最近忙しかった。
一応日記をつけているのだが、余裕がなくなると日記を書く暇もなくなる。
おそらく最後に書いたのは3月の中旬ではないだろうか。以降、開いてもいないため分からない。
ちょうど一週間前、金曜日に親戚が亡くなったという知らせを聞いて、土曜の朝から郷里へ帰っていた。日曜の夜に東京に戻り、月曜の朝から当たり前のように働いた。
したがって、先週末にちっとも休めていないので、今日は久しぶりに、本当に予定の無い休みだ。
ブログも書きたいことはあるのだがたいてい仕事のことになってしまう。仕事しかしていないのだから当たり前だ。家に帰って、買出しに行ったり料理をしたり洗濯をしたりすると、もう本当に一日中立ちっぱなしなので脚がぱんぱんになる。ついでにイライラする。
読みたいなあと思っている本が、結局ずっと読めていない。数ヶ月もの間。ひどいものだ。電車通勤じゃないとそもそも読む機会がぐんと減るのだが、この余裕の無さがさらに拍車をかけている。
映画も見てない。ほんとに全然見てない。
まあ、それでも仕事は楽しい。滑り出し好調、といったところである。
周りに認められ、世の中の役に立つということはこんなにも気持ちの良いことなのである。
Saturday, 26 April 2014
Sunday, 6 April 2014
千鳥が淵の桜
寒い。冬物を片付けた途端に寒くなった。
朝からくしゃみばかりしている。
花粉かもしれないけど。
そういえば今年はほとんど花粉症に苦しまされることはなくてよかった。
そもそも花粉の飛散量が少なかったらしいけど、2月のはじめから薬を飲み続けていたことが良かったのかもしれないと思っている。
去年は、症状が出るまでは薬を飲んでいなかった。しかも飛散量が多かったので大変な目に遭った。その反省を生かして今年は早めに飲むことにしていた。苦しまずに3月を終えることができて良かった。
ところで昨日の夜、九段下に行った。
桜を見るためだけに、8時ごろから。
北の丸公園にまず行って、あの、堀にかかる桜を後ろから見た。
後ろから見たというよりは桜の中に入った、といった感じだった。
それから堀に沿って遊歩道?を歩いた。人は多かったけどおそらく昼間の代々木公園に行くよりはマシだろう。
千鳥が淵の桜は、迫力があるだけじゃなくて品がある。
カメラを持っていかなかったことを少し後悔したが、しっかりと目に焼き付けておこうと思った。
どんな感じか、「千代田のさくら写真コンクール」で入賞した作品をここにお借りして貼り付けておきます。いい写真。
3.11の地震以降、ライトアップが行われたり行われなかったりしている。確か。
去年はタイミングが合わずに見れなかった。
ライトアップされたのをしっかり時間をかけて見たのはこれが初めてかもしれない。
歩きながら、周りの人々の会話を聞くのが面白い。
ある人が言っていたこと:
「桜って普通、上を見上げて、わーきれいだねって言うんだけど、ここの場合はなぁ、対岸の景色を見て楽しむんだもんなぁ。こういうのもありなんだよなぁ。」
なるほど、と思った。
散りかけてはいるものの、水面に写る桜はなんとも幻想的である。
例えば江戸時代の人々も同じ景色を見て、同じように桜を愛でたのだろうか、と想像してみると不思議と誇らしいような気持ちがした。
その後、屋台の並んでいる靖国神社のほうへ行った。
手を繋いで歩いているカップルに、屋台のおやじが一言
「ほらそこ手なんか繋いでないで~!右手にビール、左手につまみ!」
ごもっとも。
朝からくしゃみばかりしている。
花粉かもしれないけど。
そういえば今年はほとんど花粉症に苦しまされることはなくてよかった。
そもそも花粉の飛散量が少なかったらしいけど、2月のはじめから薬を飲み続けていたことが良かったのかもしれないと思っている。
去年は、症状が出るまでは薬を飲んでいなかった。しかも飛散量が多かったので大変な目に遭った。その反省を生かして今年は早めに飲むことにしていた。苦しまずに3月を終えることができて良かった。
ところで昨日の夜、九段下に行った。
桜を見るためだけに、8時ごろから。
北の丸公園にまず行って、あの、堀にかかる桜を後ろから見た。
後ろから見たというよりは桜の中に入った、といった感じだった。
それから堀に沿って遊歩道?を歩いた。人は多かったけどおそらく昼間の代々木公園に行くよりはマシだろう。
千鳥が淵の桜は、迫力があるだけじゃなくて品がある。
カメラを持っていかなかったことを少し後悔したが、しっかりと目に焼き付けておこうと思った。
どんな感じか、「千代田のさくら写真コンクール」で入賞した作品をここにお借りして貼り付けておきます。いい写真。
3.11の地震以降、ライトアップが行われたり行われなかったりしている。確か。
去年はタイミングが合わずに見れなかった。
ライトアップされたのをしっかり時間をかけて見たのはこれが初めてかもしれない。
歩きながら、周りの人々の会話を聞くのが面白い。
ある人が言っていたこと:
「桜って普通、上を見上げて、わーきれいだねって言うんだけど、ここの場合はなぁ、対岸の景色を見て楽しむんだもんなぁ。こういうのもありなんだよなぁ。」
なるほど、と思った。
散りかけてはいるものの、水面に写る桜はなんとも幻想的である。
例えば江戸時代の人々も同じ景色を見て、同じように桜を愛でたのだろうか、と想像してみると不思議と誇らしいような気持ちがした。
その後、屋台の並んでいる靖国神社のほうへ行った。
手を繋いで歩いているカップルに、屋台のおやじが一言
「ほらそこ手なんか繋いでないで~!右手にビール、左手につまみ!」
ごもっとも。
Thursday, 3 April 2014
フィリピン
3月26日から昨日まで、フィリピンに行ってきた。
7泊8日。
思った以上に強烈な国で、すっかりノックアウトされてしまった。
学生時代には欧州を中心に旅をしていた。
あとは、アメリカ、韓国、台湾など。
東南アジアに旅行するようになったのは最近のことだ。
これまでは東南アジアをひとくくりにして考えていた気がする。
しかし、訪れれば訪れるほど、それぞれの国の違いが見えてくる。
これまでの東南アジア旅行について振り返ると;
12歳のとき…マレーシアとシンガポール
2011年 春…ベトナムとカンボジア
2012年 夏…タイ
2014年 春…フィリピン
たしか、こんな感じ。
ベトナムとカンボジアがあまりにも興味/印象深かったので、そこで味をしめた、とも言える。
上に上げた6つの国だけでも、文化も、言葉も、歴史も、宗教も、政治も、全然違う。
似ている部分はあるかもしれないが、例えば一つのレストランでこれらすべての味を扱うのは難しい。
つまり、知れば知るほど、一言で「東南アジア」とは括れなくなってくる。
その違いはやっぱり自分で訪れて、五感をフルに使って感じないと分からない。
においと、光と。
手で触れて、目で見て、人々と話してみないと絶対に分からない。
というわけで、フィリピンについて。
何よりも興味深かったのは、スペイン(など)の植民地であったということと、その結果として国民がキリスト教徒であるということ。
埃っぽい町並み、アジア系の顔をした人々の中に、十字架が見えるのはとても新鮮で不思議な感じがした。
スペイン系の名前を持つ人々にたくさん会った。
スペインの次はアメリカ、そして日本、と、ずっと外国に支配され続けた国であるわけだが、それがどこかプラスにはたらいているような感じさえ受ける。
そもそもフィリピンとして、国ができたのは比較的最近のことだ。
いろいろな外国が入ってきてもそれを柔軟に受け入れてきたのだろう。
人々からは寛大な印象をうけた。
貧富の差は、これまで見たどこよりも激しかった(と思う。たぶん。私が見た範囲では)。
リゾート地やビジネス街と、そうでないところの間にはゲートがあって、そこには24時間、門番みたいな人がついている。
ゲートを出ると、道路はガタガタで何も整備されていなくて、人々の住居は、電気も水も無い。住居と言っても、板一枚でとりあえず仕切ってあるだけの小さな小屋?のようなものが密集している。
数ヶ月前に火事が起きたらしいのだが、まあ家がそんな感じなので一気に一つの地域が燃え尽きたらしい。
ただ、そこに住む人たちは明るい。
エネルギーに満ち溢れている。
朝は、6時前には日の出とともに目を覚ましている。
朝から夜まで共通しているのは、周りの人々ととにかくよく話すということ。
話すだけではない。
食べたり遊んだり、とにかく、徒歩圏内で誰かとかかわりあっている。
それと、エネルギーを感じる一番の理由は、子どもが多いということ。
すんごい多い。
えええと思うくらい多い。
たぶん、人口の半分以上が子どもなんじゃないかと思うくらい。
どこに行っても赤ちゃんがいる。
子どもどうし、10人以上の大所帯で常に遊んでいる。
遊び相手に困ることは無い。
もっと言うと、小さい子の面倒は、そのいくつか年上の子どもが見る。
それでも問題なくやっていける。
レストランで会ったフィリピン人から聞いた話では、彼の知り合いの男性は60歳で18人目の子どもができたそうだ。特に珍しくは無いらしい。
かわりに、お年寄りらしきお年寄りを全然見なかった。
この人はお年寄りかもしれない、と思ったおばあちゃんもたぶん50代後半だったのではないかと思う。
衛生状態が良くないので、平均寿命はきっと短いだろう。
貧富の差が激しい、と聞くとすぐに「かわいそう」とか「救ってあげなきゃ」とか言う人がいるけど、はっきり言って、本人たちにそんな悲壮感は全然ないです。
カンボジアに行ったときにも同じことを思ったけど。
まともな教育をみんなに受けさせたい、というのは、確かに、強く思う。
それはまた別として、本人たちが、自分の境遇を哀れんでいるかと言えば、絶対に違う。
ボロボロの家から、はしゃぎながらパンツ一丁の男の子たちが出てきて、私たちに「ハロー!!」とキラキラした目を向ける。
青い空の下、青い海に、勢いよく飛び込む子どもたちを見ていると、幸せってなんだろうなあと思う。
東京で、電車にゆられてスマホとにらめっこしながら通勤通学している人たちのことを考える。
そして仕事が辛すぎて精神的に病んだり、過労死に至ったりする人がいるという事実を。
もっと言えば、人生が嫌になって、自殺をする人がいるという事実を。
彼らを非難するわけではない。
だけど、どんなにモノに囲まれても永遠に満たされないって、どういうことだろうか。
日本には、なーんでもあるのに。
なーんでも。
時間を除いた、なーんでも。
いつだったか、「東京の人たちは mentally dead」と、ニュージーランドの人が言っていたのを思い出した。
「南アフリカってphysically dangerousだけどmentally energeticらしい。でも東京はphysically safeでmentally dead」と。
フィリピンでも同じことが言えるかもしれない。
細かいことを書くとキリが無いので、一番強く感じたことを、忘れないうちにここに書いておく。
7泊8日。
思った以上に強烈な国で、すっかりノックアウトされてしまった。
学生時代には欧州を中心に旅をしていた。
あとは、アメリカ、韓国、台湾など。
東南アジアに旅行するようになったのは最近のことだ。
これまでは東南アジアをひとくくりにして考えていた気がする。
しかし、訪れれば訪れるほど、それぞれの国の違いが見えてくる。
これまでの東南アジア旅行について振り返ると;
12歳のとき…マレーシアとシンガポール
2011年 春…ベトナムとカンボジア
2012年 夏…タイ
2014年 春…フィリピン
たしか、こんな感じ。
ベトナムとカンボジアがあまりにも興味/印象深かったので、そこで味をしめた、とも言える。
上に上げた6つの国だけでも、文化も、言葉も、歴史も、宗教も、政治も、全然違う。
似ている部分はあるかもしれないが、例えば一つのレストランでこれらすべての味を扱うのは難しい。
つまり、知れば知るほど、一言で「東南アジア」とは括れなくなってくる。
その違いはやっぱり自分で訪れて、五感をフルに使って感じないと分からない。
においと、光と。
手で触れて、目で見て、人々と話してみないと絶対に分からない。
というわけで、フィリピンについて。
何よりも興味深かったのは、スペイン(など)の植民地であったということと、その結果として国民がキリスト教徒であるということ。
埃っぽい町並み、アジア系の顔をした人々の中に、十字架が見えるのはとても新鮮で不思議な感じがした。
スペイン系の名前を持つ人々にたくさん会った。
スペインの次はアメリカ、そして日本、と、ずっと外国に支配され続けた国であるわけだが、それがどこかプラスにはたらいているような感じさえ受ける。
そもそもフィリピンとして、国ができたのは比較的最近のことだ。
いろいろな外国が入ってきてもそれを柔軟に受け入れてきたのだろう。
人々からは寛大な印象をうけた。
貧富の差は、これまで見たどこよりも激しかった(と思う。たぶん。私が見た範囲では)。
リゾート地やビジネス街と、そうでないところの間にはゲートがあって、そこには24時間、門番みたいな人がついている。
ゲートを出ると、道路はガタガタで何も整備されていなくて、人々の住居は、電気も水も無い。住居と言っても、板一枚でとりあえず仕切ってあるだけの小さな小屋?のようなものが密集している。
数ヶ月前に火事が起きたらしいのだが、まあ家がそんな感じなので一気に一つの地域が燃え尽きたらしい。
ただ、そこに住む人たちは明るい。
エネルギーに満ち溢れている。
朝は、6時前には日の出とともに目を覚ましている。
朝から夜まで共通しているのは、周りの人々ととにかくよく話すということ。
話すだけではない。
食べたり遊んだり、とにかく、徒歩圏内で誰かとかかわりあっている。
それと、エネルギーを感じる一番の理由は、子どもが多いということ。
すんごい多い。
えええと思うくらい多い。
たぶん、人口の半分以上が子どもなんじゃないかと思うくらい。
どこに行っても赤ちゃんがいる。
子どもどうし、10人以上の大所帯で常に遊んでいる。
遊び相手に困ることは無い。
もっと言うと、小さい子の面倒は、そのいくつか年上の子どもが見る。
それでも問題なくやっていける。
レストランで会ったフィリピン人から聞いた話では、彼の知り合いの男性は60歳で18人目の子どもができたそうだ。特に珍しくは無いらしい。
かわりに、お年寄りらしきお年寄りを全然見なかった。
この人はお年寄りかもしれない、と思ったおばあちゃんもたぶん50代後半だったのではないかと思う。
衛生状態が良くないので、平均寿命はきっと短いだろう。
貧富の差が激しい、と聞くとすぐに「かわいそう」とか「救ってあげなきゃ」とか言う人がいるけど、はっきり言って、本人たちにそんな悲壮感は全然ないです。
カンボジアに行ったときにも同じことを思ったけど。
まともな教育をみんなに受けさせたい、というのは、確かに、強く思う。
それはまた別として、本人たちが、自分の境遇を哀れんでいるかと言えば、絶対に違う。
ボロボロの家から、はしゃぎながらパンツ一丁の男の子たちが出てきて、私たちに「ハロー!!」とキラキラした目を向ける。
青い空の下、青い海に、勢いよく飛び込む子どもたちを見ていると、幸せってなんだろうなあと思う。
東京で、電車にゆられてスマホとにらめっこしながら通勤通学している人たちのことを考える。
そして仕事が辛すぎて精神的に病んだり、過労死に至ったりする人がいるという事実を。
もっと言えば、人生が嫌になって、自殺をする人がいるという事実を。
彼らを非難するわけではない。
だけど、どんなにモノに囲まれても永遠に満たされないって、どういうことだろうか。
日本には、なーんでもあるのに。
なーんでも。
時間を除いた、なーんでも。
いつだったか、「東京の人たちは mentally dead」と、ニュージーランドの人が言っていたのを思い出した。
「南アフリカってphysically dangerousだけどmentally energeticらしい。でも東京はphysically safeでmentally dead」と。
フィリピンでも同じことが言えるかもしれない。
細かいことを書くとキリが無いので、一番強く感じたことを、忘れないうちにここに書いておく。
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