Sunday 13 June 2010

地球が生きていることを感じる場所

先日、韓国人の歌手について書いたが、ちょうどその夜久しぶりににミュージックステーションを見たら、なつかしの曲特集をやっていて、見ているといい曲がたくさんあって、椎名林檎に限ったことじゃないなと思ったし、「少女時代」もこれと似たようなもんかなと思った。だから書いた内容を訂正せねばならんなー、とは思った。でも、そもそも音楽、歌は別の話である。だから歌手を例にあげて日本らしさのどうの書くべきではないのかもしれない。ま、いずれにせよ一般化はよくない。

今日はいい天気。明日から雨らしいですね。毎年思うけど、私が生まれ育った場所の「梅雨」というものは雨の量が本当にすごくて文字通りバケツをひっくり返したような雨がばしゃばしゃ地面をたたくという日々が続くものだった。しかしながらここ東京にいると特にそういうの感じないまま梅雨は終る。単にじめじめしているだけで周りの人たちが「梅雨、やーね」とか言うのだが、私は「え、これが梅雨ですか」といいたくなる。とは言うものの東京に住み始めて8年も経つから、故郷の環境も少し変わってしまったかもしれないけど。

8年前の記憶で語らせてもらえば、故郷はまさに、「地球が生きている」と感じられる場所だった。雷は「鳴る」というより「とどろく」と言うにふさわしかった。新緑はまるで燃えるようだったし、風は本当に「薫る」感じがした。普段から騒音が無く、静けさとともに人は生活しており、そのため小さな変化にも目がとまった。水の流れる音や鳥のさえずりといった分かりやすいものに限らない。雨のにおい、太陽のにおい、風の温度、微妙な差を意識せずとも感じ取った。

そういうのなしにくらしている都会の人々はやっぱり「なにか」が欠けているに違いないと思わずにはいられないのである。よって、自分の子どもはここで育てたいとは思わない。

プールにいこうかなそろそろ

ありがとうとカルボナーラ

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