久しぶりに平日やすみ。朝から読書をして、歯医者へ。マウスピースに穴があいてきたのでもう限界だろうと思って持って行った。型をとって、来週また受け取りに行く。そして6月はいつものクリーニング。歯医者とは仲良くなっておいたほうがいい。わたしとこどもは3ヶ月に一回通っているが、いわゆる「顔パス」である。名乗らなくても把握されている。
お昼を食べに行った。ようやくひとりでゆっくり食べにいけた。隣に座った人たちの会話が聞こえる。30代か40代の2人。「死ぬかと思った。ほんとに限界だった。」片方の人が言う。どうやら精神的に落ち込んでいたらしい。夫がどういうことばをかけてくれた、とか、職場の人たちがどうだった、とか。同僚どうしなのだろうか。
「病院に行ってもさ、診断名ってないわけよ。病気じゃないのね。それでももう限界で」
もう1人の人はずっと聴いていた。相槌がいくらかあった。「やめちゃうと思った」とか。
話は続く。
「でもさ、無理ですって言えるわけはなくてね、職場に」
これをきいたとき、もはやわたしも無意識に頷いていたかもしれない。昨年の今ごろから6月にかけて、わたしは抱え過ぎて神経が衰弱していた。大きな音がしただけで涙が出てくる。パンク寸前なのにどこから、なにから取り掛かっていいかわからない。ある朝起き上がるとめまいで吐き気がとまらない。だけど「無理です」なんて言えないのだ。とうてい。到底無理。カウンセリングも、行こうと思えば行ける。頼りになる上司は、いる。なのに、「ちょっと話を聞いてほしい」という一言がどうしても出てこない。
毎年、初夏はもっともワクワクする季節だ。いや、「だった」。しかし昨年こういうことが自分の身に起きて以来(つまり今年は)じゅうぶんに用心している。断れる仕事は断って、寝られるだけ寝て、全力で自分を守ろうとしている。なるべく自分を客観視するようにこころがけていて、もし落ち込んでも「これがずっと続くわけじゃないから」と言い聞かせようと思っている。
そのおかげあってか、今年は一応大丈夫だ。軽い不調はあるけど、「波」のひとつで、だんだん戻ってくる。
きょう隣に座っていたこの人の話を聴きながら、あらためて「誰もが具合悪くなりうる」と思った。精神の不調は珍しいことではない。迷惑かけないように生きていくのではなくて、迷惑かけるのが前提で、生きる。