分かっているんだ、出発が明日だってことも。
分かっているんだ、荷造り全然終ってないことも。
なのにどうして身体が動かない。
少しやり始めるとすぐいやになってほかのことをやりだす。
作る必要は無いのにパンを作り始めたり洗濯機を回し始めたりする。
しっかりしろ、オレ!
そんなことを言いながらも結局今夜中に荷造りの続きに取り掛からないであろうということは分かっているのだ。
どうしてだろう。
荷造りをまったくやっていないというわけではない。
とりあえずスーツケースは出しているし、入れるものは入れたように思う。
普通、これで「おわった」と思って良いはずだ。終えてよいはずだ。
なのに、大変なのはこれからだ。
性格上、なのかどうか分からないが、どうしても「これは本当に要るのか」と吟味しないと気がすまないのである。
だから一番難しいのが衣類だ。
気に入ったのをポンポンと放り込むまではいい。
そのあとどうしても「削る」作業をしたくなるのである。
やはりこれは、「たち」なのだろう。
例えば家の冷蔵庫や職場の机の上を見ると、反射的に「捨てられるものは無いか」探している。
家の棚を見ても、砂糖のびんに砂糖が半分しか入っていなければ、袋から出してびんに移し変えてしまい、袋を捨てる。これで今まで砂糖の袋があった場所が空き、スペースができる。
「不要なものを取り去る」ことが好きで好きで仕方ないのだ。
いや、好きというよりはほとんど無意識だ。
そして時々「過剰だ」と思うことがある。
「取り除きたい」という思いにとりつかれている。
そのためにストレスを抱えてしまうことも少なくない。
おかげで身の回りは片付くのだが、そうでないときにはどうしても、心理的に、晴れない。
イライラするのだ。
完璧主義とは違うと思っているが、一部では該当するのかもしれない。
荷づくりについて言えば、これは完璧主義というよりむしろ先延ばし屋と言ったほうがいい。
もしかしてこういうことを去年の7月にも書いていなかったか…?
いずれにせよ、荷物は今日中にはできそうにない。
あきらめて、12時ごろには寝るようにしよう。
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ところで、明日までに消費しなければいけないものものが冷蔵庫の中にある。
たまご、ピーマン、牛乳…
そうだ、牛乳といえば。
ミロっておいしいですよね。
とくに、冷たいやつ。
牛乳をそそぐと、あの、すこしダマが残る、ミロです。
甘いし、絶対に飲みすぎは良くないだろうし、健康的というなら牛乳だけ飲むほうがいいのでは、とさえ思うんだけど、あのミロの健全性を100パーセント訴える姿を見ると「よし、じゃあ飲んでみっかな」と思ってしまう。
ココアとかの甘ったるい飲み物に伴う罪悪感が、ミロには無い。
ふしぎと「よい子」の気分になる。
ついでに運動神経もよくなりそうだ。
ジャーンプ、とかできちゃいそうだ。
バレーボールのアタックもバシッと決まりそうな感じ。
あ、こんなこと書いている暇あったら、荷造りしろってね…