その少しあとに、テレビからあの「タラン・タラーン」の不協和音が聞こえてきた。
だいぶ久しぶりである。
いったいどの地域だろうと少し緊張して画面を見つめていると、なんと九州の地図が表れた。
…九州?? 大地震??
この2語がどうしても結びつかない。
というのも私は18年間を九州で過ごしており、その間一度も地震というものを体験したことが無かった。そのあとまた10年以上を東京で過ごしているが、故郷で地震が起きるなんていう話はまず聞かなかった。
両親に電話をかけると、つながらなかった。
震源地とは離れているものの、九州は九州である。
あとで話すと、大したことは無かったらしい。特に被害なども無い。よかった。
それでもやはり人ごとではない。今回は、避難している熊本の人たちの気持ちが分かる。東北のときと少し違う。気候や文化を共有したことのある人たちであるだけに、「さぞ怖かったろう」と心から思う。より身近に感じるし、そわそわする。
逆に言うと、東北の地震のときに、九州の人々はあの怖さを実感できなかった。心が狭いとか冷たいとかいうわけではない。地震というものを体感したことが無いので、共感しようもない、あるいは限界があるのだ。2011年当時、東京にいた私は揺れを体感したのでまだその怖さが分かったし、九州に比べると福島の原発にも近いところにいた。しかしその直後、九州にいくとまったく平和な別世界であったことに驚いたのだった。原発の恐ろしさも、たぶん口で言っても分かる雰囲気ではなかった。原発神話はあくまでも神話でありつづけたと思う。
とにかく今回のような地震は私が生きてきて初めてのことだ。地面が揺れるということへの驚きと恐怖がただごとではなく大きいはずだ。慣れていないどころか予測もしていない。ただし、台風や水害への対処の仕方については九州人は強い。だから自然の怖さは身体で分かる人たちだ。ちょっとやそっとで壊れる脆い人たちではないし、足腰のしっかりした人たちだ。さらに、地域とのつながりをとても大事にする。
九州人というのはひときわ故郷への思い入れが強い気がする。そして「県」単位というよりは九州という「地方」単位でつながりを感じる傾向がある。東京で九州出身の人に出会うと「あ!そうなんですかー?!」と、まるで親戚を見つけたかのように喜び、明るい顔になることが多い。これが、例えば北海道だと、同じくらい離れていたとしてもこうはならないんだよね、と叔父が言っていた。とても分かる気がする。