Thursday, 30 July 2020

ご近所さんと親しくなる

この地域に越してきたのが2016年5月。4年が経って、顔見知り、知り合いと呼べる人たちがここにも出来てきた。以前から顔見知りではあったがコロナの間により知り合うことができたと思っている。家にいる期間が長いと、近所の人と顔を合わせる頻度が増えるためだ。これもコロナの恩恵だろうかと思っている。

なかでも、Sさんとは特に親しくなった。常にご夫婦で買い物や散歩にお出かけされる。その途中にある消防署の前に私と子がいつもいるので、声をかけられるようになったのがきっかけだった。2歳ぐらいの頃だったと思う。定位置にいる私たちにいつも声をかけてくださり、家の方向が同じとわかったので一緒に歩いて帰ったりもした。

しばらく前に「もし、預け先が無かったりして困ったら電話ください」と言われて電話番号を交換した。家族が佐賀とイタリアにある私たちにとって、こういう言葉はありがたいことこの上ない。とても嬉しかった。

昨日の夕方は、実家から届いたお菓子を持ってお宅に伺ったが、中にまで入れてもらった。子はまるで自分の家かのようにくつろいで、懸命に消防車の話をしていた。

「ずっとこちらにお住まいですか」ときくと、オリンピックの次の年から、だと言う。長い。こうやって生粋の、東京の人と話すことはあまりない。あるとしても若い人だけなので、子育ても終わって引退生活を送っていらっしゃるような人とのお話はたいへん興味深いものがある。

田舎出身の私はどうしても「都会人はお高くとまっている」みたいなイメージを持ちがちなのだが、こうやって良い人たちに会うと、結局どこにいてもベースは同じだし、良い人はいい人だなと思う。時々こういうことがあるのだ。

さて、この夏は帰省を断念せざるを得ず、何をしようかと考えている。都内のホテルに一泊、海の側のホテルに一泊、というのが今のところの案。

Saturday, 18 July 2020

寝付かない、万年筆、キッチンスパッター

昨夜は子が寝なくて困った。寝ないと言っても騒ぎまくるわけではない。無言でずっとゴロゴロと転がり続ける。そして足をバタバタさせる。どうしても入眠できないらしい。本人も寝ようとはしていたのだ。これがなんと2時間半続き、10時半にようやく寝た。長かった。私も一緒に寝ればいいのだろうが、冷凍庫でハーゲンダッツが待っているのを知っていたのと、次の日が休みだというのがわかっていると、あと少し起きたい。そして9時前に眠気がいったん通り過ぎてしまった。だんだんイライラしながらも子が寝るのを待ったのだった。

万年筆を使うようになってから1年とちょっとが経つ。おかげで書くことが楽しくなり、面倒さなんてなくなってしまった。「何か書きたい」とさえ思う。書く材料を探してしまう。きょうはEテレでoasisのwonderwallを歌っていたのを見て、歌詞を書いてみた。あとは源氏物語と竹取物語の冒頭部分。美しいなあ。どれも美しい。

きょうはしっかり雨が降っているのであまりいろいろ活動はしないことにする。たぶん午後から止むだろうけど。買い物とか裁縫とか料理とか、しよう。

ところで念願の「キッチンスパッター」が手に入った。ステンレス製のキッチン鋏。どうしても売り切れが続いていた。人気なのだ。オンラインで何月何日の2時に販売開始、と言われていて試みてみたが30秒くらいで売り切れになる。そうなるとますます欲しい。粘り強くネットで探し続けていたら、狙っていたよりさらに安い値段(4200円)で手に入った!なんという幸運。

昨日届いたのだが、想像通り美しい。いい重みだ。ここ数年、こういうのを買うときには「一生もの」と思って買っている。大事に長く使う。

Friday, 17 July 2020

ひと段落してふりかえり。

仕事が一段落。夏休みはもうすぐだ。仕事再開からここまで駆け抜けた感がある。もっと何かできたような気もするが、実際はこれで精一杯、手一杯だった。再開といっても今までのようにできるわけではなかった。コロナ明けはこんなにいろいろなことが普通にいかないのかともどかしく思った。

マスクをして話すというのがその一つ。これは大変だった。これからも続いていくのかと思うとやや気が滅入るが慣れてきた感じもある。

そして体力が追いつかなかった。コロナ明け初回の仕事では脚がむくんだ。こんなのは就職一年目以来である。立っていることに慣れていないのだ。週2回は水泳に行くようにして、睡眠もきっちりとるようにして、ようやく回復が早くなってきた気がする。

まためまいがする。これをめまいと呼ぶのかどうかわからないけど、ときどき視界と自分の位置がガクンと合わなくなるような時がある。一瞬で終わるが車酔いのような気持ち悪さがある。数年前、これがひどかったときは起き上がれなかった。去年の秋だったかにも、同じようなことがあった。三半規管の問題だろうと思うがしっかり休めているときにはこれは起きない。気象病というのにもちょっと当てはまっていると思う。

こどもがどんどん大きくなっていく。最近は急に理由をつけて泣き出すことがあって、そのへの字に曲がった口や、「ひぃぃぃ〜」という高い声のトーンがもはや役者である。しかも突っ伏して泣く。

先日。トイレに行かないとテレビは見せないと私に言われ、最後の頼みの綱である祖父母にもついにテレビはダメと言われたものだから泣き始めたのだがその時の理由は「ぼくは眠いんだよう〜。おじいちゃんとおばあちゃんがしゃべると僕は眠くなるんだよぅ〜〜」。テーブルに突っ伏してまるでヤケ酒を飲むオヤジのよう。

そして一昨日は保育園の先生が「昼寝のときにほかの子と騒ぎそうだったのでお布団の位置を変えたんですがそれがきっかけで泣き出した」らしく、その時の理由が「冷蔵庫にあったりんごジュースを飲まずに来てしまった」らしい。先生が爆笑しながら教えてくれた。

面白い。面白すぎる3歳がもうすぐ終わる。

Saturday, 11 July 2020

つらさは、じっと耐えるしかない

相談相手が欲しいと思ったときにどうするか。これまではとりあえず友達に話したいと思っていた。しかし歳をとって、子どもが生まれて、となると自然と相談相手がより年上の知人に移行してくる。ということに最近気づいた。

ただ話を聞いて欲しい、というのももちろんあるが実際ほんのちょっとでもいいので後押しとかアドバイスとか欲しいときがある。そういうときに参考にしたくなるのが年上の知人や同僚である場合が多い。年上といっても一回り以上も上の人たち。つまり自分の親に近いような年齢。

ただそういう人たちってそんなに身近にはいない。親や親戚は遠くに住んでいて、すぐに顔の見れる距離にはいない。まあそれが普通なのかもしれないけど。

かといって同年代の友達なら近くにいるかというとそうでもない。近いけど遠い、というか、そんな頻繁には会わない。それぞれに違う職につき、家族を持っていたりすると尚更、「ぶっちゃけ」られる程度が変わってくる。これが大学時代とはまったく違うところ。大学時代はみんな近くにいたし、すぐに会えたし、そもそも時間にゆとりがあった。懐かしがっても仕方ないのだが。

時々、自分がひとりぼっちになってしまったような気持ちになる。行き場のない孤独と疎外感がある。そして将来について、迷い始める。現実は直視しなければならないし、最終的に頼れるのは自分しかいない。恐れたり戸惑ったり苦しんだりしても前には進まないようだが、困難や苦しみは耐えるしかない。そういうのが人生を深くするのだ、と村上春樹も言ってたじゃん。耐えているうちに前に進んでいる。強くあれ、自分。がんばれ、自分。立ち向かえ、自分。守るべき我が子のいる今、くずれている場合ではない。強張った自分の肩を自分で抱いて寝るしかない。強がっても強がっても出てくる涙。止めなくてもいい。こんな自分と一生付き合うのは、ほかでもない私なのだ。

お父さんの回復、12月の疲れ

父が入院している。経過は良いようで、退院が見えてきたらしい。よかった。毎日のようにテレビ電話で様子をきいているが、話す様子が1日、1日と元気になっていくのがわかる。人間の身体はすごいなあ。 話を聞くたびに、普段の姿勢とか、動き方とか、注意しなければと思う。身体に負担をかける動きを...