「そういえばおこのみやき食べたことないかもね」
こんなに簡単でおいしいんだったら、また作ろうね、と言って満足して夕飯を終えた。
「まさか人生でこんなことがおきるなんて…」
夜10時過ぎ、救急にて息子の発言。そうなんですきのうは大変だったんです。
11月10日の夜、寝ている間に子ののどから「ひゅーひゅー」という音が聞こえる。珍しいなと思った。翌日なんだかぐったりしていて、熱はないけど苦しそうで、私にしては珍しく、これは学校無理だなと思って休ませた。夕方病院に行って吸入。
その週は結局元気になり、普通通り過ごした。
薬が切れたころ、咳がはじまった。寒くなってきたしそういうものかなと思いながらも11月20日、ふたたび受診。薬をもらって、飲み続けることに。
23日と24日、週末はプールに行ったり友達と学園祭に行ったりして過ごした。24日の昼すぎから咳込み始めた。結構ひどい。
25日朝6時前「苦しい」と言って涙を流しながら起きてきた。そうか苦しいか、と言いながらとりあえずごはんを食べさせて、病院に行くことに。仕事には遅れて行くことにした。幸い時間割変更があったので10時半に間に合えばよかった。
4番目の患者だった。診察→吸入→診察→吸入 が続き、結局1時間半も病院にいた。だんだんと仕事に間に合わなくなってきたので、パパと交代しようということになって病院に来てもらった。本当に助かった。そこからわたしは仕事へ、子は学校へ。元気になったので学校は行っていいだろうと思った。私は仕事に間に合った。
大丈夫だろうと思ってはいたが念の為、仕事は早めに切り上げて4時すぎには帰宅。すると子は午前中よりもっと苦しそう。「行かなきゃよかったよ学校に」という。苦しい苦しいと言っている。休めばよくなるだろうと思っていたがFは「吸入器を処方してもらわないとだめだ」と強くいう。そんなこと言われても、午前中は今の段階では処方できないと言われたので仕方ない。そのうち本当に苦しそうになってきた。これは夕方、吸入のためにもう一度受診すればよかった、と思ったときにはちょうど6時で、もう遅かった。夜間診療に行くしかないな、と思ったけどそれは7時半から開始なので、待つしかない。そのうち子は眠った。ものすごく苦しがっていた。しゃべれないほど息ができないのに途中に「つらいな」とか「なるべく親のいうことをきこう」とか言っていて見ていていたたまれなかった。朝も早かったし、ちゃんと眠れてないだろうし、そもそもこれだけ息ができていないので体が本当に疲れている。学校に行かせるべきではなかった、と悔いた。しかし悔いても仕方ない。終わったことだ。
7時半まで子の寝顔を見ながら、頭をなでながらすごした。少しもお腹がすかない。原因が知りたいという思いはなく、それより、いつものうるさくて元気にとび回っている姿がとても昔のように思えた。この子の「苦しい」は本当に苦しかったのだろう、私にはそれがわからなかった。
7時半になるや否や、電話をかけた。急患は、家のすぐ近くにある。本当に恵まれていると思った。子を起こして、上着をかけて、自転車の後ろにのせて行った。比較的すぐ診てもらえた。寝たあとなので、さっきよりだいぶマシになっていて、しゃべれるようになっている。よかった、と思った。もうあんな姿は見たくない。
とても優しいお医者さんだった。酸素を測って、「もしもし」をして「うーん、こんなに酸素が入っていない状態で、しゃべれているのがおどろき」と言われた。「このまま夜を迎えて、夜になって酸素が必要になる」そうで、「入院レベル」と言われた。
なんと。
入院。
頭のなかに、翌日以降の予定と自分の持ち物その他がぐるぐるーっと回りながら通って行った。入院か。それは嫌ですとは言えない。私の身体ではない。
成育医療センターなら、結構粘って治療してくれるので家に帰れる可能性が高い。ほかの医療機関だったらおそらくすぐに入院です、と。成育のカルテ持ってます、というと医師の声がパッと明るくなって「そうですか」と。結局成育に行くことになった。9時が近づいていた。普段寝る時間なのに。こんなに寒いのに。しかし「このまま家に帰すわけにはいかない」と。医師の説明を聞いて、そんなに苦しかったとは、とその日の朝涙を流しながら起きてきた子の様子を思い浮かべた。大袈裟に泣くことがあるので、「またまた」と思ったのだが、あれは本当だったんだろう。なぜこうも疑ったり厳しくしたりしてしまうんだろう、と思った。
紹介状を書いてもらって、薬局で一粒薬をもらった。Fはいったん家に帰って、必要と思われるもの、もし入院したら使うかもしれないものを取りにいってくれた。こういうとき2人いるというのは心強い。しかし医師の説明を私がイタリア語でできないので、コミュニケーションが壊れる。結果的にお互いイライラする。いつもそうだ。
タクシーをつかまえて、成育へ向かった。9時。15分くらいで着きますと言われた。救急センターにかかるのは初めてである。あの苦しそうな顔を見た時に、これは救急車かもしれないと思った。もしかしたら救急車を呼んでいたらここにきたのかもしれない。
成育についたら、なんだかついただけでホッとした。ここなら、何があっても絶対に大丈夫。絶対に守ってもらえる。世界最強の小児科だとわたしは思っている。待って、吸入して、レントゲンを撮って、これはほぼ確実にぜんそくだろう、ということだった。
暗くなった夜の病院を息子と歩くのはなかなか珍しい体験だった。診察をうけながら「はあ、まさか人生でこんなことが起きるなんて」と息子がぼやく。「そうだね、でも前にもこうやって急に病院にかかったことはあるよ。入院したこともあるよ」というとたいそう驚いていた。
病院から出たのは夜11時過ぎていた。もう完全に眠くて仕方ない時間。タクシーの運転手さんがおしゃべりな方で、結構話が面白かった。息子はぐったりしている。症状はだいぶよくなって、いまはただ眠い。
病院でこどもようマスクを買うために、100円が必要だったのでセブンイレブンに行っておにぎりを買ったのだが、そのおにぎりを「いつ食べられる?」と聞いていた。家に帰ってから、開けてあげるとたいそう喜んで食べた。夕飯を何も食べていなかった。食欲が出たのは何より。私はまだお腹が空かなかった。
イタリアから届いた大きな荷物を開けて、おもちゃで遊んだりして、いつもの子に戻ってきた。よかった。本当によかった。「はぁ〜、家がいちばんだなあ」と言って、ふとんにくるまって眠りについた。今日は学校を休ませたほうが良いように思っている。
きのう、水曜は出勤しない日だった。これでもかというほどの素敵な天気で、なにをしようかとワクワクする。空気は澄んで、空には雲一つない。8時に子を送り出す。掃除と洗濯をして、そのまま家にいることもできるけどやはり朝はいったん外に出たいタイプの人間なので、仕事道具を持って近くの保健センターへ。カフェがあって、Wifiが使えないので、そこがわたしにはちょうどよく、集中して何かを読んだり書いたりしなければいけないときにはここにくる。生徒から預かった添削問題が、レベッカ・ブラウンの小説で、柴田元幸訳だったのでこれは興味深かった。
1時間くらいして、家に帰って、本日の課題である服の整理をした。引き出しから全て出してたたみ直す。定期的にこれをしないと、どんな服を持っているか把握できない。それにしても多い。馬鹿馬鹿しくなるような「山」ができた。
座って作業をすると腰と背中が痛くなる。だから机の上に置いてやった。必要ないものがたくさんある。リサイクルに出したり誰かに譲ったりしようと思う。
昼ごはんには焼いたサバと、サラダを食べた。食べながらアップルパイを焼いた。200度で30分はやはり焼き過ぎなのだろう、焦げた。
お茶の水の病院へ行く。ミレーナの調子をみるため。1時40分に予約なのに、呼ばれたのは2時40分。テレビでは各都道府県からのニュースをやっている。山口県の小学生がイルミネーションを作った、とか。前日から頭が痛かったのと関係がある。
待っている途中でうとうとした。疲れているときのパターンなので自分でもわかる。前日に、同僚から言われた「気が休まってないんじゃないですか」というのを思い出して、そういうことだ、とあらためて思う。
子供の体調不良からの回復にホッとしただけではなく、日曜のセミナーが終わってホッとしたのもあるのだろう。いっきに緊張が解けてどっと疲れが襲ってくる。いつものパターンだ。体調不良はいちばん大変なときにくるのではなく、ホッとしたとき、つまり緩んだときに出てくる。人間の体はよくできているなと思う。
帰ってから、溶けるように横になった。熱はない。
きょうは溶けるべき日なのだ。
「まま!!がんばって!」
ハッと目を開ける。これを繰り返す。
何のことかというと、寝る前に子に本を読むときのことだ。毎日こうではないが、昨日はうとうとがすごくて最後のほうはずっとこんな感じだった。
文字もなにもわからない頃から、寝る前に本を読むというのが親子の習慣である。無理矢理ではない。私も好きでやっているし、子も「読んで」というのでずっと続いている。10分くらいしか読めないときもあるし30分以上読んでいるときもある。読む本の種類も変わり続けていて、おそらくここ1年ぐらい?は「グレッグのダメ日記」という、小学校中学年〜高学年向けの本を読んでいる。音読するようなものではなくてひとりで黙って読むものだと思うけど、これを読んでいる。絵本ではない。主人公グレッグのダメさが現実的にせまってきて私でも共感できることが多い。子はこれが気に入っていて、シリーズを読み始めてついに14冊目まできてしまった。発行されているのは18までということがわかっていて、だんだん終わりに近づいてきていることを2人とも感じている。
ある日のこと。「まま、ゆっくり読もうか」
と言われて、うんなるほどねと思った。ほかの本と交代に読めば長く読めるかもよ、と言ったら「たしかに」と言っていた。
いつまでこうやって本を読んでくれるかなあ、と言うと「ま、おとなになったらないだろうけどね、さすがに」と答える。いつまでも読んでいたい気がする。
さて、私自身、寝不足のつもりはなかったのだが、きのうはなんだか日中頭が痛かった。たぶん前の日(月曜)に早く起き過ぎたのと、子が体調不良だったのがあると思う。ぜんそくみたいにヒューヒュー喉から音がして、学校を休み、夕方に病院に行ったけど、吸入を2回もやって時間がかかって、それから薬局に処方箋を出しに行って、いったん家に帰って、そのあと薬局に戻って薬を受け取る、ということをやった。結構疲れた。心配もしたし、時間もかかった。翌朝、つまりきのうはだいぶ良くなっていたので、ほっとして、張り詰めていた緊張がとけたのかなと思う。頭が結構痛い、と同僚にいうと、気が休まってないのではないか、と言われた。
きょうは休みだから、すこしゆっくり過ごそうと思う。5時におきてアップルパイの中身を作ったので、パイシートを出して、これから焼く。
日曜日。セミナーが終わった。いつもだったら自分が聞く側だけど、今回は自分がしゃべる側。これは滅多にないことなので、優先順位が高かった。この日を中心にいろんなことを考えてきた。風邪をひかないようにとか、怪我をしないように、とか。と言っても話すのは私だけではなく数名で話すので私はたったの15分間。わざわざ時間をとって、お金を払ってきてくれる人がいるということなので、すこしでもためになることを話そうと思った。
気合を入れて、遅延や事故に巻き込まれてもなんとかなるようにだいぶ早めに行ったら1時間前に着いてしまった。場所は東京駅。来たのはおそらく1年ぶり。それにしても駅構内の人が多い。すごい人だった。人の多さでいうとそれはもちろん渋谷や新宿もすごいんだけど、なんというか、駅にいる人たちの種類が違う。新幹線の発着があるので、東京の外から来た人たちが多い印象だった。スーツケースを持っている人も多い。しばらく駅をうろうろしてみたが、店の数もめまいがするほど多かった。ついていけない感。。。
セミナーはうまくいった。緊張するかと思ったけど、早く着いてほかの登壇者と話していたら気持ちもほぐれた。なにも間違ってないのだから堂々としていいのだ、と思った。なによりも、毎日人前でしゃべっているだけあって、声が震えるようなことはまずない。自分も勉強になることが多くて、有意義な時間だった。
夜の東京駅はとても綺麗だった。観光客になった気分で「わー、きれい」と言いながらあたりを見回す。
食事会も参加して、7時すぎに家に帰ると家族がいた。家族っていいなありがたいなと、不思議ときのうは2人が貴重な存在に見えた。もちろんいつもそうなんだろうけど、外でこういう、大きな仕事がひとつ終わると、この人たちがいてこそやっていけるんだという気持ちになる。なぜかはわからないけど。
全身全霊で子育てに関われたらいいのかもしれない、と思うことがある。仕事もほどほどにして、たとえばパートタイムで働き、子が帰宅する時間にはいつも家にいて、宿題を一緒に見てあげて、夕方にはすでに時間ができていて、夕飯を何にするかは日中から考える時間があって、そのための買い物に行けて、子の通院予約は仕事の予定を気にせず、子ども最優先で決めることができる、など。
ゆっくり暮らせていいだろうなと思うけど実際にそうしたいかというと、子から離れた時間も自分にとっては必要なので、この働き方を変えるつもりはいまのところない。そして家族のサポートがあるので、たとえば洗濯物の心配をすることがないし、子が帰ってくる時間に私がいなくてもなんとかなっている。
ただ、週に1回、週末以外の日で、半日だけでも余裕があると、家のいろいろなことが片付き、心にも体にもやさしい、ということを最近あらためて感じている。というのも先月、腰のMRIをとってから以降、休めるときは休もうと決めた。10月は、偶然だけど、平日、水曜に代休がとれることがたくさんあって、有給休暇も使いながら毎週1回、水曜または木曜に休んだ。仕事が片付くかというと片付かないのだけど、職場から離れることで少し心の余裕がうまれた気がする。子どもにおやつを作ってあげたり、本を読んだり、片付けをしたり、という少し時間がかかることが、できた。11月もできる限りだけどそうしてみようと思っている。
ということできょうは出勤しない。堂々と出勤しない。
軽度ではあるけど腰椎がよくないということを還暦過ぎた同僚と話した。「これから、いろいろ堂々と断ろうと思います」というと「それがいいよ、うん」と言われた。「身体大事にしないとですね」というと「こればっかりは誰にも代わってもらえないからねえ」。
当たり前のことだけど、ハッとした。そう、代わってもらえない。義務と責任感のもと、周りからどう思われるかを考えて迷惑をかけないように頑張り過ぎた結果に身体がボロボロになってしまってももう遅いのである。優先順位を、あらためて考え直すときにあると思っている。
11月は良い。三連休の初日は、一日中雨だったが、きのうときょうはしっかり晴れていて気持ちがいい。空気が澄んでいて、気温もちょうど良い。朝、5時過ぎにもう少し横になってようかなと思うときもあるけど、朝焼けが見たいので体を起こす。ほんの数分のあいだに、真っ暗な東の空が、だんだん赤くなってきて、朝が来る。これが見られるのはいまの季節から冬にかけてのみ。ちょっとした楽しみである。
この季節だけの楽しみは紅茶。別にお茶好きでもないが紅茶を飲むのはこの季節だけ。イギリスにいたときに身についたことだ。濃い、もはや黒い紅茶。あればヨークシャー・ティーを飲む。ティー・バッグを入れてから7分タイマーをかける。その間に「杉田敏のビジネス英会話」を再生する。1レッスン分だけ。words & phrasesを書き取る。そのときには万年筆を使う。万年筆は使わないでいるとあっという間に乾いて書けなくなるので、毎朝つかうようにしている。使っているのは無印の、裏うつりしないA5のリングノート。今まではききながら買ったテキストを眺めたり知らない語にマーカーをひいたりしていたが、どうやら書き取るほうが集中して聞くということがわかった。ここ最近はこの方法にしている。いずれにせよ1レッスンは7分くらいで終わるので紅茶を待つ時間にちょうどいい。
そのあと相変わらずwordleを解き、6時になったらduolingoを解く。duolingoもフランス語だけをとりあえず解いていたけど、最近は韓国語もやっている。イタリア語と英語とラテン語もやっている。知っている言語であっても解いてみることにしている。知っているからいいやと思っていたけど、やってみると知らないことはまだまだあって、じゅうぶん価値はあるということがわかった。英語であっても、だ。「自分は大丈夫」と思わないことだ。謙虚であるべし。
spelling beeにじゅうぶん時間がとれず、解ききることができない。週末まで溜めがちである。これは仕方ないかな。
きのうはりんごのタルトを焼いた。その前の日はチーズケーキと食パンとショートブレッドを焼いた。心配せずともちゃんと消費できる。
きょうはきのう読み始めた本を読み切るつもり。「わたしは、あなたとわたしの区別がつかない」。読書家ではないが、毎週読みに行く「週刊文春」の読書コーナーに書いてある本の紹介は本当に面白そうなので、携帯にメモして帰り、図書館でリクエストをする。
父が入院している。経過は良いようで、退院が見えてきたらしい。よかった。毎日のようにテレビ電話で様子をきいているが、話す様子が1日、1日と元気になっていくのがわかる。人間の身体はすごいなあ。 話を聞くたびに、普段の姿勢とか、動き方とか、注意しなければと思う。身体に負担をかける動きを...