Tuesday, 10 June 2014

だいぶ会ってないけど、友達

私のfacebookアカウントでページを開いたときに登録されている「友達」の数を見てみたらちょうど200だった。
200?

普段気に留めてもいなかったのでこれが多いのか少ないのかも分からない。
世の中にはfacebookでの友達の多さを自慢するという人もいるらしいが私はそういうことには興味が無い。

でも、200…?

果たして200人も友達がいただろうか、私に。
例えば今日、「昼ごはんを一緒に食べに行こう、誘ってみよう」と頭に浮かんだ人は1人か2人だ。
ちょっと暇のできた夕方に「一緒にビールでものみにいこう、誘ってみよう」と思える人も、たぶん、1人か、2人だ。

たぶん8割以上の人とは2,3年間、少なくとも1年は会ったことがない気がする。
それでも友達なのだろうか?
200人の「友達」…??

会わない理由はいくつも挙げられる。以下は、私がそう思う、というのもあるし、一般的に言っておそらくこんな感じだろう、というのもある。


その1:お互いに仕事や子育てをしていて、忙しい。
これが一番多いと思う。生活時間が自分とは違うかもしれない、と思う。誘ってもどうせ断られるだろうと思う。逆に、自分も仕事が忙しすぎて、平日の夜に外出する余裕が持てないので、誘いが来ても結局断らざるを得なくなる。

その2:相手の住む場所とは遠いところにいる。
会おうと思ってすぐ会える圏内に住む人はどのくらいだろう。会いたいと思う人に限って遠くに住んでいたりする。逆に、近くにいる人とは会おうとしないのは、なんでだろう?

その3:お互いに遠慮している
時間が経てば経つほど、相手の近況を「憶測で」知るようになる。
facebook上にパンケーキ食べちゃいました~、とかセレブなパーティーに出席しちゃいました~、とか、ベビたん(この呼び方、好きになれない)授かっちゃいました~なんていう写真をのせている人を見て「ああ、充実した日々を送っているのだろうな」と勝手に「憶測」をする。
直接会って、顔を見て話してもいないのに、自分の知っていたかつてのその人とは、少し遠くなってしまったような気がしてしまう。
結果、極端に美化されたり、嫉妬の対象になったりして、直接会おうとはしなくなる。
逆にその相手も同じようなことを考えていて、直接会おうとはしなくなる。
お互いに遠慮している。
facebookの怖いところでもあるが、むしろ自然な流れかもしれないと思う。

その4:ただ、面倒
ただ面倒と言っても面倒に感じてしまう理由は多々あるだろう。
話が合わない、会って話しても面白くない、会うだけの理由がない、など。
時間が経つと考え方もつきあう人々の種類も変わるのだから話が合わなくなるのは当たり前である、と私は割り切って考えている。
人の縁なんてそんなものなのだ。

あとは、自分の時間が欲しい。
朝から晩まで働いていると、家は「寝るだけ」の場所になってしまう。
私の場合、事実、ここ数年はそんな感じだ。
1人でDVDを見たりマニキュア塗ったり雑誌読んだりという時間が貴重に思えてくる。



で、あらためてこの200人を眺めてみたら、それぞれとの出会いと、思い出がよみがえった。おそらくその、過去の「記憶」をお互いが共有している。
1回会っただけの人とは友達申請が来ても承認することは無い。
あとは、facebookをやっていない友達もたくさんいる。
それらを除いても最低200人の人々と出会ってきたのだ。
最低。

数十年生きていればこのくらいの出会いはあるものなのだな、とちょっと感心する。
同時に、あらためて、会ってもいないのに「友達」であるという事実に少し奇妙さも感じるのである。

お父さんの回復、12月の疲れ

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