Friday, 17 October 2025

Monkey届いた、体重、疲れ

 きのうの夕方は会議で、途中で目をつぶったらふらーっと暗闇が回る感覚があったので、これは疲れているなと思った。しばらくのあいだ、あの、立てなくなるようなめまいは出ていないけど、前触れのような気もするのでなるべく休みながら過ごそうと思った。夏の疲れが取れるのは思った以上に時間がかかる気がする。

頼んでいたMonkey 37号がきのう早速手に届いた。「猿の英単語」がテーマ。読まないわけにはいかない。中身も見ずにタイトルだけで購入を決めた。今朝も、How to Pronounce Knifeを読んだあとにパラパラと興味のあるページをめくって読んだ。

夏が終わってから、困ったことに体重が高止まりしている。理想より2キロも重い。ミレーナの影響で、上がり下がりがあるから、心配しなくてもすーっと減る…はずなのに、減らない。なんだかんだで蓄積されていっているのか、脂肪は。これは困った。運動も食事も問題ないはずなのに。問題は何か。年齢だろうか。2キロ分の負担を体にかけているのかと思うと、足とか腰とか膝とか、ごめんよと言いたくなる。つらいだろうな。

きのうの朝、我が子を起こそうとしたら、ふとんにくるまって「ぼく、あと2日とか、もう無理だよう〜」と嘆いていた。木曜はたしかに辛い。1週間の半分が終わっているけど、まだまだある気がする。さてきょうは1週間の最終日。なんとか乗り切りたい。幸い、天気も良いようだ。

Thursday, 16 October 2025

朝顔、朝読書、扇風機

夏休み、家をあけていた間に、せっかく育った朝顔は枯れ果てていた。しばらくしたら種ができていたのでそのまま土に埋めたら自然と育ってきて、10月の今、うちには朝顔が咲いている。10月でも咲く。
これはおととい、火曜の空。これはこれできれいだけど9月のような明るいピンク色にはならない。薄い紫というか。やっぱりあれは9月だけの醍醐味なのだと思う。

先日も書いたけど、この本を毎朝読んでいる。独立した短編集。ラオスからの難民、という点では共通しているがそれぞれの話はつながっていない。今朝の話Edge of the Worldは特によかった。

難民にも移民にもなったことのないわたしはその視点が完全に欠けている。想像したこともないことがたくさんある。そのことを思わされる。「世界にはいろんな人が」と簡単に(偉そうに)言うけど、その、どの程度を知っているのか。常に自分が「こっちがわの人」で彼らは「あっちがわの人」と考えたがるのが人間で、そうならないように、相当意識していないといけないと思う。

暗くて寒い季節に入ってきて、どうも寂しいというか名残惜しい。これは毎年のことなんだけど10月に入っても半袖を着ている。家でも真夏と同じ格好をしているときがある。太陽にすがりつくかのように。明るい季節は終わりか…。

月曜に、扇風機をきれいにして、しまった。来年またよろしくという気持ちをこめて、きれいに磨く。かれこれ20年以上使っているのだが今年ついに断線した。それでも使える。とりあえず苦労を労って、ほこりをはらってよごれをふきとった。衣替えもした。毎年訪れる、せつない作業である。

そうは言ってもあっという間にまた冬がきて春がきて夏がくるのだろう。超スピードで過ぎていく。からだにいいものを食べて、いまあることに感謝をして、1日を大事に生きよう。

Wednesday, 15 October 2025

インターネット契約。タイミングをつかめるように生きること。

世間は3連休だったが私は4連休だった。

月曜の午前中、修理に出していたカメラを受け取りに行こうと思い立った。電車に乗るなら平日のほうがいいだろう、火曜日も休みだから火曜日に行こうかなと思っていたけど火曜になるとまた新しく何か別のやりたいことがあるのかもしれない。こういう、後からやっても支障のないこと、しかしちょっと面倒で乗り気ではないこと、はなるべく先にやったほうがいいと思った。天気も悪くないし、月曜の朝思い切って電車に乗った。電車といってもたった5分くらいなんだけどね…。

リュックに、お金とキンドルだけ入れて家を出た。身を軽くして街を歩くのは楽しい。

電話で知らされたときは3万を超えるはずだったのに行ってみたら2万円で拍子抜けした。宝くじに当たった…とまではいかないけどラッキーだと思った。御礼を行って出た。

朝10時ごろで、店も空いていたので、以前から気になっていたインターネット料金について、相談にのってくれるカウンターはないだろうかと思ってフロアを探してみた。ずっと前、10年以上前にここでプロバイダを変えたり契約したり、したことがある。眺めたところ、それっぽいところも「携帯、スマホ」って書いてあるからたぶんこれではないな、と思った。

いったん去ろうとしたけど、もう一回ぐるっと回ったらやっぱりその「携帯」のところに料金の表があった。価格帯もそれっぽい。これかなと思って眺めていたら若い、色の白い男性が、近づいてきた。客が少なくて暇だったんだろう。なにかお探しですか、と言った。と思う。すごく声が小さかったからよく聞き取れなかった。

「今、インターネットに月々五千円払っていて、高すぎるんじゃないかと思って」

と言ったら、ほかの会社を紹介してくれて、「ほー」と言いながら見てたら「見積出してみましょうか」と言われた。こちらも暇だったし、この人に嫌な感じがしなかったので、はいと答えてお願いした。

案内された席に座って、説明を聞いた。思っていたような難しさは何もなかった。家にあるモデムもルーターも、変えなければいけないものが何もない。そして料金が月々900円ぐらい安くなる。「これ、今ここで申し込めるんですか」と聞いたら、はい、と言われた。

問題は、今契約している会社である。これに電話をかけなければいけない。そのへんはどうするのかと訊いたら「いま、いっしょに電話しましょう」と言われた。なんて心強いのだろう。

少し過去の説明に戻る。

今のインターネットで契約しているきっかけは、その当時問題なく使えていたときに、ふとやってきた電話だった。今より安くなるし、違約金も負担します、という、北海道かどこかの会社で、まんまとわたしはそれを信じて解約の手続きをしたのだった。実際、少し安くなったものの、長く使っている間に当初の割引もとれてしまって、なんだかんだで上がって今の5060円になってしまっていたというわけだ。

今考えてみると、あんな電話をよく信じたものだよなと思う。怪しいことこの上ないのに。実際に違約金も負担してもらったし、問題はなかったけど、手続きが煩雑だったのと、窓口の人がいまいち話通じなかったのと、「違約金」と言われていたのに商品券が送られてきたりで、無駄に神経を使った覚えがある。そうだ、思い出した、トライバルユニットという会社でした。

それ以降ももちろん、インターネット関連では、かかってくる電話も多いし、広告が入っていたりするし、わたしは狙われてるんだなと思うことがよくある。わたしだけじゃなくて世の中の人たちはターゲットにされていて、需要も多いし、ひっかかる人も多い。問題は、わたし自身がその仕組みをよくわかっていなくてルーターとかモデムとかプロバイダとか回線とか、聞くだけで「ええい、今ので使えてるならいいや」と思ってしまうということ。

だから正直なところ目を瞑ってここまできた。考えたくないのだ。

だまされたくないし、ランダムにかかってくる電話に乗ってしまうわけにはいかない。こういう情報は「自分で取りに行く」しかない。いつか自分で調べて自分で換えよう、と思っていたのだった。情報は、自分で取りに行くべし。

そこで出会った、この色白のひかえめお兄さんはまさにこれ以上ないよいタイミングで、わかりやすく説明をしてくれたし、そもそも「売ろう」という感じが全然しない。(これ、大事。)この勢いに乗るしかない。提案してくれたとおりに「いっしょに」電話をして、電話できくこと、このあとやることをすべて整理してくれた。

時間がかかるのは電話と解約で、新しい契約自体は10分ぐらいで済んだ。解約をする、というと、「このお電話で継続を決めていただければ1万5000円割引します」と言われたけど、断った。

インターネットの乗り換えがどうしてこんなに面倒で気が乗らないかというと、二社に関わらなければいけないからだ。この二社が直接やりとりしてくれるわけではない。その間にいるのは自分しかいない…のが普通なのだが今回はこの色白ひかえめお兄さんがついている。怖いもの無し。

ぜんぶで1時間くらいはかかったかもしれない。すべてが終了した。なんというか、今までつっかえていたものが取れたような感じでものすごくスッキリ上機嫌になった。しかも、今まで、つっかえていることに意識さえしていなかった、そういうものがスポッと取れたような感じ。体の不調はなかったけど、それが取れたら急にもっと元気になったような、そんな感じがした。

あとは家に帰って、回線変更なんとか届けの番号を確認して、あのお兄さんに電話をして知らせるだけ。それ以外に何も必要ない。そしてここから3ヶ月割引がきいてタダになる。料金を5000円払い続けるのは馬鹿馬鹿しいことだったということがわかった。

生活を、より快適なほうにするには自分で動き出さないといけない。それにはやっぱりある程度のエネルギーが必要で、なにかきっかけがないと動かないものだから、タイミングや勢いに、ぐわっと乗ってしまうのは大事。そのためのセンサーとかアンテナとかは自分で研ぎ澄ましていないといけない。わたしの場合はそれが、持ち物を減らして身軽でいることからきている気がする。

家に帰って「めっちゃいい日だわきょう」と言った。2人は「ふーん、そう」と言った。お昼に何を食べるかという問題があるが、今日こそは子のいうことをきいてあげて、中華料理になった。特に食べたいものもないのになと思っていたら、まだ冷やし中華があった。驚いた。ここでは一年を通して食べられるのかもしれない。戻ってきたばかりのカメラで、1ヶ月ぶりの写真をいくらか撮った。夕方、友達から「誕生日会に参加してもいいか」というメッセージが届いて、これまた嬉しかった。とても嬉しかった。この日は本当にいい日だった。

Sunday, 12 October 2025

ヴィクトリア・ベッカム、サイゼリヤ

連休初日。2週間ぶりに土曜休みだ。9月末も、先週も土曜出勤だった。やっと普通の土曜日。朝から合気道に行った。納得いく動きはまだできないけどそれでもこの爽快な感じはやめられない。6時に家を出るので、日の出の時間が遅くなってきているのがよくわかる。段々と暗い時間に突入しつつある。

帰りに少し雨が降っていた。きょうはそういう天気予報だったっけ?

帰ると「おかえり〜合気道どうだった〜」という声が聞こえた。子が、なんと自分で朝ごはんを用意して食べている。びっくりした。バナナとクッキーを、きちんと皿に、さらにお盆にのせて、それからヨーグルトを冷蔵庫から出して、ひとりでもぐもぐしていた。そうか、「自分でできるでしょ」とふだん言っているから、自分でやったんだろうな。ひとりで食べさせるのは申し訳ない感じもするけど、私がいたって自分ひとりで食べることは多々ある。

それから小雨がずーっと続いた。クロスタータを作った。Netflixをみたらヴィクトリア・ベッカムのドキュメンタリがあったので見始めた。

昼は、蕎麦屋に行こうということになっていたがこの雨でどうしようかしばらく様子を見た。それでも、小雨ならいいだろうということで、カッパを着て自転車で行った。

こんな日に限って蕎麦屋は混んでいて、外で待つ羽目になった。予想が外れた。ようやくなかに入り、子は、セットメニューを頼んだが、カツ丼もそばも、どちらも食べた。こんなに食べるのかと驚いた。大人でもお腹いっぱいになるのに。

家に帰ってから、ヴィクトリア・ベッカムの続きを見た。面白かったけどデイヴィッド・ベッカムのドキュメンタリほどではなかったな。デイヴィッド・ベッカムのスピンオフ的に見えた。それでも、見ているうちに、洗練された服が着てみたいものだなと思った。

子は友達のうちに遊びに行ったが、そこにほかの子もいたので、仲間はずれにされたと言って不機嫌なまま帰ってきた。まあそういうこともあるだろう。学んでくれ。

夕方は、友達に会いに行った。5月ぶり。いつも行っていた店が、かわってしまったらしく、サイゼリヤに行った。これまた久しぶりだが、あまりにも変わっていなくて驚いた。そもそも、コロナを経ても値段が同じ。たいていのメニューが四百円以下。そしてなによりも美味しい。驚くことに、アブルッツォ名物のアロスティチーニがある。メニューをみる限り、イタリアに行ったことある人が考えているな、ということがわかる。もちろん「そんなのはイタリアにない」という食べ物もあるけど、日本人向けに作られていて、結局はおいしい。どれを頼んでもハズレはない。

注文が、QRコードからというのはそれほど驚かなかったが、会計までセルフレジになっていて、これにはびっくりした。コンビニと同じじゃないか。無銭飲食もいるだろうに、と思ったけど、その可能性を考えるよりも人件費を削減したいのだろう。

土曜の夜というのもあるだろうけどとにかく混んでいた。90分経つと店員がきて、退店を促される。無理もない。

3人で食べまくって、ちょうど六千円。ほかのレストランではありえないな。

小雨の降り頻るなか帰ったら8時だった。いつもと同じように9時に寝た。

Friday, 10 October 2025

ママは何分くらいで寝る?

今朝は曇り空で朝焼けが見えなかった。秋っぽくなってきた。きのう帰り道、自転車を走らせながらやっぱり10月は最高だなと思った。こんなにいい時期はないんじゃないか。ずっと続くといい。気持ちがいい。

カズオ・イシグロのthe Buried Giantを読み終えたあと、同氏の読みたい作品があったが、手元にはなく、Souvankham ThammavongsaのHow to Pronounce Knifeを読むことにした。このなかの一つはすでにMonkeyの和訳で読んでいるがほかの話は読んでなかったし、何よりも手元にあるのでこれにしようと思った。Kazuo Ishiguroを読んだあとだと、だいぶ簡単に感じる。そして一話をあっという間に読んでしまう。移民の話。かなり面白い。読みやすい。今朝は二話目を読んだ。

英語を読み慣れると、英語力がつく以外にいいことがある。そのなかの一つは、日本語を読むのが一気に速くなる(気がする)ということ。たまに、予約していた本が図書館に届いて取りに行く。たいてい話題の(日本語の)本なのだが、読んでみるとさらさら〜っと読めて翌日には返却できることがある。

きのう帰宅してみると、子はオンラインでわたしの父母と会話をしていた。家に誰もいなくて、ひとりでいないといけない時が最近よくある。それで、完全に1人にしておくより、遠くにいる祖父母とつないでおくという手段をとっている。これがとても助かる。

ほんの数ヶ月前、はじめて鍵を持たせたときのことを思い出す。私が帰ってくるまでの20分間、誰もいないことに不安を感じて1人でソファで泣いていたらしかった。そのことを思い出すとやっぱり1人にさせちゃいけないと思うのだが、今となってはその心配もいらなくなってきた。成長は早い。

きのうはあれだけ学校に行くのを嫌がっていたので、結局どうだったかと聞いてみたらやっぱり楽しかった様子だった。6時間だったけど、仲の良い子たちと一緒に帰ることができたようだ。仲間の存在はありがたい。そして信じられないことに運動会の練習が楽しかったらしい。「Yくんがやってるから、ぼくもやろうと思った」と。こういうのにすすんで参加することは滅多にないのに。家でもその音楽をかけて少し踊ってくれた。

Fがいない夜なので、不安はそこにあるらしい。「ママは、何分くらいで寝る?」と聞いてくる。わたしが先に寝て、1人で目を覚ました状態になるのを恐れているのだ。「何分で寝るかなんてわからないよ。」

8時前に「そうか、今寝れば、ママが起きてて、ぼくが先に寝られる」と言う。「早すぎるよ、大丈夫だよ」と言って、結局9時にふたりで寝た。どっちが先に寝たかわからない。この季節は暑くもなく、寒くもなく、深く寝るのに最適だ。

きょうもいい1日でありますように。

Thursday, 9 October 2025

きっとこれからも大丈夫

子がみるみるうちに大きくなっている。当たり前だけど。身長は140cmもあって、平均よりだいぶ高い。1年に10cmは伸びている。あっという間に中学生になるのだろう。給食のときに同じ班の人にしゃべっても誰もきいてくれないから、隣の班の人としゃべると、しゃべっちゃだめと言われる。だから学校に行きたくない、ぼくは辛い、ときのう言っていて、それくらいなによ、大したことないじゃん、行ってらっしゃいと言って送り出した。そもそもしゃべってはいけないことになっているんだったら、それは仕方ない。

この「学校行きたくない」は軽いほうだと思っている。「それくらい大したことないさ」がどこまで通用するかな、と思う。もしかしたら深刻な状態のサインを出してくれているときもあるかもしれないし、本当に大したことないのかもしれない。たいていのことは受け流せるが、そうではないときもあるかもしれない。

子は、学力だけならまだしも注意力が著しく低い。さらに自分を客観視することが苦手で、これを今、この集団内でやるとどうなるか、という想像はせずに行動する。給食のときに話を聞いてもらえない、というその様子がわたしには想像できる。成長とともにできるようになっていくものだろうと思っているが、本人としてはそれがつらく、さらになぜそうなるのかわからないこともあるかもしれない。

いっぽうで人と違うことはいいことだ、と思っているのも事実。人の言うことをきかなかったり周りの状況をみなかったり、ということにつながる原因の一部でもある。ありのままを受け入れるとは言え、集団で過ごすなかで身につけるべき作法はある。

とは言え、暗くならないようにしたい。何があっても、暗くならないように。わたしの祖母の、太陽みたいな笑顔を思い浮かべる。

自分の育ってきた家族、環境にはたくさんの人がいて、だいたいいつも明るかった。誰かひとりが明るいというより、そこにある空気が明るかった。ほどよい距離感のもとに、いつも冗談と笑いがあった。それは個々人の努力によるものだったはず。わたしにはその、よい空気の影響が幸いまだあって、ここにいても大丈夫だと思える。しっかりとした基盤を18年間で築いてもらったので、きっとこれからも大丈夫だと思える。

Wednesday, 8 October 2025

"The Buried Giant" 読んだ

とうとう読んでしまった。
9月に入ってから読んでいた、カズオ・イシグロの"The Buried Giant"を今朝ついに読み終えた。8月、夏休みのあいだに同氏の"Never Let Me Go"を読んだことがきっかけで「私も英語の長編読めるのか」と思い、本棚にあって読んでいなかったthe Buried Giantをやっと読み始めたのだった。(本棚を新調して、手に取りやすくなったのもあるかもしれない。)

すごい話でした。ファンタジー小説に興味はなかったけど、これを読んではじめて面白いと思ったしわたしがイメージしていたファンタジーとはだいぶ違った。Never Let Me Goに負けず劣らず、深い深いテーマ。だけどNever Let Me Goほどの衝撃はないかもしれない。最後のシーンの意味するものはなんだろう、と思わずにはいられなかったのでいくらか読後の感想をネットで読んでみた。なるほど、と思うものがいくつもあった。

よくわからないままの箇所がいくつかあり、あとから日本語訳を読んでみたい、と思ういっぽうで、英語で読んだままの雰囲気を保っておきたい気持ちもある。たとえばドラゴン退治のシーンはよくわからなくて、本当に何度も読み返したけど、それでもわからない。でもそこに並んでいる単語以上のものはないはずなので、それが読めたらあとはもうこちらが想像するしかないのだろう。

ドラゴンだけでなく、ogre(怪物)やpixie(妖精)なども出てくる。前知識のある人は読みやすいんだろう。5、6世紀の英国が舞台なので、使っている言葉も違う。旅をする老夫婦の話だが、そもそも「道」というものが存在しないころの話。霧に覆われた草地を想像するには、英国に行ったことがあるとより良い。もう20年前、長距離バスで英国を移動するときに見た、絵本のなかのような風景を無意識に思い出していた。羊がいて、霧がかかっていて、寒い、そんな感じ。

インターネット閲覧のできる機器、つまりPCやスマホ(もってないけど)やタブレットが身近にある環境で読書に集中するのはわたしにとってとても困難である。たぶん意見を同じくする人は世の中にたくさんいるはずだ。

それが夏休みに一冊読めたのはなぜかというと、朝起きてから1番最初に読んだから。タブレットを開くより先に本を開くようにする。実は、8月から実践し始めたわけではなく、以前から「朝起きたらまず英字新聞」とか「ビジネス英語のビニエットを一つ聞く」とか自分に課すようにしていた。8月はそれが本にかわっただけのことだが、出会った本が良い本だったので継続に至った。しかも朝はほかの音がないので読むことに集中しやすい。

話に入り込みづらいかと思っていたがしばらくすると慣れてきて、いつの間にかその世界に浸かっていた。毎晩、「明日の朝、またあの世界に戻れること」を楽しみに寝ることができた。ぜんぶで17章、345ページある。1日一章読む日もあれば3ページしか読めなかった日もある。それでも毎日読めた。

こういう読書経験を、もっと若いときにできたらどんなによかっただろうなと思う。今からでも遅くはないけど、若い時に読んでいたら人生にはまた違った深みが出たにちがいない。それでも、英語でこれを読むとなるとやっぱり今ぐらい語彙力がないと読めないだろう。

さて明日からは何を読めばいいだろう。まだもう少し、6世紀の英国にいたいような気がする。

Monkey届いた、体重、疲れ

 きのうの夕方は会議で、途中で目をつぶったらふらーっと暗闇が回る感覚があったので、これは疲れているなと思った。しばらくのあいだ、あの、立てなくなるようなめまいは出ていないけど、前触れのような気もするのでなるべく休みながら過ごそうと思った。夏の疲れが取れるのは思った以上に時間がかか...