Saturday 4 August 2018

味のないレタス麺を中心とした出来事

7月31日になんとなく自分のなかで仕事納めをした。本当は2日あたりも仕事に行こうかと思っていたけど控えめに言って本当にやることがないので行かないことにした。31日まではそこそこ我慢できる程度の暑さだったが1日になるとまた急に暑さが舞い戻ってきた。いや、舞うというほど軽やかな感じもしないな…。

1日。
久しぶりに何もない午前中ということで何かしようかと思ったが家のなかにとどまった。こどもを保育園に送った後、家でパソコン開いたりして過ごした。1時から用事があるので11時ごろにでかけて昼ご飯を食べてからと思ったもののそのまま家に残り、賞味期限の迫った中華麺とソーセージを調理して食べた。12時ごろ出かけたが、これがまた暑い。駅に歩くまでの道でだんだんと気分が悪くなってきた。用が済んで帰宅してからめまいと吐き気で動けなくなった。こどもが夕飯を食べるとなりで横になってちょっと休んだ。暑さ、睡眠不足、育児疲れ、栄養不足…そのあたり全部が症状になって出た感じ。

2日。
ぐっすり、とまではいかないがまあよく眠れて、本当に何もない平日休み。とても暑い時間に出かけてしまった前日の反省を生かしてこの日は11時ごろに出かけた。用はないけど吉祥寺へ。豆乳担々麺だったか、先日の試験の際に食べたのがあまりにおいしかったのでそれと同じものをと思って麻布茶房へ。

ここでひとつおもしろいことが起きたので書いておこう:

豆乳担々麺は残念ながらなかった。かわりに冷やしレタスなんとかという冷たい麺があったのでそれを頼んだ。去年も何度か食べたことがありおいしいことは間違いないと思っていたからそれにした。

しばらくして出された麺、レタスにドレッシングらしきものがかかっている。その下の麺を見てみると…麺しかない。つまり、タレ的なものが何もないのだ。ええっとこれは混ぜて食べろということだろうか、と思ってレタスと混ぜてみた。レタスにくっついていたドレッシングがかろうじて味を加えてくれたが、いやいやどうして、こんな量のドレッシングで全体に味が付くわけはない。麺は白いままである。どうしたって味がない。

何かかけろ、ということだろうかと思ってテーブル上を見回してみた。酢とか醤油とかそういったものは何も見当たらない。

(どうしよう)

心の中でつぶやいた。これを聞くことは失礼にあたるのかもしれない。この味のなさがこの店のこだわりというか「品」の現れなのかもしれない。聞いてみて「こういうメニューですけど」と言われたらそれで終わりだ。

無言で白い麺を見つめる私。

尋ねてみよう、と心に決めた。だって、これ、全然おいしくない。特に、去年も同じものを食べたことがあるので、こんなはずはないと確信できた。

私「あのう、これは何かかける、とか、そんな感じでしょうか。それとも混ぜるべき…」
店員(息をのんで)「全然足りないですね、というかないですね、タレが。すみませんでした、持ってくるときに気が付かなかった」

そんなこんなで私の麺は作り替えられ、しばらくしてちゃんと味のある料理が運ばれてきた。やっぱり言って良かったと思った。あれで我慢して食べていたらお金を失うだけだった。私以外にあの状況に気づけた人はいなかったのだから。コミュニケーション能力ってこういうところで大事なのかもなとちょっと思った。

それからぶらぶらと涼しいところでウインドウショッピングをして、また別の店で抹茶白玉パフェを食べて3時ごろ帰宅。

こどもを保育園に迎えに行き、それから合気道へ袴を取りに。稽古は不参加。それでも顔出せたのはよかった。

それから、翌日に北海道へ引っ越してしまうご近所の友達のところへ挨拶に。訪ねていこうとおもいながら結局前日になってしまった。連絡もせずにピンポンをしたら友達と、犬と、こどもが出てきた。仲良しが遠いところへ行ってしまうのはさみしいが、気持ちよく送り出した。

そんなこんなで慌しく過ごす8月。私たちも3日からは九州へ行く。しばらくいつもの生活場所を離れるとなると休暇前はいつも最後の後始末というべきか、やるべきことが立て込む。それでも夏のこういう感じきらいじゃない。

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...