Saturday, 24 December 2016

「おかあさんはね」

数学の試験を受ける夢を見ました。
隣の家の人とかいろんな人が受験をしていてみんな時間内に解き終わって提出していく中で例によって私だけ残っていて、最後まで空欄だらけの状態だった。試験監督のお姉さん(どこかで見たことある人だった)が甘くて、よけいに時間をくれた。そのとき答案用紙(かマーク用紙か忘れたけど)を裏返したらそれが調理された白身魚で、手には箸を持っていた。何だったんだろう。

************************************

私はこどものまえで自分のことを「おかあさん」とか「ママ」とか呼ばない。
こどもが産まれたら「お母さんはね」とか言うようになるんだろうか、と思っていたけど、ならなかったし、たぶんこれからもそう呼ぶことはない。たぶん。

意識してそうしないようにしているのか、というと、そういうわけではない。
自然と「おかあさんはね」というようなフレーズが口から出てこない、ただそれだけのことだ。
(そもそも、誰が呼ぼうとも日本語話者が「ママ」と呼ぶのにはとてつもない抵抗があるのだがそれはまた別の話。)

どうやって人は、自分のことを「おかあさん」と呼ぶようになるんだろう、と時々考える。
それまで「おかあさん」ではなかった人たちが、母になったら、自覚が芽生えて自分のことを「おかあさん」と呼ぶようになるのだろうか?

とすると、私に自覚がないのだろうか?

そういうわけではない。と、少なくとも自分では思っている。
こどもを守るのは私であり、親として責任を感じている。

ただこれまで「わたし」だった一人称が突然「おかあさん」には、どうも、なれないのである。
どうも、なれない、と言っていつも気にしているのかというとそうでもない。
ふと「この子は私をなんと呼ぶようになるんだろう」と思うときに出てくる小さな疑問にすぎない。
私以外の人が「ほらおかあさんが」とか言うのを聞いて「おかあさん」と呼ぶようになるのだろうか。
それもまた変な話だ。

なるようになるだろうし、正解はない。



どうして「おかあさんはね」という言葉が出てこないのか、その理由についてすこし考えてみる。

「母である以前に女であり、一人の人間であり、私はわたしなのである。」

という考え方がいつも頭に、あるいは心にあるから、かもしれない。
別にそう呼ばないように意識をしているわけではないので、自分でも分からないのだが。

私はこの子の母であり、ふたりは親と子という関係だが、それぞれ別の人間である。
この子に責任を負っているが、この子の一生にわたって責任を負い続けるわけではない。
それぞれが自立した別の人間なのである。



…とかなんとか言って、来年の今頃は「おかあさんはね」と言ってるかもしれません。しゃべるようになる日なんて想像つかないなあ。

Friday, 23 December 2016

A.R.I BAKING BOOKよりにんじんケーキ

ようやく睡眠不足が解消された。

ここ2週間、夜は9時に寝ていたのだが、すっきりと目覚められなくなっていた。郷里に帰ってからは相変わらず夜中の授乳が2回。
東京にいたときは夜8時ちょうどに就寝し、夜中の授乳が1回だけだったので、睡眠が不足してくるのは当然といえば当然なのである。
というわけできのうは8時ちょうどに就寝した。夜中の授乳は2回だったが、今朝はきれいに、すっきりと6時に目覚めた。子どもも6時に目覚めた。やっぱり気持ちが良い。朝型最高だよなあと思いながら、子どもと一緒に基礎英語を聞き、私がラジオ体操をして、子どもがそれを見る。たいしたことなさそうだけどこの流れがとても大切である。それが「毎日の」流れであるということ。習慣というものの持つ力を私はこれまでの人生でしっかりと実感している。

******************************

さて。

先日、妹から「毎日何して過ごしてるの」と言われた。
確かに。

仕事もしていないし、車の運転もできないのでどこかに行けるわけでもない。もっともな疑問だ。

答えは「散歩とお菓子作り」である。

そう、お菓子作り。

物理的にも、精神的にも余裕がない限りできないことの一つであると私は思っている。子どもの世話の合間を見つけながら、お菓子作りをしている。

先日、図書館からこんな本を借りてみた。

その中から、きのう、にんじんケーキを作ってみた。
ネットのレビューを読んでいたらこの本のレシピのなかでは評判が良いらしかったので試しにと思って作ってみた。

これがなかなかおいしいのだ。
にんじんを2本も入れたのに、ぜんぜんにんじんっぽさが無い。

忘れないうちに分量を:

にんじん160g
レーズン、くるみ 各50g
卵 2コ
薄力粉 175g
ベーキングパウダー
シナモンパウダー
バター100g
きび砂糖 125g

今、手元に本が無いのだが、記憶している限りではこんな分量だった。

書いてあるのと異なるのは:
・ベーキングパウダーとシナモンパウダーが無かったので省略した。
・にんじんはみじんぎりにと書いてあるが、主張しすぎるかもしれないなと思って一本はすりおろした。


思ったよりは単純な作り方だったので、次回は分量をアレンジしながら作ってみたい。
例えば砂糖とバターが多めなので、減らしたり、バターをオリーブオイルに変えてみたり。

これ以外にもおいしそうなレシピがたくさんあるので、いっそのことこの本買っちゃおうかと思っている。レシピ本を買うことなんて滅多にないんだけど。

***********************************

道具をたくさん使ったり、神経の細やかさが必要とされたり、するようなお菓子作りはあまりしない。そもそも、自分があまり食べたいと思わないようなものは作らない。少しくらい分量が適当でも、バーンとできて、みんなが喜んで食べられるような、焼き菓子は、作っても食べてもやっぱり楽しい。

Tuesday, 20 December 2016

ブログ書けない

なんと、もう二十日になってしまった。郷里に戻って早2週間。
書くべきことはたくさんあるのだが…

とここまでキーボードの音を鳴らしたところで子どもが起きてしまった。
コーヒーまでいれて、静寂のなか、パソコンを開いたばかりだったというのに。うーむ。なかなかうまくいかないものだ。もう三ヶ月半になるので、一時期よりはだいぶ手が離せるようにはなったが、それでもまだ自分の時間を持つようになるのにはほど遠い。ブログがちっとも書けないのであります。

Monday, 12 December 2016

紅葉のいろ

先週から郷里に帰っている。



ドタバタ、あるいはゴタゴタしていてちっともブログ更新できませんでした。
が、元気でやっています。

冬の朝は良い。特に12月の、天気の良い日は最高だ。
1月と2月になると寒すぎる。12月は澄んだ空気を存分に味わうことができる。

ここは東京よりもだいぶ暖かい。
毎日散歩ばかりしている。午前1回、午後1回。
紅葉がとてもきれいだ。
紅葉の木の下に来ると、子どもが手足をばたつかせて喜ぶ。
生後3ヶ月であれ、30年であれ、この色には誰だって反応せざるを得ないのである。

Friday, 2 December 2016

12月になった

12月になった。
郷里から東京に戻ってたったの1ヶ月しか経っていないことにかるいショックを受ける。
今までに起こったことがたったの1ヶ月間の出来事だったのか?
毎日いっぱいいっぱいだったし、一週間はあっという間に過ぎて行く気がした。
それでも11月は長かった、と感じる。




「どんな思い出もとっておきたい」

 きのうから小学校は給食がない。Fは仕事がある。4時間で帰宅するのでお昼には家にいなければならず、仕事どうしようかと頭を抱えていた矢先、Fの仕事が午後からだからお昼は心配ないということがわかった。ホッと一安心。それでも少し早めに退勤して3時には家についた。お好み焼きを作ることにな...