Friday, 14 March 2014

女子会を断るにあたり

年度末。
この季節はいつもお別れ会やお疲れ様会が開催される。日本全国。あちらこちらで。

わたしの身のまわりも、その例外ではなく、連日のように「○○部の納め会」や「○○さんの送別会」が開かれる。

誘われるものすべてに参加をしていると身が持たないので、選んで行くことにしている。
社会人になって2,3年目だったらかまわず毎日参加したかもしれない。
だが、毎回存分に楽しめるかというとそうでもないし、次の日のことも考えなければいけないし、何よりも、1人でゆっくりする時間が欲しい。
こう思うようになった自分を「年をとったなあ」ではなく「大人になったなあ」と思う。

それで、今週は3つあるうちの1つに参加した。
今日(金曜)は休む予定だったので、昨日、飲みに行った。
数日前まであまり気が向かなかったのだが、結果的に行ってよかった。
男女3人ずつ、定年が近い人から、社会人1年目の人まで、いろいろ。
立場や専門は違えど、楽しく飲んだ。

実は、その前に断ったうちの一つの会は、「女子会」と呼ばれるものだった。
名前を聞いただけで鳥肌が立つ。
それくらいの嫌悪感がある。
どうして性別だけでくくられなければいけないのか?

わたしは、女の集団というものが苦手だ。
特に同年代。
2,3人だったら問題ないのだが、これが集団となると難しい。
どうしても、入っていけないし、入っても何を話したらいいか、どう反応したら良いか分からない。
「ぇ~」とか「かわぃ~」とか、そういった「音」に耐えられない。
実は、昔からこうだ。
小学生低学年からずっと遊ぶ相手は男の子だった。
今になっても、なんだかんだ一番よく連絡をとる相手は男の友達だ。

そんなわたしが特に親しくも無い同僚たちとの「女子会」に参加できるわけがない。
どうしても、心の底から、耐え難いほどの反発と嫌悪感があったので、参加しなかった。
これで、後々悪口を言われるのかもしれないが別にかまわない。

こういうときに、周りに合わせられたら良いのだろうけど、どうしても私はそこがうまくいかない。
嫌だと思うことを我慢できない。
そんな自分を「子どもだなあ」とは、思わない。

周りに合わせるのが大人だという考え方は、「この社会」でのことだ。
わたしには信念がある。
それをへし折ってまで笑顔を作りはしない。
まあ、女子会は一例ですが。
私はわたしだから。

お父さんの回復、12月の疲れ

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