Wednesday, 29 April 2026

水曜祝日と、京都の衝撃

 水曜祝日は一番いい。月曜より金曜よりいい。毎週こうだったらいいのに。

きょうはとくに何もしないことに決めている。祝日ということは歯医者も病院もない。みんな休むための日。でも、ご近所さんが、朝から車でどこかに出かけようと準備していて、こういうときは少し「いいなあ」と思う。車はない。我が子が、小さいころからそうやって少し近くまで自然のあるところにでかけていろいろな体験をする、ということが、欠けていると思う。もう少しいろんなことをやってあげなければいけないんだろう。登山とか、釣りとか、川遊びとか。自分にその気力・余力がなくて、いろんな言い訳をしてこれだけの月日が経ってしまっていることを、こうやってご近所が出かける姿を見て、思う。自分の幼少期を振り返ってみて、どうだったかなあと考える。田舎ではわざわざ自然を求めて出かける必要はなかったが、ときどきお出かけはあったと思う。仕事の合間をぬって両親は連れて行ってくれたのだろう。ただ具体的にどこに何しにいったという記憶はそれほどない。とにかく妹といつも一緒にいて、縁側で祖父母とテレビを見ていたことが、時間としては長かったし、よく覚えている。たいていの時代劇は見ていたし、繰り返されるワイドショーのおなじ映像と、コマーシャル(たとえば花王の潜在とか)をよく見ていた。こどもが見ても得にはならないニュースもたくさんあっただろうに、それを隠すようなことはとくになかった。たぶん。

ニュースといえば最近ようやく京都の事件のショックから立ち直った。しばらくことばにならなくて、ここにも書けなかった。完全に立ち直っていないかもしれないけど、話題にはできるようになった。遺体が見つかった翌朝は、なにかこう、自分がからっぽになったような気がして、8時半に仕事をはじめたそのときに「あれ、わたしはここで何をしているんだろう」と思ってしまった。自分がなにものかわからなくなった。なんのためにここにいるのだろうと思った。記憶喪失というわけではないが、そういった不思議な感覚に陥った。以前にも家で、短時間だけ一度起きたのだが、これと似た感覚だった。だんだんと戻っていったが、たぶんそれくらいショックだったということだろう。動揺というものではなくて、がつんとやられてしまった、それくらい大きな衝撃だった。涙もでなくて、悲しいわけでもない。そんな感じ。ぽかんとしてなにも感じられない。このままでは精神不安定になると思ったので確かその日と翌日の朝はネットでニュースを見ないことにした。

我が子にはこのニュースをなんとしてでも知らせたくなかったが、当然ながら学校で友人から聞いて帰ってきた。わたしは知らない体で、「そうなんだ…。」と答えるしかなかった。「あなたはなにも心配しなくていいから」と添えておいた。子の「せっかく5年生までがんばったのにね」ということばが、いまだに心?頭?に響いている。毎日を懸命に生きているこの子にとっては、その日々がつみかさなって学年がすすむというのは大きなことで、5年生がおわって6年生になる、というのは、やっぱりおおきなことなのだ。「そうだねえ」と答えた。以降、この件については掘り起こさないようにした。久しぶりに、うちにテレビがなくてよかったと思った。

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