時差ぼけ回復気味の私が帰国する二人を迎えに成田に行ったのが28日。それから3日が経ったがまさに時差ぼけとの闘いが続いている。これが大人だけならなんとかなるものの、3歳の子供となると大変なのである。
以下は大人にもこどもにも当てはまること:
(1) まず、初日はなんとなくまだ旅から帰って来たばかりでテンションが高かったり戸惑いがあったりする。同時に極度に疲れているのでぐっすりと眠りにつくことができる。なんというか、これが何年経っても「ふしぎな1日」なのだ。
(2) 2日目の夜、眠れなくなる。ぐっすり寝たあとなので、日中はなんとか「日本時間に戻ったかもしれない」という期待を抱きつつ過ごす。それから夜になると、少し眠っただけでそのあとは眠れなくなる。
(3) 3日目の夜もやはりまとまって眠れない。
(4) そのうちに、日中にものすごい眠気に襲われるようになる。これが1日か2日続く。
こうやって1週間を経過すると、どうにかこうにかもとの調子が戻ってくる、という感じだ。ちょうど我が家の2/3が(3)の状態にある。みんなそろって夜1時ごろに元気で起きているというのはとても変な感じである。こどもが8ヶ月のときにイタリアに連れて行ったが、そのときのことを思い出す。帰って来てからの時差ぼけも大変なものだった。小さかったので、抱っこしたまま真夜中にその辺を散歩したりした。
3歳となった今、ものごとが「わかる」だけ余計に混乱が激しいように見える。そう、混乱なのである。1ヶ月近く過ごした場所から、時差のこれだけ違う場所に1日をかけて移動して来るのだからそう簡単に適応できるわけはない。そして、眠れるはずなのに眠れないという状況をやや不思議に思っているようでもある。
東→西の移動は問題ない。たいへんなのはいつも西→東である。行った先で調子が狂うことがないので、そういう面ではヨーロッパ行きはアメリカ行きよりだいぶ良いのである。帰国後の混乱は帰国後に直せば良いと割り切るしかない。それにしてもこどもに付き合って連日夜中に起きているのは辛い。
***********************
こどもが3歳になった。もう3歳である。3年前のきょう何をしていたかなと思うともうただひたすらに痛い記憶しかない。こどもを産む時が痛いと思っている人が多いかもしれないがもはやその時点では感覚を無くしている。痛いのはその前までである。陣痛。あの痛みはもう2度と体験しなくていい。断言できる。人類はどうかしている。感覚を持つ生物に耐えさせるべき痛みではない。出産の痛みは忘れるから、とかいう人いるけど、いやいや忘れませんよ一生。
というわけで3人とも時差ぼけと寝不足で苦しみながらの誕生日である。なんとか助け合いながら、お互いに休めるよう交代で子の相手をしながら午前を過ごした。来年はもう少し早めに帰国したほうがいいらしい。
昼に、いつものケーキ屋さんのケーキでお祝いをした。年々、より嬉しそうな顔をする。お祝いであることがよくわかるようになってきたのだ。
昼間に寝せるのは難しいけど少し昼寝すればいいなーと思いながら、子が静かにミニカーで遊んでいる横でパソコンを見ていた。そのうち、あれ、静かになったなと思ったらそのまま床で寝ている。滅多にないことなので、これは相当疲れていたということ。
本来は3時くらいで起こすべきかもしれないがせっかく寝たのでしばらくこのままにしておこう。
Saturday, 31 August 2019
Tuesday, 27 August 2019
仕事に戻る
久しぶりに仕事に行った。8月1日以来だから3週間以上が経っている。こういうときにやや緊張するのは実際は自分のみで、周りは気にしていないし、私が久しぶりに来ているのかどうかさえ誰も知らないし、そもそも周りだって休んでいる。だから結局みんな久しぶりなのだ。
仕事のペースに戻れるか、というと、戻れる。というのも、職場もまだ休みみたいなものでみんなのんびりしているから。これから8月最終週、ぼちぼち通ってペースを戻すという感じである。
夕方から友人に会いに行った。気軽に会える友達が近くにいるのは嬉しいことだ。みんなもっと近くにいてしょっちゅう会えればいいのに。
こどもがいないのは寂しいけど、自分の自由時間が心地よい。やっぱり一人になる時間、自分のために使える時間が必要だ。
仕事のペースに戻れるか、というと、戻れる。というのも、職場もまだ休みみたいなものでみんなのんびりしているから。これから8月最終週、ぼちぼち通ってペースを戻すという感じである。
夕方から友人に会いに行った。気軽に会える友達が近くにいるのは嬉しいことだ。みんなもっと近くにいてしょっちゅう会えればいいのに。
こどもがいないのは寂しいけど、自分の自由時間が心地よい。やっぱり一人になる時間、自分のために使える時間が必要だ。
Monday, 26 August 2019
片付け、買い物、水泳
きのうは朝3時ごろからずっと寝ていなかったにも関わらずそのあと日中に睡眠をとることなく1日を終えた。朝6時とかそれくらい早くから普段なかなかできなかった場所の片付けをはじめた。それからやるべきことを一覧にして書き出した。いらなくなったピアスとブレスレットとネックレスをすべてリサイクルに出した。
10時ごろ出かけた。気持ちの良い天気だ。秋っぽくなって来た。それでも夏のワンピースを来て出かけた。電車のなかではどうも私だけ浮いているような感じがした。夏の終わりはこういうことが多いような気がする。
頭のなかには行くべき箇所が3箇所描かれていた。まずはイタリアでもらった万年筆のコンバーター購入。プロに見てもらって適切なコンバーターを出してもらう。「ヨーロッパ型ですね…」と言いながらスポイトでペン先を掃除する男性はまさにプロだった。モンブランの万年筆はカートリッジしか使えないということだった。watermanの万年筆2本はコンバーターを取り付けてもらえた。こういう、プロに頼んで小さい仕事を丁寧にやってもらうのが結構好きである。大したことない電池の交換とかでもわからない場合はプロに聞くとすっきりする。そして古いものをこの程度の手間で復活させるのも好き。その後、ヒカリエと無印に行って2時間くらいで帰る。それから家の片付けの続き。その間イタリアに一度電話。
4時ごろから水泳。夏休み終わりの日曜ということで人は多かったがそれでも快適に泳げた。海水浴もいいけどやっぱり普通に泳ぐに限る。
食べたいものをいくつか買い物して、ゆっくり家に帰る。こどもがいないので何時までに帰らなければいけない、という制限がない。なんという自由。家に帰ってふと気づくと7時から「村上radio」が始まるところだった。ビールを開けて、最高の気分でラジオを聞いた。ジャムセッションの収録が6月に行われたらしいがその録音が放送されたのであった。あまりに心地よくて気づいたらもう8時が近づいていた。村上radioが放送され始めてこれで一年くらい経とうとしている。「村上さんのところ」あたりから、村上さんが外に出てくる機会がだいぶ増えたなという印象。この5年間くらいだろうか。
9〜10時ごろにまたイタリアに電話。こどもはとても元気そうだった。あちらもそろそろ出発の日が近づいて来ている。
程よい疲れで気持ちよく眠りについた。暑さがないのでエアコンもいらず快適に眠ることができる。
Sunday, 25 August 2019
時差ぼけと夏の終わり
絶賛時差ボケ中である。
今回こそはいけると思っていたのに…!!
というのも帰ってきた日、23日はそのまま夜まで寝なかったのだ。これはおそらく、ここ14年間において初めてのことである。つまり帰国後はだいたい午後に眠りに落ちていた。
昨日(24日。と言ってもほぼ境がないのだが)を振り返る:
8時半。近所で行われる工事の音で起きた。前日の9時ごろに寝たからほぼ12時間寝たことになる。本当にぐっすり眠っていた。こどものいない状態でこの部屋で寝たのは初めてのことだった。
たぶん掃除とかしたのだと思う。10時前に家を出て、10時から美容院。これはこどものいない間にできることとしては優先順位高い。
昼頃家に戻り、家を修理する人がくるのを待つ。部屋の壁と床の間に隙間があり、そこから虫が出てくるのでそれを塞いでもらう作業。
それから少し暇になる。洗濯とかしている間にあっという間に時間がたつ。
5時半から合気道へ。こどもの世話を頼まずに好きなことができるって、なんて素晴らしいのだろう。汗だくになって帰宅。ビールを飲んで、水菜とツナのサラダ。オリーブオイルが無いことに気づく。いや、無いのはわかっていたのに買うのを忘れていた。明日やることリストに追加。
10時ごろ寝た。
と思う。ちゃんと寝れたのだろうか。それさえわからない。とにかく途中で眠れなくなった。寝返りを打ち続けた。どれくらい経ったかわからないけどおなかが空いた気がしたのでヨーグルトを食べた。それが3時半ぐらい。
それから全く眠れず、いろいろ試みたけど外も明るくなってきたので、寝ようとするのをやめることにした。もういい。
結局帰国後の3日間くらいはこうやって境のないような状態になる。実際何日が経過したのかさえ自分でも不明になる感じ。それが夏の終わりのぬるく切ない空気とあいまって、一つの情景というかノスタルジックな感覚として自分のなかに、確実に存在している。
さて、何をしようか。
今回こそはいけると思っていたのに…!!
というのも帰ってきた日、23日はそのまま夜まで寝なかったのだ。これはおそらく、ここ14年間において初めてのことである。つまり帰国後はだいたい午後に眠りに落ちていた。
昨日(24日。と言ってもほぼ境がないのだが)を振り返る:
8時半。近所で行われる工事の音で起きた。前日の9時ごろに寝たからほぼ12時間寝たことになる。本当にぐっすり眠っていた。こどものいない状態でこの部屋で寝たのは初めてのことだった。
たぶん掃除とかしたのだと思う。10時前に家を出て、10時から美容院。これはこどものいない間にできることとしては優先順位高い。
昼頃家に戻り、家を修理する人がくるのを待つ。部屋の壁と床の間に隙間があり、そこから虫が出てくるのでそれを塞いでもらう作業。
それから少し暇になる。洗濯とかしている間にあっという間に時間がたつ。
5時半から合気道へ。こどもの世話を頼まずに好きなことができるって、なんて素晴らしいのだろう。汗だくになって帰宅。ビールを飲んで、水菜とツナのサラダ。オリーブオイルが無いことに気づく。いや、無いのはわかっていたのに買うのを忘れていた。明日やることリストに追加。
10時ごろ寝た。
と思う。ちゃんと寝れたのだろうか。それさえわからない。とにかく途中で眠れなくなった。寝返りを打ち続けた。どれくらい経ったかわからないけどおなかが空いた気がしたのでヨーグルトを食べた。それが3時半ぐらい。
それから全く眠れず、いろいろ試みたけど外も明るくなってきたので、寝ようとするのをやめることにした。もういい。
結局帰国後の3日間くらいはこうやって境のないような状態になる。実際何日が経過したのかさえ自分でも不明になる感じ。それが夏の終わりのぬるく切ない空気とあいまって、一つの情景というかノスタルジックな感覚として自分のなかに、確実に存在している。
さて、何をしようか。
Saturday, 24 August 2019
ひとり生活、知らない人には話しかけない
こどもが生まれて3年。初めてこどもなしで、東京ひとり生活を送っている。と言ってもほんの数日間だが。私は仕事があるので一人での帰国となった。
まず、こどもいなくて寂しいかなと思ったけどそれほどでもない。好きな時間に好きなことができるのは快適である。昨日帰ってきてから1)家が静かなこと、2)しなきゃいけないこと(こどもをお風呂に入れたりご飯作ったり)が無いことに少し戸惑いはした。でも日本とイタリアで簡単に連絡も取れるしとにかく元気であることさえ分かれば特に問題はない。面倒を見てもらえていることに感謝。おかげで長旅からの回復と、後片付けと、掃除に集中できる。
昨日夕方ちょっと買い物に出たときに、やはり日本って静かだよなとあらためて思った。これが悪いというわけではなくて、ひたすらに「違う」と。異様な静けさ。
そもそも、知らない人に話しかけることは滅多に無いのが日本。誰かに話しかけられるとも思っていないので、話しかけられるとみんなびっくりする。単独でいる時にはコミュニケーションreadyな状態ではない。だから逆に、誰かと社交する場となるときっと普段以上に神経を使うはずだ。表と裏とでも言おうか、差が大きいと余計に疲れるだろう。これは田舎だとちょっと違うかもしれない。
いっぽうイタリアでは隣の人に話しかけるのは普通である。何もおかしいことではないしこれはイタリアに限ったことではない。結構ふつうにバス停で「雨降ってきましたね〜」みたいなことをお互いに言い合ったりする。飲食店の店員と世間話をする、とかも日常である。これが日本だと、話をするとなると余計に気合いが入ってしまったり、どこで話を切っていいかわからなかったりするのだが、こういった社交スキルに長けた人たちは適度な話の長さと質が自然と身についている。
東京に帰ってきて最初に感じる寂しさが、この、知らない人と会話をするのが当たり前ではないという環境。寂しいし、もったいない。
さらに、話をしたとしても目を合わせない。まっすぐ目を見て話すということがどうしても身につかないのだ。大人がそうなのだから、あたらしく生まれてくる子供たちがそう育つわけがない。
「日本はそうですから」と開き直るのもありかもしれないが、もはやそうは言っていられないのではないか。帰国してすぐの諸々の感想というのは結構フレッシュかつ今限定のものなのでこうやってあえて記しておく。
まず、こどもいなくて寂しいかなと思ったけどそれほどでもない。好きな時間に好きなことができるのは快適である。昨日帰ってきてから1)家が静かなこと、2)しなきゃいけないこと(こどもをお風呂に入れたりご飯作ったり)が無いことに少し戸惑いはした。でも日本とイタリアで簡単に連絡も取れるしとにかく元気であることさえ分かれば特に問題はない。面倒を見てもらえていることに感謝。おかげで長旅からの回復と、後片付けと、掃除に集中できる。
昨日夕方ちょっと買い物に出たときに、やはり日本って静かだよなとあらためて思った。これが悪いというわけではなくて、ひたすらに「違う」と。異様な静けさ。
そもそも、知らない人に話しかけることは滅多に無いのが日本。誰かに話しかけられるとも思っていないので、話しかけられるとみんなびっくりする。単独でいる時にはコミュニケーションreadyな状態ではない。だから逆に、誰かと社交する場となるときっと普段以上に神経を使うはずだ。表と裏とでも言おうか、差が大きいと余計に疲れるだろう。これは田舎だとちょっと違うかもしれない。
いっぽうイタリアでは隣の人に話しかけるのは普通である。何もおかしいことではないしこれはイタリアに限ったことではない。結構ふつうにバス停で「雨降ってきましたね〜」みたいなことをお互いに言い合ったりする。飲食店の店員と世間話をする、とかも日常である。これが日本だと、話をするとなると余計に気合いが入ってしまったり、どこで話を切っていいかわからなかったりするのだが、こういった社交スキルに長けた人たちは適度な話の長さと質が自然と身についている。
東京に帰ってきて最初に感じる寂しさが、この、知らない人と会話をするのが当たり前ではないという環境。寂しいし、もったいない。
さらに、話をしたとしても目を合わせない。まっすぐ目を見て話すということがどうしても身につかないのだ。大人がそうなのだから、あたらしく生まれてくる子供たちがそう育つわけがない。
「日本はそうですから」と開き直るのもありかもしれないが、もはやそうは言っていられないのではないか。帰国してすぐの諸々の感想というのは結構フレッシュかつ今限定のものなのでこうやってあえて記しておく。
Friday, 23 August 2019
戻ってこれる場所
日本に戻ってきた。8月6日からイタリアにいたのだがその間一度もブログを更新しなかった。理由は、i padしか書く手段がなかったから。つまりキーボードがないと文章を書く気には到底なれないのだ。
あっという間に17日間は過ぎ、22日に出国してまる1日失い23日に帰国したというわけ。こどもはもう少しあとで帰ってくるので私だけの帰国である。こうやって一人で国際線、いや、飛行機に乗るのはおそらく2015年以来のこと。とてもラクだった。12時間のフライトも大したことないと感じるくらいだった。学生時代より体力はなくなっているだろうから12時間に耐えられるのかなと心配に思うときもあるが、きょう一人で乗ってみて、まだまだいけるなと思った。子供がいないから好きな時に好きなことができる。イタリア映画を4本見た。
1. Domani e' un altro Giorno
2. Ti Presento Sofia
3. 10 giorni senza mamma
4. Non ci resta che il crimine
4つ目は途切れ途切れに見た感じなのでまともに内容把握できていない。字幕がなくても映画をまるごとイタリア語だけで見られるようになったのだなあと14年前の、もう一人の自分のことを思い出しながら思った。
日本に戻ってくるとやはり空は灰色だった。覚えている限りで、帰国した日の空が灰色じゃなかった日はほとんどない。
そして、静寂。この十数年間の欧州との行き来での「日本に帰ってきた最初の印象」としてもっとも強いのがこれ。飛行機を降り立って、パスポートコントロールをして、荷物を取りバスに乗り込むまで、とにかく静かなのだ。これが普通だという人にはもちろんわからないだろうけど、私の印象はこれ。
さらに、すべてがsmooth and stableである。すいすい、と、ことが運んで行く感じ。表示や案内は時に多すぎるくらいだが確実で、迷ったり混乱したりすることがない。きょうなんて9時50分に着陸して10時半にはすでにバスに乗車、発車していた。なんてこったい、と逆に思う。
この国では「こいつら信じて本当に大丈夫だろうか」と疑う必要がほぼない。だいたいみんな誠実で、だいたいみんな働き者である。
戻ってこれる国があるのはいいよな、と、いつ頃から思うようになっただろう。バスの中できょう考えた。ひたすらイタリアに憧れてイタリア化を望んでいた時期もあったから、そのときはきっと、戻ってこれる国のある幸せなんて考えなかったのではないだろうか。わからない。もう覚えてない。けど、とにかく確実に自分を日本国民として迎え入れてくれる場所が地球上に存在するってありがたいよなと本当に思った。いや別にイタリアで迫害されたとかそういうわけではない。だけど、何があってもこの国に籍があって、この国に居場所を確保してもらえていることがいかにありがたい事実であるかを感じるのだ。ただしいったん外にでないとこの感覚はない。Homeなのだ。だからと言って日本が最高とか、白ご飯がないと生きていけないとか、そういうんじゃない。それとは違うしそうは思っていない。戻ってくる場所のあるありがたさと、日本サイコー、はまた違う。
いつもと違ってあまり眠くない。通常なら帰ってきてバタンキューでこれから1週間、時差ボケ祭りの始まり始まり〜、なのに。たぶん飛行機のなかで寝たのだろう。借りたまくらのおかげかもしれない。いろいろ書きたいことはあるけど、とりあえず帰国報告。
あっという間に17日間は過ぎ、22日に出国してまる1日失い23日に帰国したというわけ。こどもはもう少しあとで帰ってくるので私だけの帰国である。こうやって一人で国際線、いや、飛行機に乗るのはおそらく2015年以来のこと。とてもラクだった。12時間のフライトも大したことないと感じるくらいだった。学生時代より体力はなくなっているだろうから12時間に耐えられるのかなと心配に思うときもあるが、きょう一人で乗ってみて、まだまだいけるなと思った。子供がいないから好きな時に好きなことができる。イタリア映画を4本見た。
1. Domani e' un altro Giorno
2. Ti Presento Sofia
3. 10 giorni senza mamma
4. Non ci resta che il crimine
4つ目は途切れ途切れに見た感じなのでまともに内容把握できていない。字幕がなくても映画をまるごとイタリア語だけで見られるようになったのだなあと14年前の、もう一人の自分のことを思い出しながら思った。
日本に戻ってくるとやはり空は灰色だった。覚えている限りで、帰国した日の空が灰色じゃなかった日はほとんどない。
そして、静寂。この十数年間の欧州との行き来での「日本に帰ってきた最初の印象」としてもっとも強いのがこれ。飛行機を降り立って、パスポートコントロールをして、荷物を取りバスに乗り込むまで、とにかく静かなのだ。これが普通だという人にはもちろんわからないだろうけど、私の印象はこれ。
さらに、すべてがsmooth and stableである。すいすい、と、ことが運んで行く感じ。表示や案内は時に多すぎるくらいだが確実で、迷ったり混乱したりすることがない。きょうなんて9時50分に着陸して10時半にはすでにバスに乗車、発車していた。なんてこったい、と逆に思う。
この国では「こいつら信じて本当に大丈夫だろうか」と疑う必要がほぼない。だいたいみんな誠実で、だいたいみんな働き者である。
戻ってこれる国があるのはいいよな、と、いつ頃から思うようになっただろう。バスの中できょう考えた。ひたすらイタリアに憧れてイタリア化を望んでいた時期もあったから、そのときはきっと、戻ってこれる国のある幸せなんて考えなかったのではないだろうか。わからない。もう覚えてない。けど、とにかく確実に自分を日本国民として迎え入れてくれる場所が地球上に存在するってありがたいよなと本当に思った。いや別にイタリアで迫害されたとかそういうわけではない。だけど、何があってもこの国に籍があって、この国に居場所を確保してもらえていることがいかにありがたい事実であるかを感じるのだ。ただしいったん外にでないとこの感覚はない。Homeなのだ。だからと言って日本が最高とか、白ご飯がないと生きていけないとか、そういうんじゃない。それとは違うしそうは思っていない。戻ってくる場所のあるありがたさと、日本サイコー、はまた違う。
いつもと違ってあまり眠くない。通常なら帰ってきてバタンキューでこれから1週間、時差ボケ祭りの始まり始まり〜、なのに。たぶん飛行機のなかで寝たのだろう。借りたまくらのおかげかもしれない。いろいろ書きたいことはあるけど、とりあえず帰国報告。
Subscribe to:
Posts (Atom)
「どんな思い出もとっておきたい」
きのうから小学校は給食がない。Fは仕事がある。4時間で帰宅するのでお昼には家にいなければならず、仕事どうしようかと頭を抱えていた矢先、Fの仕事が午後からだからお昼は心配ないということがわかった。ホッと一安心。それでも少し早めに退勤して3時には家についた。お好み焼きを作ることにな...
-
ブログを書く時はたいてい文章を書いてから最後にタイトルをつける。ところがきょうは逆です。 もめんやまきの の実力。この一文が先にうかんでいた。これについて書くぞ、と思って、はい、今から書きます。 きょうは午前で仕事を終わらせ、4月からの認可保育園のためのシーツのための布のため...
-
数ヶ月間のなぞがやっと判明した。 cul-de-sac だったのだ。 ******************* 「行き止まり」とか「袋小路」とかいう意味の「コーデサック」か「コーダセク」というような単語がある、ということは知っていた。 ただ、音で聞いたことしかなくて、読...
-
どこの国でも似たようなことを考えているんだな。msn.itの記事のタイトルを見てそう思った。タイトルは「結婚するのにいくらかかる」みたいな感じ。まだ数行しか読んでいないけど、メモとしてリンクと本文を貼り付けておく。 http://events.it.msn.com/money/a...