今日はお休み。
太陽が見えないからちょっと寂しいのだけれど。
「特にでかけたりせずに、おうちで掃除したり洗濯したりケーキ作ったり本読んだりしてゆっくり過ごす」と昨日の時点では言っていたのだが、もう既に「どこか行きたい」モードに入っている。
せっかくの平日休みだし、街に人少ないんだし。
そういえば先日、小学校5,6年生の時に担任してもらってた先生と電話で話した。
先生は酔っ払ってたこともあり、とてもご機嫌な口調で、始終嬉しそうだった。
いきなり
まだ自分の能力を信じきってないんじゃないか?
本当はもっと色んなことがやりたいんじゃないか?
と言われてとても驚いた。
まさに最近私が考えていたことだったから。
別に誰かに相談したわけでもなかったし、先生と話すのは実に1年以上ぶり。
10年以上会っていない。
なのにこのタイミングで、先生からこれを言われるとは。
さすがだ、と思った。
見抜いてらっしゃる!!
小学校時代というのは人生でとても大事な時期だった、と思う。
まだ人生終わってないし、ほかにも大事な時期はあったけど。
一番よく言い表せる言葉があるとしたら
「濃い」
時代だった。
目にするもの、聞くこと、触れるもの、一つ一つが新しく、神経はびんびん反応し、感覚はは研ぎ澄まされ、ありとあらゆる事象にアンテナは届き、脳みそがぐるんぐるん活動していた。
めくるめく、小学校時代。
先生とは高学年の2年間を過ごしたわけだが、今となっても先生は実に大きな存在である。
2年間どころじゃなく、ずっと先生だ。
先生のことは、私が死ぬ瞬間まで絶対覚えているという自信がある。
小学校を卒業して、中学、高校と進み、この先生が自分に与えた影響について振り返った。
「めっちゃすごい職業だ」とあらためて思った。
「教師」というのは小さい頃から、一番身近にある職業だった。
そして、いい意味でそれを「重い」職だと思っていたし、たいへん意味のある職業だと思っていた。
今になっても、やっぱりそうなのだ。
この前、酔っ払った先生の声を聞いて、純粋に、まるで小学生みたいに、
「やっぱり先生ってすごいな」
と思った。
尊敬できる先生に、会えてよかった。
10歳の、4月のあの瞬間から、この人を「師」としたのだ。
それが先生でよかったです。
どうか、遠くから見守り続けてください。
立派な大人になります。