Tuesday, 12 August 2025

肌について不思議に思うこと

肌の話。

昨夜、レストランでの夕食にはいわゆる子育て世代の人たちが集まっていて、私以外に女性が3人いた。その中の1人はスイス在住。夏休みでイタリアに帰ってきているらしい。その人に向かってほかの2人が"bella abbronzata”(よく日に焼けている)と言っていた。これは褒めているのだ。「焼けちゃったね」ではなく「焼けてきれい」なのだ。確かにきれいな小麦色。そう言っている2人も、小麦色。いや、小麦より濃いかもしれない。しかし茶色ではない。

この文化圏では、焼けているのが健康的で良いとされる。東アジアでは「陶器のような白い肌」が良しとされるので、ところ変われば美の基準は変わるというとてもわかりやすい例だと思う。

それにしても、だ。どうしてシミがないのだろう。40代どころか50代、60代の人たちも、シミがない。ほくろもない。これは体質、もっと言うと細胞?の違いなのだろうか。メラニン形成の仕方が違うとしか思えない。南ヨーロッパはアフリカ大陸に近く、黒人の肌みたいな、強さ?もあるのだろうか。ちょうどよく焼けるようになっているのだろうか。

ちなみに日焼け止めは、海に行く時くらいしか塗ってないように思う。それ以外で塗っていたとしても、日本ほど、日常で使うものとされていない。そもそもそんなに種類もない。日本(や、おそらく韓国)が、国をあげて日焼け対策に必死になっているいっぽうで、ほぼ対策をしていないこの人たちが、シミもなくきれに全体が焼けるというのは、どういうことだろうか。むしろ対策をしないほうがいいのだろうか、とさえ思ってしまう。

日焼け対策をしないからシミができないのか?

シミができない体質だから日焼け対策をしないのか?

もはや卵が先かニワトリが先かの議論。

ちなみにイタリア人にシワはある。そして紫外線の影響による肌のたるみも、ある。手元首元は、ある程度の年齢の人たちを見ると確かに傷んでいる。

しかしながら顔のシワはそもそもほとんど気にならないくらい。なぜか。

顔が小さいから。そしてほりが深いから。

骨格が根本的に違って、顔の面積が東洋人とは全然違う。そもそも彫りが深いと、もはやシワなのか何かわからない。

首元手元については、年をとったときのために肌を覆いながら過ごすほど若さを惜しみながら暮らしてはいない。大事なのは「今」が楽しいことで、将来のために我慢しない。

…というのはあくまでも、私が今まで出会った人たちを見て思うことです。もちろんある程度の貯蓄などはするだろうけど、肌に関していえば、焼けないための努力などあまり存在しなさそうだなと思う。繰り返すけど、海に行くときだけは別。海だけは、しっかり日焼け止めを塗ります。

Monday, 11 August 2025

終わりがなかなかこない夜の外出

Fが昔の友達と食事に行くことになり、私と子も一緒に行った。日曜夜、開始は8時半。イタリアの夏は9時ごろようやく日没なので8時ごろはまだ「夕方」な感じがする。すぐ近くのレストランに歩いて行く。地元の人たちがちらほらとやってくる。我々の場合は「友人とその家族」が集合して結局15名だった。小さな子どもがたくさんいた。
イタリアの食事は、アンティパスト、プリモ・ピアット、セコンド・ピアット、ドルチェ、と続く。全部頼まなくてもいい、ということはもしイタリアのレストランに行く予定の人がいたら覚えておくといいかもしれない。

しかしきのうの場合は全部頼んでいた。分けあって食べられるように大きな皿で運ばれてきた。きのうは店の人がなんと1人しかいなかったらしく、ウエイターとシェフ役を1人でやっている女性は本当に大変そうだった。

そのせいで料理が出てくるのはとても遅くて、ようやく肉が出てきたときには食欲より眠気が勝っていた。時計は見ていないけどおそらく11時ごろだったと思う。

そこからさらにデザートを頼み始め、エスプレッソも出てきて、ついに12時をまわったころには私はイライラし始めた。子供たちはレストラン中を駆け回り、鬼ごっこをしている。いつものように「もう帰ろう」と言い始めてから少なくとも1時間はかかる。いい加減にしてくれと思う。

わたしのように朝型で、睡眠時間を何よりも優先させて日々を過ごしている人間には苦痛以外のなんでもない。20代のころは、日付が変わるような遅さに付き合えていたのだがだんだん無理になってきて、40過ぎた今となってはこの通りである。ただひたすらにつらい。「異文化体験だ」と言い聞かせて耐えている。

寝たのは1時を過ぎていた。ワインを飲んだのもあって、おかげできょうは頭が重く、朝から何をする気にもならない。夜ダラダラして、翌日、特に午前中をつぶすというのは愚かなことだと思う。昨夜の人たちが自分の友人だったら違ったのかもしれないが…。

イタリアの人たちにとっては、夜出かけて遅くまでいるのは当たり前のことで、楽しい時間はあっという間に過ぎるものだという共通認識(イタリア人に限らずそんなことは知っているけど、イタリアではもっとそんな感じがする)があり、日付が変わっても「楽しいならいいじゃん」「休暇だし」と、誰もが言う。いつも朝6時より前に起きている、なんて知ると「何か理由があるのか」とたいへん驚かれる。説明するのが面倒なので特に言わない。私のように朝型で、人と出かけるよりも早く寝たい人もいるのかもしれないけどきっと変わり者の部類に入るだろう。

Saturday, 9 August 2025

9日目の雑感

イタリアにきてあっという間に1週間が過ぎた。そう言っている間に10日、つまり休暇の半分が過ぎ、最後の1週間がやってくる。休暇が始まるやいなや「あとxx日か」と考えはじめる。まあそういうものだろう。

旅立つ前には「あれも要る、これも要る」と準備するものの実際に滞在してみるとさほど必要ではない。経験からじゅうぶんわかっているはずだが、渡航前はやはりいろいろな心配が出てくるものだ。服も、ほんのいくつかで十分足りる。

ヨーロッパではYahooが使えないので、日本でなんとなく見ていたYahooニュースに費やす時間が減った。これはよかったと思っている。あれは無駄な時間だった。ほとんど無意識に、ダラダラと閲覧することが多かった。しかもほぼ毎日。Yahooニュースには必要なニュースも含まれているけどたいていが無駄で、出どころのよくわからない記事の寄せ集めだ。それがわかっているのに見てしまう。日本でもいっそのこと見れなくなるといい。自分が見なければいいだけなのだが。その勇気があるだろうか。

日本のことを考える。自転車に乗って、平和に生活できるあの日常がいかにありがたいものか、を考える。必要なものがきゅっとまとまって、清潔で、安全で、いろんなものがよく機能する日本。極端に働き者で、人の話を聞き、周りのことを考えて動く日本人。もう少し楽に生きていいのに。

Tuesday, 5 August 2025

イタリアに縁を持つようになるまでの人生

 日本は相当暑いようで、ここにいてよかったと本当に思う。ここは涼しい。今も長袖を着ている。昨日なんかはもう寒いくらいだった。雨が降ったり止んだりしていた。ここにきてまだ汗をかいていない。このあと、たとえ気温があがったとしても湿気がないので汗だくになることはないだろう。イタリアの夏はこう。

当然のようにこうやってイタリアに来ている今。夏が近づくとイタリア行きの航空券を買うわけだがほかの行き先を考えることもない。自分がどうしてこれほどにイタリアと「縁」を持つことになったのか、と人生をふりかえってみることがここ数日あった。

イタリアに初めて行ったのは2005年のことで、英国に留学中だった。3月にイタリアに行ったらおもしろかったので6月にも行くことになった。そして7月をまるごと過ごした。英国で生活していた身としてはイタリアはたいそう魅力的だった。天気、食べ物、人。すべてが魅力的だった。イタリアに限らず他の国もたくさん訪れたのだが、そうさせたのは英国の「冴えない感じ」だったのかもしれないと思う。

メイフラワー号がアメリカ大陸に渡ったのも、英国が雨と曇りばっかりだったからじゃないのかと思う。ビートルズやoasisの音楽はイギリスからしか生まれないと思う。わたしがイタリアに行くきっかけを得たのは滞在先が英国だったから。すべては、食べ物も天気もパッとしない環境だからこその、産物。英国を否定するわけではないです。

さかのぼって、なぜ英国に留学したかというと、朝鮮語専攻だったから。当時、朝鮮語には、私を惹きつけるほどの魅力がなかった。言語の壁を突破したいと思うほどの強い「おもい」が自分にはなかった。朝鮮語に責任はない。どこまでいっても「西洋かぶれ」で、まだ見ぬ欧州への強い憧れがあった。実際、選考試験で選ばれたときに「あなたは語科間のバランスをとるために選ばれた」と教授に明かされたくらいで、私以外の2人は英語専攻の学生だった。つまりもし私が英語専攻だったら留学の試験には選ばれなかった。

さらにさかのぼって、なぜ朝鮮語専攻にしたかというと、センター試験でB判定の専攻語を選んだから。C判定の中国語を選ぶ勇気はなかった。「中国がダメなら朝鮮にしろ」という、父親の、一見適当極まりない一言が人生を決定づけることになった。これは私の人生の歴史に残る。This  goes down the history. 朝鮮語になんのこだわりもなかった。

人生は不思議で、おもしろい。2005年以降に起きた数々の出来事はさらにイタリアとの縁を強めることになるがそれはまた別の話。
人生が、こうやって振り返ることができるほどの長さになってきた。精一杯生きてきたなと思う。まだ人生終わってないけど。興味のあることに突き進めるのは、打たれ強さ、柔軟性、明るさが育つ家庭環境だったから。なにかと運が良いわたしの人生。

歴史を語る人たち

 きのうの午後、ふらっと親戚が来た。50代か60代?の女性。15分くらい話して帰る。「もうすぐ広島の日ですよね」と言われて、「そうです」と答えた。「もう一つは、長崎でしたっけ」「はい」

原子爆弾のことはイタリア語でbomba atomicaという。ボンバ・アトミカ。正直なところ、日本にいるよりもイタリアにいたほうが、広島と長崎の話を聞くことが多い気がする。世界でほかにない悲惨な歴史を抱えた国として、日本のことを認識していて、イタリアにいるとよく話題に出てくる。日本人より詳しいのではないかと思うことさえある。「原爆の後どうやって立ち直ったのか」「原爆を落としたアメリカとなんで仲がいいのか」など、興味津々で聞かれたことが、数えきれないほどある。

彼女はテレビで見たドキュメンタリーについて話していた。

こういうところが、イタリア人を良いと思う理由のひとつかもしれない。がっしりとした歴史に支えられていること。歴史を語ることが当たり前であること。歴史といっても紀元前から続くとてつもなく大きな流れをとらえていて、世界全体をながめる余裕があること。イタリア人の、ゆったりと、堂々とした生き方のベースはおそらく歴史にある。

この国では学校教育で徹底的に歴史を学ぶ。歴史を語ることは、一部の知識人の作業ではない。これはもしかしたらイタリアに限らずヨーロッパ各国は似たような傾向があるのかもしれない。

今朝、内田樹氏のブログを読んだらまさにイタリアの話題が出ていて面白かった。歴史修正主義は英語でrevisionismというらしいです。知らなかった。

以下引用。

イタリア人はとても親切である。まして同じ武道を修行する道友であるから、遠くから笑顔で手を振ってくれる。以前、神戸の私の道場に遊びに来てイタリア人の合気道家たちとおしゃべりをしていた時に、近代史の話になった。第二次世界大戦が始まった直後、ドイツがフランスを電撃的に攻略した時に、イタリアもフランス領土の一部を占領したことがある。45年の7月には三国同盟を反故にして日本に対して宣戦布告をしている。そのような自国の歴史の「あまり自慢にならない話」をあっさりと話してくれた。少し驚いて、「どうして、自国の歴史の暗部についてそんなに率直に話せるの?」と言ったら、しばらく考えて「昔、一度世界を支配したことがあるからじゃないかな」と答えてくれた。
 なるほどと思った。イタリア半島の住人たちはかつて世界を支配していたのである。だから、「余裕」があるのだ。いちいち「イタリアはすごい」と言挙げしなくても、ローマ帝国が世界帝国であったことを否定する人はどこにもいない。
 英国でもスペインでも中国でもたぶん事情は似ているのではないかと思う。一度は世界帝国になるだけの力を持っていた国である。その国民であるということの自信が歴史修正主義的なふるまいを自制させるということがあるのではないか。
 自国の歴史を虚偽を以て装飾しようとするのは(ドイツ、フランス、日本が適例だが)、そう望んだけれどついに世界帝国になることができなかった国の通弊なのかも知れない。 

Sunday, 3 August 2025

干草、お祭り

前日、寝る時間はすでに日付が変わって8月2日になっていた。それでも6時半ごろ目が覚めたのは、朝型のためか、時差ぼけのためか。いずれにしても朝は気持ちがいい。世界中どこにいたって朝が好きだけど、ここの朝はとても気持ちがいい。家からはこの眺め。

イタリアに行く前、負荷試験に行くバスのなかで、子と話していた時のこと。
「ままは、イタリアに行ったら何がしたい?」
「うーん… モッツァレッラ食べたいな」
「…えっ、それだけ?」
「うーん…」
考えてみたもののこれといった答えが出てこない。のんびりしたい、と思うがそれがアクティブな「したいこと」なのか、というとちょっと違うだろう。観光大国イタリアで「したいことがない」というのも変な話だが正確にいうと「何もしたくない」が答えである。これといって買いたいものもないし行きたいところもない。いや、行ってみたいところはいくつかあるけどそれはイタリアに行ってから考えてじゅうぶんな気がする。
ヨーグルト、ナッツ、アプリコットにオリーブオイル。イタリアではこうする、というわけではなくて私がこれを好むというだけのこと。

子といえば、子にはきのう久しぶりに会った。というのも1週間以上先に父子で旅立っていたため。あたたかく出迎えてくれたが、1週間会えなくて寂しかったね〜、というようなことはあまりなく、まるでこの1週間がなかったかのようにいつもの調子で注意したり怒ったりしている。再会を喜ぶやいなや日常に戻る。そういうものだろう。1週間いなかったからといって急に聞き分けのいい子になるわけがない。そんな調子の良いことはドラマの中でしか起こらない。

子は、祖父母宅ではだいぶ可愛がられていて、親としてはありがたい限り。「親は教育しなきゃいけないけどね、祖父母っていうのは孫を甘やかしていいんだよ、そのためにいるんだよ」と笑いながら言うおじいちゃん。自分の祖父母もそうだった。絶対的に自分の味方をしてくれる、逃げ場だった。

自分の祖父母が海外にいるっていうのはどういう感じがするんだろうな、と、我が子ながら興味深く思う。
とりあえずアンティパストを、と、この皿が出てきた。日本では「チーズとハムとサラミ」でしかないものが、ここでは膨大な数の種類が存在する。
そしてラザーニャが出てきた。表面カリカリで美味しかった。おなかいっぱいになった。

食事が終わってもさっさと片付けたりしないのがイタリアの家庭。誰かがまだ食事をしているのに席を立ってテレビを見に行ったりするのは、タブーとまではいかないが、その場に合った行為ではないだろう。ケンカでもしない限り。

では何をするのか。「おかわりは?」「コーヒーいる?」「デザートあるよ?」「果物はどう?」
これらのやりとりが必ずあり、世間話や、なんてことない家族の会話が続く。ようやく席を立つのは2時半くらいになる。家庭にもよるだろうけど。

いきなりイタリアの家庭で過ごすことになった外国人がいたら、この、ゆっくり流れる時間には戸惑うかもしれない。

帰り道、スーパーに寄った。Bio製品が多い。知ってはいるけどあらためて思う。オーガニック、無農薬の国産品がこんなに多くて、安い。乳製品コーナーに行くと、Avena(麦)のミルク、アーモンドミルク、米のミルク、豆乳、これらがすべてオーガニックで1ユーロ代で買える。日本だと健康志向の高い人のためのオシャレ製品になってしまって500~600円する。そもそもこんなに種類ないけど。

途中で降りて写真を撮ることにした。fieno(フィエーノ)という、干草を丸くしたやつがあちこちにあって、そこで写真を撮るといいね、と前から言っていたのだった。
ひらけた景色

帰ってから庭のプールで遊び、夕飯を食べて、9時ごろから近くのお祭りに行った。

最初から行こうと思っていたわけではなく、帰り道に、上の写真のようななだらかな丘で、何か準備しているなと思っていたらどうやらそこでコンサートをやる、とのこと。じゃいってみるか、ということになった。ここではなにもかもが自然発生的、不随意的に起こる。spontaneousという英単語がぴったりの人たち。
バンドの演奏といくつかの屋台。日本の屋台のような、けばけばしい感じはない。数も少ない。来ている人たちは年齢層が高めだが、子供も、中高生も、子育て世代もいる。300人はいると見た。小さな村の、小さなお祭りに、こんなに人が。注意書きなどはほとんどなく、椅子とテーブルが並んでいるだけ。

クレープと、すぐこわれそうなおもちゃ屋さん。剣のおもちゃをねだる我が子にうんざりする。当然買わない。
後半になると前に出てきて踊る人たちが出てくる。スマホを見ている人がほとんどいない。
走り回る子どもたち。「子どもは寝る時間」というのは、存在しなそう。

だんだん寒く、眠くなってきて11時半ごろに帰った。「帰ろうか」と言い始めてから本当に帰るまでに1時間くらいかかる。知っている人みんなに挨拶をしてから帰るから。イタリアでは、こういう場で知人がしれっといなくなることはまずない。

倒れた椅子を起こそうとしていた子供たちがいたので手伝ってあげたら、女の子が
"Grazie. Come ti chiami?(ありがとう。名前は?)"と聞いてきた。教えてあげると"Io sono Alessandra." と教えてくれた。アレッサンドラ。写真左の子です。

そのあと前歯が抜けたらしく、これまた報告に来てくれた。コミュニケーションに壁がない。わたしを見て「アジアっぽいな、なんか違うな」と思わないのだろうか。日本でもそうだろうか、それともこの子がイタリア人だからか。

Saturday, 2 August 2025

イタリアに着いた

あっという間にイタリアに着いた。こんなに簡単に着いていいのかという気さえする。去年も思ったけど、
・成田ではなく羽田
・経由便ではなく直行便
ただこれだけの違いが、大きな違い。イタリアに行き始めて(?)20年くらい経つけど、当時のこと(つまり成田、経由便)を考えるとそれはもう楽になったと思う。

8:20に家を出て、電車とバスで10時前に空港着。12:45発で14〜15時間。

なんというか、「いよいよ近づいてきたな」という感じがしない。どこでもドアというと大袈裟かもしれないが、降りたらそこは目的地、という、あっけないような感じもする。
派手な色の機体

楽に感じた理由のひとつとして、今回は特に、席の指定をしたこともある。席が指定できるなんて当たり前じゃないかと思うだろうが、違うんですこれが。ITAエアウェイズだと席を指定するだけでお金がかかる。エコノミークラスでもそう。(ほかの航空会社ももしかしたらコロナ以降はそうなっているかもしれないけど。)指定しないとどうなるかというと、チェックインで自動的に割り当てられたところに座るしかない。

昨年、指定なんてするわけがないと思って当日まで放っておいたら案の定、両脇に人がいる席になってしまった。それはそれでなんとかなったけど、やっぱり立ちたい時に立てる席がいい。お金を払う価値はある、と思って往復ともに指定。あわせて9000円くらいかかった。

特に今年は、腰の問題があるので極力同じ姿勢を続けないように、しょっちゅう立った。水を飲みに行ったり、トイレに行ったり、歯磨きに行ったり、ただ立ったり、体操したり。これだけでだいぶ、膝や腰への負担は減ったと思う。これからも席は指定しよう。

着いたあと、夕焼けに照らされた機体を見ながら、当たり前だけど「そうかもう着いちゃったのか」と、あらためて気づく。これだから直行便はやめられないよな。2〜3万円の違いなら断然価値はある。他の会社に比べてITAのサービスに劣るところがあったとしても、直行便の魅力はほかの何にも代え難い。そしてもうすぐスターアライアンスに加盟するというから、ますます選ばない理由がない。

「日本国籍多めです」と、搭乗するときにスタッフがやり取りしているのが聞こえた。「多め」だけど、どちらが多いのだろう。日本からイタリアに帰るイタリア人が多いように感じるのは、とにかくしゃべるから。存在感が、すごい。

今さらいうことではないだろうけど、イタリア人はしゃべる。しゃべる、しゃべる、しゃべる。しゃべってなんぼの人たちである。搭乗して隣のイタリア人が自分と同じように日本への旅行を終えたばかりとわかると"Piacere(はじめまして)"と名乗りながら、この旅行で撮ってきた写真を見せ合う。

わかりやすいのがCAたちである。男女半々くらいのスタッフがいるが、後方にたまって立ったり座ったりしながら15時間しゃべりつづけている。話が聞こえないように声を小さくすることはない。これが誰かにとって迷惑かというと、そんなことはまったくない。そもそも乗客もしゃべるので、誰も気にしない。

残り3時間くらい、というところで少し眠った。寝れても1時間程度。映画を3つ(コンクラーベ、10 giorni con i suoi、Anora)見て、テトリスで遊んだ。字幕もなくてコンクラーベは全然意味がわからなかった。飛行機のなかで字幕なしで映画を見るというのは、最も高度な外国語の聞き取りのうちの一つだと思う。飛行機の音がすごいから。
到着時刻は8時半だったが、8時ごろには着いた。パスポートのチェックは、昨年と違って列に並ばなくてよかった。いままではEUとその他、だったけど、今年は日本とほかのいくつかの国は「その他」から除外されていて、早いレーンに行けた。機械の読み取りだけで外に出られた。荷物も問題なく、結構すぐに出てきた。

空港はだいぶ整備されていて、昔とは全然ちがう。良いこと。しかし昔が懐かしくもある。
ローマは、いつものあのぬるい空気がなくて、だいぶ涼しい。20度台だそうです。迎えにきてもらって、車でアブルッツォまで、2時間以上走る。11時くらいに着いて、空を見上げたら、落ちてきそうなくらいの星。どわっと、降り掛かってくるような勢い。

肌について不思議に思うこと

肌の話。 昨夜、レストランでの夕食にはいわゆる子育て世代の人たちが集まっていて、私以外に女性が3人いた。その中の1人はスイス在住。夏休みでイタリアに帰ってきているらしい。その人に向かってほかの2人が"bella abbronzata”(よく日に焼けている)と言っていた。...