Thursday, 3 April 2014

フィリピン

3月26日から昨日まで、フィリピンに行ってきた。
7泊8日。
思った以上に強烈な国で、すっかりノックアウトされてしまった。
学生時代には欧州を中心に旅をしていた。
あとは、アメリカ、韓国、台湾など。

東南アジアに旅行するようになったのは最近のことだ。
これまでは東南アジアをひとくくりにして考えていた気がする。
しかし、訪れれば訪れるほど、それぞれの国の違いが見えてくる。

これまでの東南アジア旅行について振り返ると;

12歳のとき…マレーシアとシンガポール
2011年 春…ベトナムとカンボジア
2012年 夏…タイ
2014年 春…フィリピン

たしか、こんな感じ。
ベトナムとカンボジアがあまりにも興味/印象深かったので、そこで味をしめた、とも言える。

上に上げた6つの国だけでも、文化も、言葉も、歴史も、宗教も、政治も、全然違う。
似ている部分はあるかもしれないが、例えば一つのレストランでこれらすべての味を扱うのは難しい。
つまり、知れば知るほど、一言で「東南アジア」とは括れなくなってくる。

その違いはやっぱり自分で訪れて、五感をフルに使って感じないと分からない。
においと、光と。
手で触れて、目で見て、人々と話してみないと絶対に分からない。

というわけで、フィリピンについて。

何よりも興味深かったのは、スペイン(など)の植民地であったということと、その結果として国民がキリスト教徒であるということ。
埃っぽい町並み、アジア系の顔をした人々の中に、十字架が見えるのはとても新鮮で不思議な感じがした。
スペイン系の名前を持つ人々にたくさん会った。

スペインの次はアメリカ、そして日本、と、ずっと外国に支配され続けた国であるわけだが、それがどこかプラスにはたらいているような感じさえ受ける。
そもそもフィリピンとして、国ができたのは比較的最近のことだ。
いろいろな外国が入ってきてもそれを柔軟に受け入れてきたのだろう。
人々からは寛大な印象をうけた。

貧富の差は、これまで見たどこよりも激しかった(と思う。たぶん。私が見た範囲では)。
リゾート地やビジネス街と、そうでないところの間にはゲートがあって、そこには24時間、門番みたいな人がついている。
ゲートを出ると、道路はガタガタで何も整備されていなくて、人々の住居は、電気も水も無い。住居と言っても、板一枚でとりあえず仕切ってあるだけの小さな小屋?のようなものが密集している。

数ヶ月前に火事が起きたらしいのだが、まあ家がそんな感じなので一気に一つの地域が燃え尽きたらしい。

ただ、そこに住む人たちは明るい。
エネルギーに満ち溢れている。
朝は、6時前には日の出とともに目を覚ましている。
朝から夜まで共通しているのは、周りの人々ととにかくよく話すということ。
話すだけではない。
食べたり遊んだり、とにかく、徒歩圏内で誰かとかかわりあっている。

それと、エネルギーを感じる一番の理由は、子どもが多いということ。
すんごい多い。
えええと思うくらい多い。
たぶん、人口の半分以上が子どもなんじゃないかと思うくらい。
どこに行っても赤ちゃんがいる。

子どもどうし、10人以上の大所帯で常に遊んでいる。
遊び相手に困ることは無い。
もっと言うと、小さい子の面倒は、そのいくつか年上の子どもが見る。
それでも問題なくやっていける。

レストランで会ったフィリピン人から聞いた話では、彼の知り合いの男性は60歳で18人目の子どもができたそうだ。特に珍しくは無いらしい。

かわりに、お年寄りらしきお年寄りを全然見なかった。
この人はお年寄りかもしれない、と思ったおばあちゃんもたぶん50代後半だったのではないかと思う。
衛生状態が良くないので、平均寿命はきっと短いだろう。

貧富の差が激しい、と聞くとすぐに「かわいそう」とか「救ってあげなきゃ」とか言う人がいるけど、はっきり言って、本人たちにそんな悲壮感は全然ないです。
カンボジアに行ったときにも同じことを思ったけど。

まともな教育をみんなに受けさせたい、というのは、確かに、強く思う。
それはまた別として、本人たちが、自分の境遇を哀れんでいるかと言えば、絶対に違う。

ボロボロの家から、はしゃぎながらパンツ一丁の男の子たちが出てきて、私たちに「ハロー!!」とキラキラした目を向ける。
青い空の下、青い海に、勢いよく飛び込む子どもたちを見ていると、幸せってなんだろうなあと思う。

東京で、電車にゆられてスマホとにらめっこしながら通勤通学している人たちのことを考える。
そして仕事が辛すぎて精神的に病んだり、過労死に至ったりする人がいるという事実を。
もっと言えば、人生が嫌になって、自殺をする人がいるという事実を。

彼らを非難するわけではない。
だけど、どんなにモノに囲まれても永遠に満たされないって、どういうことだろうか。
日本には、なーんでもあるのに。
なーんでも。
時間を除いた、なーんでも。

いつだったか、「東京の人たちは mentally dead」と、ニュージーランドの人が言っていたのを思い出した。
「南アフリカってphysically dangerousだけどmentally energeticらしい。でも東京はphysically safeでmentally dead」と。

フィリピンでも同じことが言えるかもしれない。

細かいことを書くとキリが無いので、一番強く感じたことを、忘れないうちにここに書いておく。

お父さんの回復、12月の疲れ

父が入院している。経過は良いようで、退院が見えてきたらしい。よかった。毎日のようにテレビ電話で様子をきいているが、話す様子が1日、1日と元気になっていくのがわかる。人間の身体はすごいなあ。 話を聞くたびに、普段の姿勢とか、動き方とか、注意しなければと思う。身体に負担をかける動きを...