたしなどは、新鮮ではあるもののさすがに前知識が欠けているので「こいつは一体何者なのか」という疑問が次々に湧く。帰ってから調べてみたいことだらけ。途中、なんだか単調でつまらなく感じた。アクションにしてもこの絵じゃ物足りないし笑えるところも特にないし、なんだこんなのにわたしは2000円も払って見に来たのか、何時に終わるのかなと思った。これは本当に正直なところ。

しかし、だ。途中、衝撃が走る。これはネタバレなので書かないでおく。「えっ」と思うところがある。そこから、無事に終わりはするものの、後味は悪い。「おもしろかったね」という、たとえばディズニー映画を見たあとの平和な感想は出てこない。これはつまりどういうことだったのだろう、と考えた。子もまた然り。

帰りの電車で、劇場に入る前にもらった冊子を読んだ。この映画ができる前までの、作者のラフスケッチのようなものが冊子にまとまっている。これが結構ヒントになった。(これは19日から配布されたものらしいので、それより前に見た人にとっては貴重な冊子なのではないだろうか。)家に帰って、ようやく、だんだんと子とおたがいに感想が出てくるようになった。あれはこういうことだったんだ、とか、あれはかわいかった、おもしろかった、など。

夏休みに行われていたセブンイレブンのちいかわコラボで、魚の煮付けがあったらしいが、まさかそういうことだったとは。考えてみるとなんともブラックでおもしろいコラボだったのだ。その写真を見てまた、子と笑った。そのあとも寝るまで思い出しながら考えた。この映画がおすすめかどうかと言われると、おすすめだ。よくある子ども向けの夏休み映画を見るよりは断然いいと思う。

giovedì 17 settembre 2026

夏の終わり

 雨が続いてまったく嫌になる。先日晴れた隙にたまっていた洗濯物は片付いたがそのあとすぐに曇り、きのうは雨だった。カッパを着ることが通勤の標準装備になりつつある最近。

夏が終わってしまった。終わらせたくない気持ちが毎年あって、家ではいまだにタンクトップと短パンを着ているし、サンダルで通勤している。雨で靴下が濡れることを心配するなら最初から靴下をはかなければよいだけの話だ。

相変わらず毎日マフィンを焼いている。ケーキよりもマフィンがいい。一個ずつに分かれているので食べやすいし散らかすこともない。保存もしやすい。6個作ると、3人が好きなときに食べて1日でなくなる。最近すこしレシピを変えてみた。インスタで見たチョコレートマフィンが美味しそうだったから。アーモンドパウダーを少し入れてみたらそれっぽくなった。改良しても失敗することはない。

もうすこし時間があればパンやクロスタータも焼きたい。夏が終わるのは寂しくもあるがオーブン仕事には最適な季節がやってくる。

mercoledì 16 settembre 2026

最近読んだ本

読んだ本メモ。

1. 『外の世界の話を聞かせて』江國香織
久しぶりの江國香織。雑誌の書評で見たのでメモしておいた。それで図書館の予約が回ってきたから読んだ。東京の人が書いた東京のせまいエリアの話。大きな事件が起きるわけでもなくたんたんと、静かに進んでいく。江國香織らしい静謐な空気が漂う。

2. 『大人の愛着障害』高橋和巳
精神科医である高橋氏の本は何冊も読んでいる。最新作が出ていたのですぐに予約した。2、3時間で読んでしまった。愛着障害について知っているつもりではあったが、読んだことはなかった。愛着障害レベルを3つに分けて考えると、誰しもが、少なくともレベル1に該当するらしい。何かしらを抱えているが、それを調整しながら生きている、ということ。なるほど。私もきっと1か2だと思う。妹はどうだろうか。自分の子はどうだろうか。最後には希望が持てるように書いてある。面白かった。ふと、高橋氏のカウンセリングを実際にクリニックで受けるとどうなるのか、調べてみたら、6ヶ月〜1年待ちだそうだ。さすが…。高橋氏はスーパーヴィジョン(精神科医の指導、指南役)もされている。

ほかにもなにか読んだ気はするが、忘れてしまった。読みかけているまま図書館の返却期限が来てしまって『戦国日本vsヨーロッパ』は全部読めていない。が、ものすごく面白い。こんな見方で歴史を読みたかった、と思った。すぐにもう一度予約したのでじきにまた手元にくるはず。
夏休み以来、洋書を読めていない。何を読もうか考えているうちに今に至る。

domenica 13 settembre 2026

平日休みは合羽橋

土日勤務が続いた。先日は代休だったので合羽橋に行ってきた。普段だったら出かけること自体を億劫に感じるものだが、この日は出かけたい気分だった。買いたいものが特別にあるわけでもないのに。理由はわかっている。夏のあいだ、東京を離れて各地に滞在し、東京に戻ってきた今、せっかく東京にいるんだから楽しもう、という気持ちになっている。たくさんの人々が目的地として選ぶ都市に、自分は住んでいる。これはとてもラッキーなことで、これは特権なのだ。離れてこそわかるその土地の良さというのがある。東京もそうだ。ただし、日常から離れないと気づかないので、その点やはり長期休みに旅する効果は大きい。

目当てのものがあったわけでもない合羽橋。案の定、あれもこれもと見ているうちに荷物は重くなっていった。買ったものはアイスクリームディッシャー、検食容器、箸、業務用オレガノと業務用コリアンダーそれぞれ100g、お弁当箱のパッキン、シルキー鋏、スケッパー。

合羽橋にいる人たちは海外からの観光客ばかり。たまに日本語が聞こえてくる。

ある店の二階。お菓子の型などが陳列されているが、すべてが業務用。レモンケーキの型なんか、ものすごく大きい。そこで電話で話す年配の店員さんがいた。知人の近況などを聞きつつ、このご時世を嘆いている。「そうだよ…うん…どこも商売たいへんだよ…昭和の夢を見ちゃってるのかもねえ」。映画みたいだ。なるほどと半分聞きながら、この通りがどうか生き残って欲しいものだと思った。

10時の開店にだいたい合わせて行ったが、ハッと時計を見ると12時をまわっている。そろそろお昼かと思いながら歩き、また時計を見たら今度は1時を過ぎていた。お昼を逃すと面倒なことになる。勘で入った蕎麦屋が当たりだった。たぬきそばを食べたが、きゅうりもかまぼこも丁寧に切られていておいしかった。950円。蕎麦屋はテレビがあっていい。客はわたしともう1人だった。ワイドショーの、とことん、どうでもいいことや、洗剤とか保険のCMなどをぼーっと眺めていた。結局何買ったんだっけな、東京たのしいな、なんて考えながら。

消化にもよいだろうと思って浅草まで歩いた。雷門まで行って観光してみようかと思ったが、門に着いたときに少し雨が降り始めた。さっさと退散して地下鉄で帰った。

ところでだいぶ迷って買ったアイスクリームディッシャーは、買って大正解だった。マフィンを作るときにスプーンで容器にうつしていたが、ぽたぽた垂れてしかたなかった。これが解決された。10種類くらいある大きさのなかから店員さんと話し合って決めた。専門店街だけあって、合羽橋は店員がその分野に詳しい。とりあえず勤めている人、ではない。

地下鉄で帰ると、ものすごい雨が降っていた。傘は持っていなかったが万一のためのカッパがあったのでそれをかぶって帰った。

domenica 6 settembre 2026

こどもたちとプール

土曜だったけど出勤だった。朝はちょうど雨があがりかけたので合気道に行った。調子を取り戻すためにだんだんと再開させている。やっぱり気持ちがよかった。それから仕事に行って、夕方帰るとお隣さんが、うちの子といっしょに6時ごろからプールに行くことになっていると教えてくれた。どうやら日中に行われた取り決めらしい。一瞬迷ったけどわたしも行くことにした。私が行かなくても、お隣さんが連れて行くので保護者の人数としては問題ないということだったが、なんであれ泳ぎたいと思った。さらに近所の子もやってきて、全部で7人でプールへ。子供たちどうしで遊んでいる姿は、それはもう楽しそうで、本当によかったなあと思った。何がよかったかというと、近くに友達が住んでいて。子は誰といるときよりも友達といるときが楽しそうで、本当にありがたいと思う。7時ごろ外に出たら夜風が気持ちよかった。プール最高ですよね〜と言いながら帰る。シルバーウィークなんか予定ありますか、と言われて、特にないと答えると、近くのお祭りがあるのでよかったら、ぜひ、とのことだった。

きょうは雨。これから出勤。

giovedì 3 settembre 2026

日常に戻る、とアイデンティティ・クライシス

 韓国から帰ってしばらく経つが、すぐに東京の生活には慣れてきた。職場も1ヶ月以上ぶりに行ったが、15分もあれば戻った。この夏、あっちこっちに滞在したのもあってようやくホームグラウンドに戻ってきた気持ちになる。わたしの日常が東京にある、というのをあらためて実感している。

韓国から帰る便のなかで、とても不思議な気持ちになった。自分は一体何者なのか、どこに所属するものなのか、など、アイデンティティ・クライシスに陥った。ただしこれはいい意味でのアイデンティティ・クライシスである。どこからも切り離されたような気がした。今までの世界とは全く別の場所のように見えた。4月に起きた京都の小学生の事件を聞いた時にちょっと似ている。自分がわからなくなる感じ。言葉で表すのがとても難しい。こうなったのは韓国滞在があまりに意義のあるものだったためだと思う。家族から1週間離れて、しかも職場の仲間ではない、全く初対面の人たちと1週間を海外で過ごしたため。

この経験があって本当に良かったと思う。

仕事を再開して、夜の眠りがいっきに深くなったし寝つきもよくなった。やっぱり労働はいいなと思う。きょうは合気道の稽古に行かなかった。じょじょに再開させることにする。

martedì 25 agosto 2026

変わったのは何か。ソウルにて。

実家から戻ったかと思えばすぐに移動して今は韓国にいる。仕事でいるので好きな場所に行く時間はあまりない。それでも充実度の高い滞在をしている。

羽田からの便は、本当にあっという間で、1時間40分で到着した。国際線らしさを味わうためにもう少し飛んでくれてもよいなと思えるくらいだった。

久しぶりの韓国。最後に行ったのがいつのことだったか考えたけど、確実に10年以上前。当時も、最後に行ってから10年近く経っていたので、10年に1回の訪問ということか。それもあって、行くたびに変貌の仕方に驚かされる。今回は自由に行動できていないのでまだなんともわからないけど、外国っぽさがなくなってしまったなあ、というのが1番感じるところ。不便さがない。日本の延長のような感じがする。2002年に初めて韓国に行った時の「わぁ!」という感動に比べると、さほど心が揺り動かされなくなってしまっている。

簡単に考えられる理由が二つある:

1) 世界が変わった

2) 私が変わった

まず1)について。これは韓国に限らずどこに行っても当てはまるだろう。グローバル化により、場所がかわっても同じものや情報が手に入るようになった。言語の壁も、文化の壁も、もちろんあるけど、以前ほどの障害ではなくなった。いろんなことがスムーズに動く。日本に電話するのにプリペイドカードを買ったりインターネットの使える場所を探して10分でいくら、とかお金を払っていた頃とはわけが違う。そして買いたいものは、日本にいても買えてしまう。

便利なのだ。だけどその便利さが、異国っぽさを薄くしてしまう。

そして2)について。10代、20代の時に見る外国の景色、いや、感じる空気は、さきほど感動と書いたが、それどころではなくて「衝撃」に近い。振り返った今だからこそそう言える。あれは衝撃だったのだ、と。考え方、ものの見方が柔軟で、国内にいたとしてもまだ体験していないことが多い。海外に対する憧れは、それはもう強烈なものがあり、本やテレビでちらっと見た、いつか行きたいと思っていた場所が目の前に現れたときの感動は筆舌に尽くし難い。

この1と2が、ちょうど相まって、最初の渡航から何十年か経った今ではさほどの感動がなくなってしまっている。情報に手が届かなかったころのハングリー精神とでも言おうか、そういうのは薄くなった。仕方ないしあたり前だと思う。それに私は南米や中東地域、中央アジアなど行ったことのない場所がたくさんあるので、初めての場所に行ったらまったく違う感想が出てくるのかもしれない。

giovedì 20 agosto 2026

A Pale View of the Hills

カズオ・イシグロのA Pale View of the Hillsを読み終えた。1週間もかからずに読んでしまった。長編はいい。短編もいいけど長編を読むとその世界に入り込めるので良い。長崎に行った直後に読めたのがよかった。平和記念像や路面電車が出てくるので、行った直後の今読むといろいろと想像がしやすかった。時代は違うけど。

カズオ・イシグロならではの「あとからじわじわ」くる感じがなんとも言えない。「あれってつまりそういうことだったのか」が、読んだあと、しばらくしてからわかる。というか気づく。

1982年に書かれたものらしい。5歳のときに日本から英国へ渡った著者の人生が表れている。その経験のない、ほかの人だったら書けないだろう。

帰省中に読書が捗ってよかった。

martedì 18 agosto 2026

Great British Bake Off 名作回

帰省するとテレビがあるので、予期せぬ出会いがある。

何気なくチャンネルを回していたらGreat British Bake Offの第6回、決勝戦だった。個人的にも世の中的にも、第6回は最も人気の回である。名作と言われている。2015年なのでもう10年以上前になる。私は数年前にAmazonプライムで見た。一度見ていても、これは見なければと思った。その時と同じく、やはり勝者ナディアのコメントには涙が出た。

I'm never gonna put boundaries on myself ever again. I'm never gonna say I can't do it. I'm never gonna say 'maybe'. I'm never gonna say, 'I don't think I can.' I can and I will. (もう二度と自分自身に限界を設けない。できないと言わない。 「たぶん」と言わない。「できないと思う」と言わない。そうできるし、そうする。)

ナディアだけでなく、ほかの出場者もかなり印象的だった。わたしはイアンには注目していた。この人おかしいんじゃないのかとさえ思った。それほどのこだわり、レベルの高さだった。

今はAmazonプライムでGreat British Bake Offの別の回を見ている。ここを去るまでに最後まで見られるかは分からない。見ているとパンやお菓子が作りたくなってくるし歴史を学びたくなる。暑い季節が終わったら焼き菓子が楽しくなる。秋が来るまでもう少しの辛抱だ。

domenica 16 agosto 2026

涼しいままで終わると良い

快適な涼しさが続いている。日中には気温が上がるが、それでも、逃げなければいけないほどの暑さではない。8月のはじめに40度くらいあったが、あれがピークで、そのあとは夜もエアコンなしで寝られる。このまま夏が終わればいいと思う。きょうは少し曇っている。雨が降るらしい。

カズオ・イシグロの"Pale View of the Hills"を半分くらい読んでしまった。すらすら読める。難しい単語や読み直す必要のある箇所がない。

8月が半分終わった。お盆の最終日は、親戚が集まって賑やかに過ごした。暑すぎなくて助かった。もうすぐ東京に戻る。やり残したことがないか、思い出したように考える。


venerdì 14 agosto 2026

"A Manual for Cleaning Women" Lucia Berlin と名前の区別

A Manual for Cleaning Womenを先日読み終えた。長くかかった。春からずっと読んでいたと思う。言い訳のようだが、平日の朝稽古に参加することが増えたので、朝読書する時間が減った。毎日読まないとなかなか定着しない。そして朝から暑い。さらに、短編なので次が特に気にならないので手が伸びない…と、そんなこんなで夏休みまでかかってしまった。図書館でペーパーバックを借りて読んでいたがいったん返却し、もともと買っていた電子書籍のほうで続きを読んだ。

自伝に近いのではないかと思う。いや、自伝か?舞台は米国で、馴染みのない環境なので想像しながら読んだ。岸本佐知子による翻訳もあったが原典のほうを読んだ。これは女にしか書けないし、翻訳したいと思う人も女だろうなと思った。女性の抱える痛みがありありと伝わってくる。川上未映子が絶賛するのもわかる。

ひとつひとつの文が短く、もはや詩に近いところがあった。会話もたくさん出てくる。英語は簡単なほうだと思う。文法を気にしていては読めないな、というくらい、文法のルールが当てはまらない箇所だらけだ。しかし感覚で読んでいても「あれ、今のなにが起きたの」というところもある。

そう思ってしまう原因のひとつに、人名で混乱させられる、ということが挙げられるかもしれない。よくありそうなアメリカ人の名前が3つも4つも出てくるともはや誰が誰だったかわからなくなる。洋画を見ている日本人が、登場人物の白人を区別できなくなるのと同じようなものです。「あれ、この人さっき死ななかったっけ?」とか「娘と思ったら奥さん?」とか。典型的だ。どうしようもないな、とほほと思う。メモでもとりながら読めば違うのかもしれないけど。

というわけで久しぶりに、きちっとした文章からなる、長編を読みたいと思ったので電子書籍でKazuo IshiguroのPale View of Hillsを買った。タイミングの良いことに、長崎の話なので、読むなら今だ!と思った。きょう1章読んだけど、日本人女性の名前が4つ出てきた。わたしはこれらの区別をつけながら読めるけど、慣れない読者は「日本人の名前区別つかない」と思っているのかもしれない。

giovedì 13 agosto 2026

日帰りで長崎

 長崎に行った。行ってみた。今まで行こうとさえしていなかったのだ。今年はイタリアに行ってないというのもあり、夏休みにお金を使うのが惜しくない。イタリアに行く一人分の航空券を考えると、日帰り旅行の経験をこの値段で買うのは惜しむに値しない。そして、今月は広島にも行ったので、その勢いで長崎にも行こうというわけだ。せっかく8月に日本にいるんだったら、これは貴重な時間なのではないかと思った。

最後に行ったのはいつだっただろう、と考えたが、おそらく小学生の頃。となると30年は経過している。もはや街の様子も覚えていないし、色々なものが変わっているだろう。連れて行ってもらうのではなく自分の足で巡ってみたい。

10時ごろ駅に着いた。新しくてきれいで大きい。こんな駅になっていたとは。昔を知らないけど。観光案内所で地図をもらった。今回訪ねるべき場所は優先順位をつけて決めていた。暑い中で無駄に歩きたくもないから。

駅前から路面電車に乗って、原爆資料館へ。路面電車は広島同様、小さい。そしてわかりやすい。あっちに行くか、こっちに行くか、の二択。ここでもパスモが使えた。よかった。特に指示はなかったけど入る時と降りる時、どちらもタッチをした。広島より接触が良い。

駅前。路面電車に乗るには駅を出てちょっと歩いて歩道橋みたいなのを上って降りる必要がある。駅に乗り入れている広島はやっぱり便利だと思う。

すぐに資料館へ着いた。いきなり坂が現れて、ああそうか、そういう街なんだよなと思った。がんばっての上る。

広島と同じく200円の入館料。以前を覚えていないけど、資料館は新しくなったらしい。入り口からは螺旋状に降りていく。NYのグッゲンハイム美術館のよう。どうせ広島ほどの規模はないだろうと思っていたけど、展示はとてもわかりやすかった。広島ほど混んでいない。原爆の影響を、熱線、爆風、放射線の3種類にわけて展示してあったのが、頭に入ってきやすかった。

特に、今まで、爆風についてはあまり考えていなかったことに気づいた。これは爆風で変形した仏鐘。ほかに、同じ方向に薙ぎ倒された木々や、吹っ飛ばされた壁の写真を見て、どれだけ強い風だったんだろうと想像した。

犠牲者の写真は広島よりも生々しい。これは以前にもそう記憶していた。

展示後半では日本が戦争に向かうまでがよくわかるようになっていて、これは広島と違うと思った。2分くらいのビデオを選んで見られるようになっていた。できることなら全部見たかった。

いかに日本が愚かなことをしたかがよくわかる。だからと言って原爆を正当化はできない。見ながら「う〜ん」と、うなってしまう。記憶が薄れていくのは仕方ないことかもしれないけど起きたことから目を背けてはいけない。

世間の悲惨なニュースについて、知らない方が良い、または考えないほうが良いものもある。こどもが犠牲になる事件などはそう。気持ちがふさぐ。しかし原爆の事実は、向き合っておくべきだと思う。わたしが生まれた時代は偶然の、原爆のあとの時間。長い歴史の、おおきな流れのなかの、この時間に生まれ落ちている。その「おおきな流れ」を汲んで生きるべき。

なんだかんだで1時間半くらい展示を見て、外に出た。平和公園までどう歩けばいいかなと思って受付の人に聞いたら地図をくれた。

とりあえずお昼を食べることにした。ちゃんぽんが名物だけど、担々麺を食べた。有名なお店らしく、かなりの人が待っていたが、それほどの待ち時間はなく入れた。子は皿うどんを食べた。うどんではなくてパリパリ焼きそばだが、正式名称は皿うどん。

朝が25度くらいの涼しさだったが、昼間は気温が上がった。これは参った。公園まで歩いた。平和祈念像のところは式典の片付けがまだ終わっていなかったようだった。暑すぎるせいか人が全然いない。一応観光地だろうけど平日だしこんなもんかなと思った。


それから表示に従って歩いてみたら浦上天主堂が丘から見えたので思い切って歩くことにした。

教会、キリスト教と原爆が結びつくというのは、長崎ならでは、である。信仰っていうのは強いもんだよなと思う。ものが壊れても人の心は壊れない。中のステンドグラスが綺麗だった。

そこからさらにどうしようかと思ったけど、山王神社まで歩いた。これが医学部通りを歩いたのだが、普通の道な上に日陰がなかった。暑い。表示によれば1.1km。小さな日傘の下に身を寄せ合って、がんばって歩いた。

大学病院付近で道がわからなくなった。花屋さんに聞いたら親切に教えてくれた。あとから父にそのことを話したら「修学旅行の生徒たちに慣れているから優しい」そうだ。なるほど。

有名な一本足の鳥居とクスノキは、住宅のなかにあって、道も細いし、わかりにくい。それでも表示があるので歩ける。りっぱなクスノキだった。

この時、暑さと疲れはピークに達していて、子はもはや、視界に入るものが頭に入っていたのか怪しい。顔が真っ赤になっていた。

途中、セブンイレブンというオアシスに立ち寄り、アイスクリームを買って食べた。浦上駅前から路面電車に乗り、長崎駅へ。シンプルなルートだ。

駅でおみやげを買って帰った。福砂屋に行ったら、カステラではなくオランダケーキというものがあったので、これは食べてみたいと思った。

今回歩いたエリアは、地図では北のほう。南はまったく行っていない。眼鏡橋も中華街も出島も南にある。長崎が外国とやりとりをしていた歴史に興味があるため、今度はもう少し勉強をして、そちらのエリアに行ってみたいと思う。

domenica 9 agosto 2026

海水浴を比べる

 きょうだい家族と両親で海に行った。1時間半、車を運転してこんな良いところに着くとは素晴らしい環境だと思う。「これが東京だったら」と思わずにはいられないのは、どこに行っても同じだ。それは東京がひどいとか恵まれていないとかそういうことではなくて、人はだいたい自分の知っている環境と比較をするものだから。それがイタリアだろうが広島だろうがふるさとだろうが、自分の日常と比べたがる。そして嘆き、羨ましがる。いつも「ここじゃないどこか」を求める。自然なことだと思う。大学のときに先輩が「比較によって成り立つことってあると思うんだよね」というようなことを言っていた。比較は悪ではなく、という文脈だったと思う。気がつくと旅に出ている、そういう人だった。

海はとても穏やかで、人が少なく、水が澄んでいた。入場にお金を払う必要もなかった。近年の、自分にとっての海水浴といえばイタリアだ。日本で海水浴に行った記憶ははるか遠い昔、小学生くらいだ。というわけでやはり、イタリアと比べずにはいられない。人が少ないので比べるほどでもないのかもしれない。

なによりも、肌を出している人がいない、という点がまず気づくところ。みんな、もちろん水着は着ているのだろうが、いわゆる「水着」の格好をしている人がいない。男女ともに上半身を覆っている。ラッシュガードや、Tシャツを着ている。それが理にかなっていると思うので、私も真似してみた。日焼けして痛い思いをするのは自分なのだ。

そして成人女性で泳いでいる人はほぼいない。水にはとうてい入りそうになく、砂浜で待っている人が多い。イタリアで海に行っていなかったら私もきっとそうだったかもしれない。水や砂が嫌だというよりは、日焼けと水着に抵抗があるのだと思う。気持ちはよくわかる。

ただ、いったん水のなかに入ると、日焼けはさほど気にならなくなるものだ。これは経験でわかる。日焼け止めもどうせ流れ落ちて海水の汚染につながる。

日焼け止めを塗って水の外で暑い思いをして待つよりは、いっそのこと水のなかで自分を自由にしてあげたほうが、自分にとっては良いし、楽になる。なによりも暑い夏につめたい海水は気持ちがいいものだ。

これが海のそばで育った人たちだとまたいろいろと事情が異なってくるのかもしれない。そして首都圏の人たちが行きそうな海でもまた違うだろう。文化の違いは面白い。

こんなにいい場所だが、宿泊先では海外からの観光客はほとんど見当たらなかった。海辺では誰もみなかった。海外からはまだ発掘されていないということだろう。

海のほうに歩きながら子と話した。

「イタリアがなつかしくなるね」

「そうね」

venerdì 7 agosto 2026

畳で昼寝、81年

 あっという間に8月も1週間過ぎた。2日に東京を出て、広島に行き、今は帰省している。姪たちとにぎやかで楽しい毎日を過ごす。2日と3日は凄まじい暑さで、40度を超えたそうだが、昨日あたりから涼しい。それでも37度らしいが、風があるのでだいぶ涼しく感じる。エアコンなしで過ごせる。台風の影響だろう。

『夏帆』を読みながら畳で昼寝してしまった。畳でごろごろするのは気持ちがいい。この本はすでに読んではいたが、本として出版されたものをあらためて読んでみたかった。するすると読みすすめる。話を知っているせいもあるだろうけど、ほかの作品と比べてとくに読みやすい気がする。

広島に行ったあとなので、きのうの平和記念式典は興味深く見ることができた。いつもはそれほど熱心に見ることはない。先日歩いたばかりの土地がテレビに映っているので、距離感や雰囲気がわかる。81年が経った。「50年も経ったんだよ」と言っていたのをよく覚えていて、当時小学生だったわけだが、「それはたいへんなことだ」と思った。当然ながら時は経つ。

domenica 2 agosto 2026

旅立つ前日

ブログというものは開かれた媒体なので誰が読んでいてもおかしくない。誰にも読まれたくないけど文章を書きたいのなら日記をかけば良い。しかしわたしの場合、それだと読み手が一体だれなのか、と思ってしまう。自分も読み返さないのであれば書かなくても良い。SNSだと誰が読むかがはっきりわかる上、反応を期待してしまうため、書く内容が限られる。ある程度の緊張感を持っていたいのでブログは良い。それでも大勢に読まれるとちょっと戸惑う。いっそ何も書かなければ良いのだがそれも困る。書く場、アウトプットの場は持っていたいのである。

子の友人たちがきのううちにきた。3人来て、部屋がいっぱいになった。いっしょにゲームをやっている。タイマーをかけて、休憩を入れながら、夢中になってゲームをしている。見ているのはお互いの顔よりも画面だが、まあ、これはこれでいいのだ。昔と遊び方が違う、と思うのは事実だが、昔と今は違うので昔の遊び方をここで強制しようとは思わない。この暑いのに外に出すわけにもいかないし。休憩になるとみんなでレゴをはじめる。ごっこ遊びは永遠だなと思う。

別れ際、ずっとバイバーイと言い続けていた。たいそう満足をしているようだった。大事なのは友達なのだ。ゲーム自体でもあるが、友達。夏休みが始まって、友達に飢えている。夏休みでも会えることは会えるけど、学校の、いつもの友達にいつもの教室で会いたいのだと思う。学校の勉強は好きじゃなくても学校という環境が好きなのだ、と、この子を見ている限りでわたしが思うこと。

きょうから東京を離れる。満足できる前日でよかった。

11月になった。10月を振り返って。

 11月になった。いい季節だ。いい季節だけど10月には叶わない。いちばんいい時期はどうしてこんなにすぐ過ぎ去ってしまうのだろう。10月が好きであることには変わらないけど、しばらく前までは4月〜9月までの季節が大好きだとよく言っていた。いつの間にか、うーんどっちでもいいなと思えるよ...