Wednesday, 28 September 2016

家に人を招く

9月になって、何人もの友人・知人が会いにきてくれた。
家に招きはするものの、いわゆる「おもてなし」をする余裕は当然ない。むしろ買い物をしてきてもらったり手伝ってもらったりしている。

私は友人・知人宅に招かれたとき、「ちょっと手伝って」ぐらいの扱いをされたほうが心地が良い。家も特に飾り立てられたり念入りに掃除されたりしていないくらいの状態のほうが気兼ねなく入れる。結果的にお互いそれほど気を遣わずに済む気がする。

いっぽうで、毎度毎度すごいおもてなしをしてくれる人もいる。そもそもそういう場合は、家に行くことが一ヶ月くらい前には分かっていなければいけない。おそらく想像を超える入念な準備がされるんだろうと思われる。食事もデザートもまさに「抜かりない」。

この場合は逆に私が招くとなった場合、同じレベルとは行かずとも念入りな準備とおもてなしが求められる、ということは言うまでもない。

もちろんどういう人間関係か、にもよるし、家族形態にもよるだろう。友達である以上、カジュアルさは失いたくないと思う一方で、親しき仲にも礼儀あり、とも思うのである。

いずれにせよ人の出入りのある家というのは良い。学生時代に比べると人を招く機会は減ったものの、それでも、簡単な料理を囲んでわいわいと声が聞こえるのはひとつ確実な幸せのかたちだと思う。

Sunday, 25 September 2016

「産後が美しい」のか

晴れた!ようやく晴れた。洗濯物も乾くくらいの晴れ。秋らしい気持ちよい晴れの朝。
何日ぶりだろう?

子どもが、だいたい6時前後になるとパチっと目覚めて「おはよう」の顔をするのが面白い。さて、朝日を浴びねば、と思う。

なんて気持ちがいいんだろう、朝は。それがどの季節であっても。生まれて以来ずっと朝型人間の私は、朝日を浴びると細胞が元気になるのが分かる。

8月に「ようやく咲いた」と思ったアサガオは、ほんの数日花を咲かせただけでさっそく終わりモードに入った。8月末は私も入院していてその姿を見れなかったというのもある。それでも、あっという間に終わってしまった。やはり蒔き始めが遅いと花を楽しむ期間も短くなる。これから取る種は、来年の5月ごろには蒔いてしまおう。

話変わって。

「産後」について。

女性は産後が美しい、と聞いたことがある。
ということを最近友達に「自分で変化を感じる?」と聞かれて思い出した。
そういえば世の中ではそう言われているのだ、と。

実際にそうなのか?

正直なところ、何も分からない。

美しくなっているのかどうかをはかる余裕が無いのと、そもそも人に会うことが少ないので、人に見られているという意識が欠けている。
(見られているという意識のある時こそ、人は美しさを増すと思う。男女問わず。)


・体型について

体重はほぼ戻った。
しかし体型は戻ってない。
先日、整骨院に行ってみたら「以前のシャープさがなくなりましたね」と言われた。
「おっかさん体型」になったらしい。これは認めざるを得ない。
「頑張って戻すか、このまま行くか」と言われると恐ろしくなった。
(まあこれも整骨院のビジネス手法ではあると思うけど。)

この10ヶ月で筋肉量が激減した。
その代わり、体脂肪が4〜5%くらい増えた。
腹筋と背筋はほぼ無いに等しく、産後、気づくとものすごい猫背になっている。
おなかが大きくて反り返ったような格好をしていたのが、急におなかが空っぽになったので、前も後ろもふにゃふにゃである。

そして問題は骨盤で、完全に開ききっているため変な歩き方しかできない。内ももの筋肉が弱く、脚をくっつけていられないので、異様な「がに股」になっている。妊娠中にも痛かった恥骨はだいぶマシになりはしたものの、ベルトが無いとやっぱりまだ痛む。

時間が経つとこれが治りにくくなってくるので、早めに対策をとる必要がある。と、分かってはいながらも後回しになってしまった。

ベルトで骨盤を固定するのが一番良いと整骨院の先生に言われた。とりあえず毎日やれることをやろうとは思っているが…。さて、体型は治るのだろうか。


・肌について

この10ヶ月でものすごい量のしみそばかすが増えた。メラニンのバランスが変わるらしいのでこれは仕方ない。仕方ないにしてもここまで変わるものか、とショックだったのは事実。

その一方で、この10ヶ月ほとんど化粧水を消費しなかった。つわりの時期は化粧水のにおい(においが無いのに!)がダメで手をつけず、その後からは、なんと、必要がなかった。(夏に至っては、そもそも、汗をかくので毎年化粧水の意味は無いなあと思っている。)秋冬だったらどうだったか分からないが、この10ヶ月間乾燥に困ることは無かったのだ。ニキビや吹き出物もまったくできなかった。洗顔も夜に一回、適当にやっていればほかはまったく必要なし。つまり朝洗顔もスクラブもパックも、その他もろもろのケア不要。

で、今もその状態が続いている。もっとも、睡眠不足で目のくまはすごいけど。

いや、それとも、あれかもしれない、自分の顔を鏡でじっと見る時間が減った気がする。子どもが産まれてからはもちろんのこと、妊娠中は体調が良かったり悪かったり、どんな子が産まれてくるんだろうと想像したり不安になったりで、自分の顔の毛穴の心配している場合じゃなかった。「肌の調子が良い」と感じるのは、小さい部分を見なくなったせいかもしれない。そういうこともあるかもしれない。

書き始めるときりがないのでこの辺で。
いとこからもらったお菓子がおいしい。
お菓子についてはまた今度書きます。

Saturday, 24 September 2016

雨の朝に花束を

まったく、嫌になってしまうくらいに雨が降り続いた。
洗濯物が乾かないのはストレスだ。

先日、お彼岸の日の朝、雨の中、花を買いに行った。別に墓にお参りに行くわけではない。雨か…と思いながらもとりあえず出かけた。

駅前の花屋は木曜定休日と書いてあったような気もしたが、お彼岸の日に閉める花屋なんて、クリスマスに閉めるケーキ屋、とまではいかないかもしれないがそれくらいありそうにないと思った。

着いたのは11時ちょっと前で、おじさんが外に鉢を出しかけているところだった。

10時開店と思っていたけど、違ったか…と思いながらきいてみた。
「お店、11時からですか」
すると
「そうですけど、どうかしましたか」

花束が必要だということを伝えると作り始めてくれた。
予算はどのくらいか、誰へのものか、年齢は、どの花が好きか、どの色が好きか…などを聞きながら、慣れた手つきで束ねていく。

シンプルに、バラだけの花束にした。黄色にしてみた。
「雨が降ってるからきょうはいつものようには外に鉢を出せなくてね」と言うおじさん。

デリケートなものを扱う仕事をする人。
ああ、花のすべてを知っているんだろうなと思うと、すごく特別な職業のように思えた。
なんて素敵なんだろう。

ついでに、以前から気になっていたハイビスカスの鉢について色々尋ねてみたら、今買っても花を咲かせることはできるということだった。1つ買ったら、「これもう1つあげるよ」と言われた。思いがけずBuy 1 Get 1である。

育て方とか、家に何の植物があるかとか、色々なことについて話した。

「お彼岸なのに雨降っちゃって…花屋にとっては大事な日なのに。それで、ああきょうは店開けなくても良かったかな、と思ってたところにあなたがやってきたわけ。来てくれて良かった」

笑顔でこう言われて嬉しくないわけがない。
こちらこそありがとうございました、と言って店をあとにした。

こうやって、嬉しい気持ちをストレートに言葉にするだけで、自分だけではなくほかの人も幸せにすることができる。当たり前のようだけど、時々こうやって実感することがあると、しみじみと「やっぱり言葉にするべきだよな」と思う。

というわけでお互いに嬉しい朝になった。

Wednesday, 21 September 2016

紅茶、イギリス、ブラピ

涼しくなって(しかもカフェインを気にしなくなって)、ヨークシャー・ティーが美味しい季節になってきた。朝の飲み物としては最適だ。そして昨日みたいな雨の日の午後はまさに紅茶日和だった。本を読みながらヨークシャー・ティーをいれる。

ここでも何度も書いたが、紅茶と聞くとなんとなく高級なイメージが一般的にはあるようだがイギリスの"tea"はいたって庶民的だ。既に葉っぱが袋にザクザク入った状態のものが安く売られている。ヨークシャー・ティーはそのなかでも本当に美味しいやつ。

懐かしいなあ、2004年の今頃はイギリスに着いたばかりで、家が無かったり、高熱を出したりしていた。保健センターみたいなところで数日寝込んだのだった。今振り返ってみるとたったの一週間がとても長く感じられる。今はおそらくスカーボロとかリヴァプールとかに日帰り旅行している時期かもしれない。ヨーロッパに一度もいったことがなくて、いきなり一年間滞在することに決めたんだった。かけがえのない一年。

あれから一度もイギリスには帰っていないのだ。

この、9月の涼しくなってくる時期、肌寒い空気に触れると当時のことを思い出す。「はじまりの季節」は4月だけではない。

ところで、そのイギリスのタブロイド紙であるデイリー・メイルをインターネットで毎日読んでいる。(このおかげでリーディング力がどれだけ伸びたことか!)今朝も「さてと」という感じでパソコンの前に座ってクリックするとこの画面が目に飛び込んできた。

BRAD:I'M SO SAD

どうやらアンジェリーナ・ジョリーとブラッド・ピットが離婚するようだ。おお、それでこそハリウッド・セレブ!
最近デイリー・メイル紙はこのBreaking Newsのための見出し(黒地に白文字で全部大文字)をよく使うようになった気がする。振り返ってみると、おそらく去年のパリのテロあたりから?

セレブの話題に限らず、海外のニュースはこのサイトで見たほうが早いし詳しい。日本のは情報がめちゃくちゃ少ない。その差は半端ないです。

まだちゃんと読んでない(し、たぶん詳しくは読まない)けど、マリオン・コティヤールが出てきているのが彼女にとっては何とも良い迷惑でしょう。

見出しはこういう感じ。


内容はなんとなく分かりますかね。これ毎日少しずつ読んでいるとかなり語彙力も上がる。

Friday, 16 September 2016

眠っている間は

子どもが寝てくれない間は、ああ早く寝てくれと思うのに、
眠っている間は、起きたときの顔が見たいと思っている。

丸い目と、自在に動く唇と。
ありとあらゆる表情を。

Tuesday, 13 September 2016

ある雨の朝、あんこのお菓子が届いた

雨です。
こういう雨は結構好きなんだけど、なんだかつまらないし悲しい。
家にいる身としては晴れだろうが雨だろうがあまり関係がないようにも思えるが、やっぱりつまらないし悲しい。
ひとつには洗濯物が干せないこと。
部屋干しはスッキリしない。
干したらほんの数時間でカラッと乾いた、みたいなさわやかな天気を望む。

さて。

きょうは朝から荷物が届いた。
妹がお菓子を送ってくれたのだ。

ちょっと紹介:

お菓子屋さんは「村岡総本舗」という和菓子屋。
甘さがちょうど良いのと、作りが上品なので、私はたいそう気に入っている。

きょうはこの二つを送ってもらった。(画像はウェブサイトからお借りしました)

とら焼き宗歓パイまんじゅう 気球


なんとなく雨の日に合う気がして(こじつけ)さっそく開けて食べた。
ピンクの餡が入っている。
そういえば小さい頃、ピンクの餡を食わず嫌いしていた。
味は同じなのに、なんだか嫌だった覚えがある。

とら焼きはしっとりしていて美味しいです。

ところで。
あんこを包んだお菓子って素晴らしいですよね。
餅となると重すぎるので食べるのに覚悟がいるし、あんパンとなるとやっぱりどっから見てもパンなもんだから食事っぽくてこれまた覚悟いる。
だからこういう小麦粉っぽいもので包んであるあんこのお菓子は手軽でカロリーなどの面から見ても食べるときに罪悪感を感じなくて済む。
その上にビスケットなどと違っておなかをほどよく満たしてくれるからいい。
さらに洋菓子と違って油分もほとんど(見当たら)ない。
おやつに食べるのもいいけど私が好きなのはやっぱり朝1番に食べること。
GI値の高いものをいきなり食べるのは健康的な食事の面から言えば否定されるべきことなのだが朝に関してだけはこうするのが1番好き。
少しおなかをすかせて目覚めていきなりあんこ、という流れ。完璧。

他人には「ええ?」と言われるけどあんこだけを冷蔵庫に備えておいて、朝とりあえず食べることもある。驚きますか。ええ。何かにのせるでもなく、ただ、容器に入った小倉あんをぺろっと食べる。それくらいあんこ好き。

村岡総本舗はそんなあんこ好きにはたまらないお菓子屋さんである。そもそもは羊羹がメインのお店。別に「とらや」じゃなくていい。素朴さと上品さが欲しい。そしてあんこ好き。そんな人にはうってつけの和菓子屋。ネットで注文もできるようなのでぜひ見てみてください。

Monday, 12 September 2016

食べられる喜び

昨日の午後から友人がうちに来た。
たくさんのお土産をもらって嬉しかった。
バナナパイ、キッシュ、ローストビーフ丼、サラダ…

胃につっかえていたものが取れたように、出産直後から食べたいものを食べられるようになった。納豆だけ食べて「もう無理」と言っていた日々がウソのようだ。
食べ物がこんなに美味しいなんて!
新生児の世話がどれだけ大変でも、食べ物が食べられるというだけでこんなに毎日楽しい。人生の大きな楽しみを取り戻した。

それで調子にのって食べ過ぎる傾向にある最近。気をつけなければ。

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家にいて赤ちゃんの世話をしているとあっという間に時間が過ぎる。
夜中に起きるのもあって、昨日と今日の区別もつかなくなってきた。
ただ、それ以外にやらなければいけないことが無い、というのは良い。
寝不足になったとしても取り戻せる。

ただ、いつの間にか肩がこったり背中が丸くなったりしている。
筋肉の使い方というか力の入れる場所もよく分からなくなっている。
今までになかった身体の使い方をしているんだなと思う。

Thursday, 8 September 2016

新しい存在

29日から投稿が止まっているのはなぜかというと、それどころではなかったから。

子どもが産まれた。

重かった身体がだいぶ軽くなって、約一週間が経った。
新しくできた守るべき存在は、それはもう小さく、柔らかく、尊い。
産まれたすぐあとは、自分から人が出てきたということがなんだか信じられなかった。
かわいいとか感動とか、そういう幸せからは、どこか自分だけ遠いところにいて、放心状態に近かった。
(これからが始まりなのに)すべてが終わった、という気持ちのほうが大きかった。

時間が経った今、見つめているだけで、あるいはその存在のことを考えただけで涙が出てくる。
ここに来るに至ったその旅路と、起きるべくして起きた奇跡を思うと、感謝の気持ちでいっぱいになる。
この小さき人は、私たちに守られなければいけないのだ。自覚は日に日に増す。

世話に追われて物理的にも精神的にも余裕が無い。
ホルモンバランスにも振り回されて文字どおり泣いてばかりの毎日である。
それでも、すべての瞬間が、尊い。
ゆっくり、二人三脚、三人四脚である。

お父さんの回復、12月の疲れ

父が入院している。経過は良いようで、退院が見えてきたらしい。よかった。毎日のようにテレビ電話で様子をきいているが、話す様子が1日、1日と元気になっていくのがわかる。人間の身体はすごいなあ。 話を聞くたびに、普段の姿勢とか、動き方とか、注意しなければと思う。身体に負担をかける動きを...