といっても、あることに対しては興味も関心もまったく湧かず、マイナスになることはなくてもゼロ地点から動こうとすらしない。例えば芸能ニュースとか。特に関わりの無い同僚の私生活とか。
興味と関心が果てしなく拡がっていくのが自分自身で感じられるのは、例えばこんなときだ:
まずは、図書館にいるとき。あれもこれも手に取りたくなる。最近気になったあの事項はなんだったっけ、とか思いながら棚の間をうろちょろする。
これが、本屋だと同じようにはいかない。
商業目的で本が陳列されているためかもしれない。
「騙されないぞ」という気にさえなる。
次に、ウィキペディアを見ているとき。新しいページを開くたびに、知らない事項が含まれている。ちょっと待った、これは後で読もう、と思いながらどんどん新しいタブを開く。そのうちに読むべき記事だらけになっている。
これが、テレビだと同じようにはいかない。
商業目的で放映されているのが見えみえだからかもしれない。
「騙されないぞ」と思ってばかりいる。
さらに、人と話しているとき。
これは相手による。
だから、いわゆる「引き出し」の多い人と話すのは本当に面白い。
人と話すことは実際のところ何よりも刺激がある。
こうやって日々気になった事項や人と話して、あるいは自分で読んだり調べたりして得たことはなるべくどこかに書き留めておくことにしている。
しばらく前までは文字にせず頭の中に入れるだけにしていた。
それで大丈夫だと思っていた。
けれど、最近はどうしてもありとあらゆることが頭の中から抜けていくのが分かるようになってきたのである。
だからなるべく残しておくことにした。
今日もいろいろな記事を読んでいたら知らないことがたくさん出てきた。
アメリカの先住民居留地の現状やビールの歴史を今日は少し知った。
世の中知らないことが多すぎる。
そういうのを吸収していきたいんだが、もっともっと時間が欲しい。
掃除とか洗濯とか、「しなきゃいけないこと」の無い日が欲しい。
図書館に通って、人と話して、のんびりものごとを考える時間がほしい。
そう考えると、やっぱり大学はいいよなあ。
絶対必要な時間なんだよなあ。
人は学ぶときに、考える時間が要る。
何かを吸収したら、それが身体に染み渡っていくのをしばらく待っている必要がある。
ぼんやりする時間。
ものを食べるのと同じだ。消化するまでに身体は時間が要る。身体にいきわたるまでに待つ必要がある。
好きなだけ知識を深められて、人と会話して刺激しあう、そういう空間が大学にはあった。
だから、大学生が忙しいのはやっぱりよくないですよね。
早いうちから企業研究なんてやって、本物の「学問」が身につくわけは無いのです。
あ、上に書き忘れたけど、電子辞書もウィキペディアとかと同じ。
ひくのが楽しい。
ところで数週間前に修理に出した電子辞書が明日返ってくる。
わーい。