Friday, 30 May 2025

初夏の東京を歩き迷子になる

きのう。初夏の東京を歩いた。と言っても仕事で。散歩の規模ではなく、たいへんな距離を歩く。今までに3回参加したことがあり、諦めることなくほぼすべてのコースを達成していた。しかし昨日は半分行くかどうかというところで腰が痛くなってきた。歩きっぱなしも座りっぱなしも腰によくない、という医師のことばを思い出した。それで、座れるところでは1分でも良いから座ることにした。

こともあろうか途中で道に迷った。これがとどめだった。座っているどころではない。どうにかして自分の現在地を突き止めないと。いろんな人に道を尋ねた。難しかった。これが誰かと一緒だったらどんなによかっただろう、と思った。1人で迷子になるという経験を久しぶりにした。心細いことこの上なく、だんだん泣きそうになった。

天気はちょうどよく、暑くも寒くもない。曇り空だけどさわやか。

桜田門。大手門のほうに近づくともう日本語は聞こえてこない。詰所?にいる警官がひとりで観光客に対応している。対応マニュアルはたくさんの言語で書かれていた。

東京駅前を歩いてみたら、写真をとってくださいと頼まれた。60代くらいの集団。どちらからですか、と尋ねると「いろんなところから。名古屋、茨城…」と。浮かれ気分のおじちゃんたち。
 

お昼ごろに御茶ノ水に到達する予定だったので、お昼を食べる場所は決めていた。というのも御茶ノ水は、長年、定期的に通院で来ているので、知っている店もいくつかある。オフィス・ワーカーに混じって冷やし坦々麺を食べた。疲れているせいか、いつもより特別に美味しく感じられた。本来ならこのあと、歩いて最初の集合場所まで戻る予定だったが、諦めて電車に乗った。歳とったなあと感じた。


Wednesday, 21 May 2025

誰だって「ほんとに限界」になりうる

 久しぶりに平日やすみ。朝から読書をして、歯医者へ。マウスピースに穴があいてきたのでもう限界だろうと思って持って行った。型をとって、来週また受け取りに行く。そして6月はいつものクリーニング。歯医者とは仲良くなっておいたほうがいい。わたしとこどもは3ヶ月に一回通っているが、いわゆる「顔パス」である。名乗らなくても把握されている。

お昼を食べに行った。ようやくひとりでゆっくり食べにいけた。隣に座った人たちの会話が聞こえる。30代か40代の2人。「死ぬかと思った。ほんとに限界だった。」片方の人が言う。どうやら精神的に落ち込んでいたらしい。夫がどういうことばをかけてくれた、とか、職場の人たちがどうだった、とか。同僚どうしなのだろうか。

「病院に行ってもさ、診断名ってないわけよ。病気じゃないのね。それでももう限界で」

もう1人の人はずっと聴いていた。相槌がいくらかあった。「やめちゃうと思った」とか。

話は続く。

「でもさ、無理ですって言えるわけはなくてね、職場に」

これをきいたとき、もはやわたしも無意識に頷いていたかもしれない。昨年の今ごろから6月にかけて、わたしは抱え過ぎて神経が衰弱していた。大きな音がしただけで涙が出てくる。パンク寸前なのにどこから、なにから取り掛かっていいかわからない。ある朝起き上がるとめまいで吐き気がとまらない。だけど「無理です」なんて言えないのだ。とうてい。到底無理。カウンセリングも、行こうと思えば行ける。頼りになる上司は、いる。なのに、「ちょっと話を聞いてほしい」という一言がどうしても出てこない。

毎年、初夏はもっともワクワクする季節だ。いや、「だった」。しかし昨年こういうことが自分の身に起きて以来(つまり今年は)じゅうぶんに用心している。断れる仕事は断って、寝られるだけ寝て、全力で自分を守ろうとしている。なるべく自分を客観視するようにこころがけていて、もし落ち込んでも「これがずっと続くわけじゃないから」と言い聞かせようと思っている。

そのおかげあってか、今年は一応大丈夫だ。軽い不調はあるけど、「波」のひとつで、だんだん戻ってくる。

きょう隣に座っていたこの人の話を聴きながら、あらためて「誰もが具合悪くなりうる」と思った。精神の不調は珍しいことではない。迷惑かけないように生きていくのではなくて、迷惑かけるのが前提で、生きる。

Monday, 19 May 2025

理想的な土日

ふつうの土日だった。その前の土曜は仕事だし、今週の土曜も仕事なので、待ちに待った、かつ、ふつうの土曜日だった。しかし朝から雨。合気道の朝稽古に行くつもりで前日から道着の準備までしていたというのにこんなに残念なことはないなと思った。雨のときはいかなくてよいと最初から決めていたので迷うはずはなかったのだが、迷いが消えない。6時が近づくと雨が少し弱まったように感じた。ちょうどインターネットで、ミッション・インポッシブルの公開のニュースを見ていた。トム・クルーズがインタビューに答えている。どんだけすごいんだこの人は、と思いながら見ていて、ふと雨ごときで稽古をあきらめようとしている自分を考えたら「いやこんなことしてる場合じゃないな」と思ってわずか5分のあいだに準備をして家を飛び出した。間に合わないかもしれない、というくらいのギリギリである。

行ってみたら結構人がいて、そうか、雨なんて関係ないんだな、と思った。そしてやっぱり行ってよかった。稽古で汗をかいたら実際のところ雨なんて関係ない。そして、いつも思うけど、家のなかから見る雨と、実際に外に出てみて感じる雨は結構違うことが多い。

土曜はその後も雨で、夕方になってようやくあがった。家族でプールに行った。こどもがプールの半分を泳げるようになっている。驚きだ。フォームはできていなくてまさに「自由」形なのだが、それでも、おぼれることなくゆっくり前に進んでいる。「ぼくね、言われないほうができるんだよ」。そうだよな、なんでもそうだよな。きびしく言わないほうがすすんでやるのかもしれない。

日曜は朝から美容院。昼は家族でいつものように食べて、わたしは図書館へ。これがいちばん落ち着く。図書館に行かないと私は飢えてしまう。図書館でおそらく文春が手に入らないことが見込まれていたので、だいたいの記事は美容院で読んでおいた。そしてやっぱり図書館では誰かに読まれていて手元にまわってくることはなかった。

それで、借りてきた学研まんが『世界の歴史 4』を夜にパラパラと読んでみた。「カノッサの屈辱」は、名前は知っていたけどなるほどそういうことだったのかとまんがではじめて知った。やっぱり歴史はまんがが面白い。

さて、月曜日。仕事がんばろう。雨が降りそう。

Friday, 16 May 2025

稽古にいって栓がとれる

4月後半から5月前半にかけてあまり調子がよくなかった。といっても表に現れて分かる兆候はなにもなかったし、日々は問題なくこなせた。涙が出たり頭が痛くなったりすることもなかった。なんだ普通じゃないかと思うかもしれないけど自分だけがわかる「なんだか不調」な状態だった。なんでだろうなと考えてみるに、やっぱり4月始まってからの疲れと、ようやく慣れてきて気持ちがゆるみはじめたのがあると思う。仕事では腹の立つことが1、2件あったし。

この1週間、また元気になってきたと自分で感じるのは、合気道にいったおかげだ。ゴールデンウィーク中は道場がしまっていたので2週間稽古から遠ざかった。連休は身体を休めようと思ってあまり活動しなかったのだがそれが逆に調子を悪くさせていた気がする。身体が重かった。先週日曜日、やっとのことで2週間ぶりの合気道に行ったら、詰まっていた栓?がスポッととれたかのようにすっきりした。いっきに気持ちが前向きになった。やっぱり身体を動かすのは気持ちがいい。その調子で火曜日の朝も行ってみた。仕事の前に行くのは難しいと思っていたけど少しずつ達成しつつある。

朝稽古の爽快さを知っている人生と、そうじゃない人生はだいぶ違う、と行くたびに思う。すごいボーナスなのだ。

きょうまで働けばあしたは休み。明日の朝稽古にあわせて、きょうも早く寝る。

肌について不思議に思うこと

肌の話。 昨夜、レストランでの夕食にはいわゆる子育て世代の人たちが集まっていて、私以外に女性が3人いた。その中の1人はスイス在住。夏休みでイタリアに帰ってきているらしい。その人に向かってほかの2人が"bella abbronzata”(よく日に焼けている)と言っていた。...