Monday, 31 January 2022

土曜の記録

1月29日、土曜。

「なにもしないで過ごす」と前日から決めていた。そのくせに、何もせずに午前中を家で過ごすことができない。これはもう性格というか私という人間がそういうふうにできているせいだろう。特に10時から12時までの、貴重な時間帯に、外に出ずにいるというのはもったいなく感じる。10時〜12時というのは、頭もも体も最も冴えていて、活動するのには最適な時間だと思う。

ということで、リサイクルの紙パックと、「気分によってはいくかも」と思い水泳の道具一式を持って外に出た。

そしてやっぱり…泳いだ。土曜午前は団体利用があって、個人で泳ぐ人たちのコースが狭くなる。そのことをわかっているので通常は土曜午前を避ける。が、この日はそれでも泳いだ。泳がずにはいられませんでした。30分も泳がなかったのに、顔が赤くなるくらいはあはあ言っていた。1週間ぶりでもこんなに疲れる。水の中につかるだけでも十分だと思う。水泳はいい。

それから昼はいつものレストランに家族で行った。スパゲティを頼んだ。昼は麺。いつもそう。

となりの席で、たんじょうびを祝っているカップルらしき人たちがいた。ケーキが運ばれるときに拍手をした。誕生日の歌も歌ってみた。まあ、目が合わなかったので、特に聞こえてもいないかもしれないなと思っていた。だが、それから30分くらい経って、去り際にその女性のほうがこちらをみておじぎをしてニコニコしているではないか。どうやらあの拍手と歌が届いていたらしい。なんとなくこちらもおじぎをした。こういうのって嬉しい。

午後は、コーヒーをいれて"Emily in Paris"の残り3話を見た。あっという間だ。おもしろかった。賛否両論あるだろうけど私は好きだ。すでにシーズン3が楽しみで仕方ない。

Sunday, 30 January 2022

パネットーネ到着とパンの新たな作り方

*パネットーネが届いた。欲しかったsaronnoのパネットーネが結局売っていなかったため、食べたことのないものを頼んだ。1キロを2つで4000円。4000円って高いなと思うが、これでも半額なのである。イタリアに行けばこんなことはなかろうに。

まだ食べていない。こどもが起きてくるまで待っておく。クリスマス前に食べるものだが、我が家は年中食べている。クリスマス前でも後でも、美味しいものは美味しいのだ。

*パン作りについて最近知ったことのひとつ。ホームベーカリーの「天然酵母コース」を使って焼くと、それはそれは美味しいパンが出来上がる。きっかけは図書館で借りた「おうちで作るプレミアム食パン」という本だった。ためしに作ってみたら、本当にプレミアム食パンに近いものができる。ただし普通のコースよりは時間がかかるけど。

そして天然酵母コースについて知らなかったことのひとつは、「イーストの自動投入はない」
ということです。これを知らずにイーストを別に入れていたら結局投入されていないまま大失敗をおかしてしまいました。つまり、ただの小麦粉の塊ができてしまった。 失敗から学んで、今後要注意。

Thursday, 27 January 2022

「ごめん」をいつ言うか

 子が最近、「ごめんごめん」とすぐに謝る。

私は「そんなにいつも謝らなくていいんだよ、本当に悪いと思ったときでいいよ」と言った。

すると

子「ぼくはね、ごめんの練習をしてるんだよ。」

私「はぁ、なるほどね」

子「でも、本当に悪いと思ったときはごめんって言わないほうがいいよね」

私「なんで?ごめんっていうしかないでしょ」

子「だってさ、『ごめんじゃないでしょ!』っておとなは怒るから」


一瞬、言われたことがわからなかったのだが、考えてみればなるほどその通りである。本当に悪いこと(たとえばクラスメートを叩く、とか、物を投げる、とか)をしたときに「ごめん」と言われると、逆に怒(られ)る場合がある。

その場合の「ごめんじゃないでしょ」というのは、「そんな呑気なこと言ってる場合じゃ無いでしょ」「悪いとわかっているんだったらやらなきゃいいでしょ」という意味だ。

いっぽうで、「あやまりなさい」とか「ごめんて言わなきゃだめでしょ」という場合もある。

これが子にとっては板挟み的な状況なのだろう。「だったら何と言えばいいのか」と思うのももっともである。

やったことの悪さ程度によりごめんの響きが変わる。

こどもの視点は面白い。まったく気づかなかったことに気づかさせてくれる。

Sunday, 23 January 2022

体調不良

木曜の夜、ものすごい吐き気に襲われる。食べたものの組み合わせがよくなかった、というのはすぐに気づいた。解凍したハンバーグを焼いて、キャベツなどの野菜と一緒に煮込んだようなものを食べた。ハンバーグはほとんど子供が食べた。ハンバーグの脂で調理された野菜を私は食べた。それ以外にもいろいろ食べたし、寝る前には豆乳をあたためて飲んだ。それらは私の胃が処理できる範囲を超えていたのだ。こういうことがお正月にも起こった。好きなものを好きなように食べているとこういう目に遭う。胃はそんなに強くないのだということを思い知らされる。結局、上からも下からも出すことができず苦しみながら寝る。当然ろくに眠れない。

金曜、朝から何も胃に入れずに過ごす。そのためか、身体のあちこちが弱い感じがする。関節も痛いような、頭も痛いような。仕事を休もうかと思ったがとりあえず行ってみることにした。朝、楽しみにしているパン屋さんに行くことができず残念。午前中を乗り切って、午後は休むことにした。自転車で20分もあれば着くはずの家が遠く感じる。自転車がちっとも進まない。家に帰ってソファに横になり、ipadなど見ていたけど知らない間に眠っていた。1時間くらい眠ったかもしれない。

眠った後、少しマシになった気がした。それでも大人しくしておこうと思い、夜も早めに横になった。念の為に帰り道に買っておいたウィダーインゼリーを飲む。水さえ飲んでいない日だったのでこれは身体に染み渡った。

こういうとき、子の世話をしてくれる人が自分以外にいるというのは本当に助かる。ありがたい。立っていられないほどの体調不良ではなかったので、お風呂に入ったり歯磨きをしたり、ということは私がいつものようにやったが、食事を作ったりするのは完全に任せた。

土曜も出勤で、どうしようかと思っていた。朝起きるとだいぶ回復していたので行くことにした。バナナとパンを少しずつ食べることができた。そしてパン屋さんで、おなかにやさしそうなパンをひとつ買って行った。「あれこのひときょうはベーコンチーズ買わないんだな」とおそらく思われただろう。大丈夫、来週また買いにきます。

具合が悪くなってはじめて具合の悪い人の気持ちがわかる。休みたい時だってあるよね、と思う。つい1週間前までは運動してもし足りないくらいで、元気も有り余っていたというのに、あっという間にこんなに体調を崩してしまった。原因は食べ合わせと食べたものだった、とその時は思ったけど、早退した日の昼にコトリと眠ってしまったことを考えると、疲労も原因だったのだろうと思った。睡眠もとれているようで安定していない。

無理をしてはいけないのだ。できると思っていても身体には限界がある。


Thursday, 20 January 2022

ヨークシャー・ティーが届いた

 

12月に注文したヨークシャー・ティーがようやく届いた。英国から届くので時間がかかると知ってはいたが、だいぶかかったなあ。何年もの間、絶やすことなく棚にあり、毎朝飲んでいたのだが、昨年秋、「習慣を変えてみようか」と思い立ち、注文しなかった。が、それも長くはもたなかった。やっぱり無いと落ち着かない。コーヒーにしたりココアにしたり、毎日迷う必要が出てきた。ということでスーパーセールを機に注文した。相変わらずいい加減かつ弱いパッケージで、少しの衝撃で箱もつぶれるし水滴も簡単に入る。

共通テストのリスニングを解いてみた。これまた一問間違った。問題をよく読んでいないのと、思い込みでマークしているためだ。なるほどこうして点数を落とすのだなあと実感する。


Tuesday, 18 January 2022

海老パスタ、友達、共通テスト

この前の土曜日は海老のスパゲティを作ってもらった。これがまた美味しいのなんのって。作り方がうまかったのに加えて、海老がよかったと思う。海鮮物、特に海老には当たり外れがあることを我々は知っている。時々こうやってアサリ、海老、イカなどを使ったパスタを食べるからだ。今回のは、カニ味噌ならぬエビ味噌みたいなのまで入っていた。大当たりだったわけだ。夢中で食べた。


日曜は久しぶりに友達に会った。いつもお昼ご飯のためにいくレストランに、きてくれるというので助かった。コロナが始まって、友達に会うことはほとんどなくなってしまった。同僚と家族はこれだけ話しているというのに。ちょうど友達と出かけることに飢えていた感じがあって、土曜の夜に声をかけてみたら、会えるということになったのだった。

オンラインでも会えるしメッセージのやりとりも簡単にできる世の中だが、やはり直接会うのは大事だと思った。そんなことは分かりきっているのだけど。ほんの数時間だったが、週末がとても充実したものになった。やっぱり人に会おう、と思った。まあ確かにコロナはコロナだけど、このままだとずっと(少なくとも10年、下手するとそのまま慣れきって一生)人に会わないで過ごすことが当たり前になっていく。ということに、友達に会ってあらためて気づいた。感染予防はしながら、会いたい人には会って良いと思う。

共通テストの英語を解いてみた。毎年のように、情報を遮断した状態で、月曜の朝に時間をとって解く。ちゃんと印刷して、鉛筆を持って、受験生のように解く。結果、10点分も間違ってしまった。問題をよく読んでいない、というのが3問。ちゃんと考えたのに間違えたのが2問。そのうち一つには「いやそれはないだろう」と言いたい。きょうはリスニングを解く予定。

Thursday, 13 January 2022

パネットーネの値下がりを待っている

きのう、いつもどおりの仕事が始まった。初日からみっちりスケジュールは詰まっていて、結構疲れてしまった。大したことはしていないようだが、やはり疲れる。朝から晩までよく働いたと思う。

パネットーネの値段が下がるのを待っている。パネットーネとはクリスマスの時期に食べるイタリアの食べもの。パンのようなお菓子のような食べ物だ。クリスマスに限らずいつでも食べたい私は、発売されるとすぐに買う。10月ごろには売られると思う。その時期は1200円くらいで買えた。それがクリスマスごろになると3000〜5000円に値上がりする。そして12月が過ぎても売れ残ったものが売られる。安くなると600円くらいまで下がることがある。

その値下がりを待っているのだが、おかしなことに一向に安くならない。なんでだろう。売れ残らなかったのか?毎日のようにチェックしているが、そもそも売れ残りがなさそうだ。いつ頃からか一気に放出するのだろうか。食べたいなあー。10月にもっとたくさん買っておくべきだったか、とも思うけどそれは結局食べ過ぎにつながるだけなので10月はあのくらいでよかったと思う。と言っても5個か6個はすでに買ったと思うけど。

Wednesday, 12 January 2022

動けば動くほど

 「文章化しなかった思考は消えていく」。この一文が昨年末から頭にある。なんとか文章化しよう。これが今年のテーマかもしれない。

昨日は朝から雨だった。冬の、つめたい雨には参る。それでも私はカッパを着て職場へ自転車で向かった。つめたい雨に打たれるのは、もちろん嫌だけど朝から電車やバスに乗って知らない人の近くで息をひそめているより断然マシだと思っている。そもそも交通機関を使うと所要時間が2倍以上かかる。自転車がダメなら歩く。

それで、帰りには雨が止んでいるだろうと思ったがいっこうに止まなかった。午後とくにやることもなかったので、休みをとって1時ごろに退勤。また雨のなかを自転車でゆく。

家に帰ってから2分くらいで準備をして向かった先はプール。なんと3日連続で泳いでいる。3日連続となると、泳ぐのがだいぶ楽になってきた。当たり前だけど。「あれ、もう20分も経ってる」という感じ。脚も背中も肩も、ほどよい筋肉痛が3日間続いている。鍛えるのは気持ちがいい。筋肉をつけて、身体の形を意識しよう。

新年だからなのか、最近「身体を鍛えよう」という意欲がむくむくと湧いている。これももう一つの今年のテーマなのかもしれない。特にお尻の大きな筋肉を鍛えることを気をつけて歩いたり泳いだりしている。

38歳なのだ。放っておくと衰えていくだけである。

雨のなかを自転車で往復して、そのあと水泳30分とは。「よく動くなあ私」と自分で感心している。動けば動くほど、動くことが楽になるのではないかと思っている。そしてこの冬休み、子どもとよく走ったのが楽しかったのもあって、思わず走りだすことが多くなった。気がつくと人がいないときに職場の廊下を走っている。

Tuesday, 11 January 2022

日本に住んでてよかった

 イタリアでは50歳以上にコロナのワクチン接種が義務化された。「義務化」である。ワクチン未接種者には100ユーロの罰金が課されるのだ。とんでもない話だ。つくづくイタリアに住んでいなくてよかったと思う。(自分自身は50歳以上ではないし、ワクチン接種しているけど。ワクチンを接種するかどうかは個人の判断に任されるべきだと思う。)

それでもイタリア人が言うことを聞くとは思えない。

フランスの感染者数がすごいというニュースを聞く。ニュースの見出しを日本で見るときには「おー、大変だなフランスは」という感じだ。私を含めて一般的な日本人はそう。

だけどおそらくフランス人はこれをそんなに深刻にとらえていない気がする。フランス人と話したわけでもないし何か読んだわけでもない。あくまでも私が「気がする」だけなのだが。たぶん"C'est la vie."とか言ってそうな感じがする。「仕方ないわよ」「それが人生」みたいな感じ。マクロンがどんな言葉を使おうが、フランス人が大人しくするとは思えない。

それらも含めて、イタリアもフランスも面白いと思う。興味は尽きない。

(フランス語学習はきょうで285日目。)

コロナ前半(始まって一年くらい)は「何やってんだ日本は」と思っていた。今も確かにそう思うことはある。でもこの一年くらいは「日本に住んでてよかった」と思うようになった。個人の行動を法律などで制限しないことがこんなにすばらしいなんて、気づいていなかった。外の様子を知れば知るほどそう思う。文句は常にあるけど、その面においては良い国だと思う。

これもコロナ効果かもしれない。自分の場所をあらためて見直すきっかけとなった。

さて、きょうから仕事である。二日間の休みは長かった。こどもが騒ぐと耳がキンキン、頭がガンガンする。家のなかに置いておくと行き詰まる。きのう2時半くらいに「アイスクリーム買いに行こう」ということになった。2人でスーパーまで走って行った。冬休み、田舎で過ごしたおかげか子の走りが力強くなってきた気がする。

通勤路にあるパン屋さんのパンが食べたい。休みの間ずっとそのことばかり考えている。朝の、焼きたてのベーコンチーズが食べたい。そのために財布には300円分の小銭が準備されている。

Monday, 10 January 2022

泳ぎ始め、おでん

9日。今年初めて泳ぎに行った。昨年12月19日あたりから点検のためプールが閉まっていた。かなり久しぶりに泳いだのだが、簡単に息が上がってしまう。走った時に似たような、胸の辺りの苦しさもある。めったにないので「どうしたことだこれは」と思った。数週間泳いでいないと、こういうことになるのだ。手も脚も肩も、つまり、全身がぐったり疲労した。

鍛えねばと思って今朝も泳ぎに行ってきた。30分しっかり泳いだ。やっていることは昨日と変わらないのだが、少し楽に感じた。そういうものだ。明日泳げばきっともっと楽に感じる。

帰り道にふと、おでんを作ろうと思い立った。スーパーに寄って、必要そうなものをひととおり買う。昼ごはんは家族で蕎麦屋に行った。おでんは2時ごろからゆっくり作った。 

煮込むっていいよなと思う。まず、煮込むための時間が取れるのが、いい。待つ時間もいい。そういうときはエプロンをきゅっとしめようと思う。

台所が好きな私は、コンロと冷蔵庫の間に小さな椅子をおく。数少ない「落ち着く場所」のひとつである。

おでんは予想していたより手間がかかった。大根を下茹でするとは知らなかった。きょうあたり味が染みるはずなのでお昼に食べてみようと思う。

Sunday, 9 January 2022

きな粉とおばあちゃん

年末にご近所から餅をもらった。餅大好き、というわけでもないので冷蔵庫にそのまま置いておいた。そしてこのまま冷凍庫に至ると結局夏まで食べないままになることはわかっていた。

そんなとき、ふと食べようと思い立ったのだ。きっかけは先日読んだ「白ごはん.com」のブログ。「家族で餅つきをしました。つきたてのもちをきな粉にぽんぽん入れていきました。」のようなことを書いてあった。その写真をみて「ああきな粉もち…」とむしょうにきなこが食べたくなったのだ。

3日前だったか、去年から余っているきな粉と賞味期限の永久に来ない黒砂糖を引っ張り出してきた。餅を濡らし、レンジで1〜2分加熱して、きなこに放り込む。美味しすぎて餅を3つも食べた。夕飯はほかのものを食べようと思っていたのにこれで結局満足したのだった。

そして、今朝は残りのもちを全部きなこにまぶして食べた。ペロリ、である。これでもちの冷凍庫行きは回避された。

きなこといえば黒砂糖だ。かならず思い出すのはおばあちゃん。おばあちゃんはよく黒砂糖を使っていた。面倒でも、包丁で削ってきな粉に入れる。おばあちゃんはきなこをよくご飯にかけていたなあ。

どうも最近おばあちゃんを思い出すことが多く、手元にある写真をよく見る。だいぶ前に亡くなった。おばあちゃんだったらどうしただろうなとよく考える。それは特に困ったことに直面した時などに限らず、ごく日常の思考のなかで「おばあちゃんだったら」と想像をする。あこがれの人物、などは私の場合とくにいないが、あえて「どういう人間になりたいか」と問われると「おばあちゃんみたいな」と答えるだろう。そもそも人間まるごとを模倣することはあり得ないので部分的に、になるけど。

Monday, 3 January 2022

会話が単語で成り立つことについて

親と一緒に過ごしていてあることに気付いた。会話が「単語」になる。親が何の単語を言っていたか具体的に覚えていない。単語になるというのは例えば「靴下そこに置いとくよ」が「靴下」になったり、「電気消して」が「電気」になったり、ということだ。同じ人と長く暮らしていると自然なことかもしれない。そして私もそういうことあるなあきっと、と少し振り返った。

こんなことが気になるようになったきっかけがある。先日読んだ育児関連の本に「子どもへの指示を単語で終わらせない」というのがあった。たとえば「足!」「靴!」ではなく「足を机から降ろして」「靴をそろえて」と言わなければいけない。そうでないとこどもには伝わりませんよ、という話。なるほどと反省して早速日常生活に取り入れている。

その本は、育児本だったので子どもを相手にしたときのことしか書いてなかったが、大人についても同じことが言えるかもしれないと思う。つまり「お茶」ではなくて「お茶下さい」と言ったほうが良い。

考えてみれば(そしてそういえば)大人は子どもにそう教えるではないか。書きながら気づいた。「水」と子どもが言うと「水がどうしたの」と大人は答える「水ください」と子どもは言いなおす。そこでやっと「はいどうぞ」と水がもらえる。このやりとり、わが子も何度も続けている。これはイタリア語でも同じだ。こどもたちは最後に"per favore"(英語で言うplease)をつけなさい、と教えられる。

長く一緒に住んでいる相方には、ぞんざいな言い方に聞こえているかもしれないなあと書きながら思う。相手の年齢に限らず、気を付けてみようと思う。もしかしたらこれが今年の抱負になるのかもしれない。

Saturday, 1 January 2022

あたらしい年のはじまりに思うこと

 2021年が終わった。どんな年だったか?振り返ると2020年とあまり区別がつかないような気さえする。コロナが始まって2年経ってもまだ感染対策をしながらの生活をしている。そのあいだにこどもは3歳から5歳になった。月日は確実に流れているのだ。振り返ったり反省したりしても、あまり次につながることはないと思う。

2022年が始まった。どんな年にしたいか?これもまた明確な目標があるわけではない。毎年のことだ。Duolingoと合気道を続けることだろう。達成というよりは継続である。あとは何か書いて残すこと。ブログでもいいし、本でもいい。2021年に研究紀要というものを書いてみたが結構大変だった。たった4ページなのに四苦八苦した。それでも、何か残すというのはいいなと思った。がんばったものが形になるのは嬉しい。昨年、本の出版をした友人がいて、少し刺激を受けたのもある。

新しいことを始めてみたいか?そういう機会が訪れたらその時に考えよう。読みたい本や見たい映画を見ることが先だ。新しい何か、というより、現在所持しているもの(物理的なものに限らず)をまず整理し、余裕をつくり、深めることのほうが魅力的だ。余裕がないと新しいものも入ってこない。降ってきたものをひょいと入れておく場所が必要だ。

とは言え、新しい言語を学ぶことには常に興味がある。ただし、ある程度フランス語をかためてからにする。

大晦日とは言え、紅白を見ることもなく、早く寝た。そしていつものように6時前後に起きた。8時ごろから初詣に行き、11時ごろにおせちを食べた。それからあとは陽の当たる部屋でのんびりしている。本でも読もう。

ないことを見つけるより、あることに幸せを感じられるくらしをしたい。

お父さんの回復、12月の疲れ

父が入院している。経過は良いようで、退院が見えてきたらしい。よかった。毎日のようにテレビ電話で様子をきいているが、話す様子が1日、1日と元気になっていくのがわかる。人間の身体はすごいなあ。 話を聞くたびに、普段の姿勢とか、動き方とか、注意しなければと思う。身体に負担をかける動きを...