Thursday, 29 August 2024

帰国後の雑感

 きょうはじめて、まともに5時まで眠ることができた。帰国したのが25日、それから4日が経過している。

きのう28日は、朝(というか夜)の2時半に起きてそのあと眠れなくなり、3時半にハーブティーを飲みながら暗闇にひとりぼーっと座っていた。どうしようもなくて活動し始めたら4時半という、ちゃんとした「朝」になっていて、そのまま私の1日は始まったのであった。電車に乗っているとウトウトした。日常生活で「ウトウト」することは滅多にないので、これは普通ではない、というバロメーターにもなる。8時半には寝た。そこからきょうの5時まで寝たのだ。

時差ぼけに逆らっても仕方がない。眠れないとなると当然焦るが、段々と戻っていくので、日をかけて従うしかない。だから調節するためには帰国後1週間は大きな用件を入れないことが肝心だと思っている。日にちを間違う恐れすらある。

さて、思いつくままに以下:

■筋肉が減る

当然ながらこの3週間、特に運動もせず、食べたいものを食べてダラダラと過ごしたので体が弱くなっている感じがする。3週間、体組成計にのらなかったので一体どうなっているのだろうと思い帰国後まっさきに測定してみた。体脂肪と体重が少しだけ増えている。思ったほどではなくて安心した。

それでもやはり運動をしていない分の影響は自分が一番よくわかっている。筋肉が減った感じがするのだ。疲れやすい。体重は重くなくてもなんだか体が重く感じる。次の土曜には合気道に行くつもり。

■食べ物

帰ってから豆腐、納豆、めかぶをよく食べている。美味しくて体にもよい、こういう食材がどこでも手軽に入手できる国にいて本当によかったなと思っている。そして日本の食はすばらしいなと思う。たとえば早朝からきびきびと散歩している老人の身体が、何を食べてできているか。想像するとやはりそれは野菜、大豆、魚を中心とした食事に違いない。

今回、イタリアで海に行って、思ったのは、やっぱりおなかが出ているなということ。手足は細くて顔は引き締まっていても、お腹はしっかり出ている。(それでも、イタリアは、欧米の国々のなかではだいぶ引き締まっているほうではないかと思う。)まあ、炭水化物と肉中心の生活をしているとそれはそうなるよなと思う。運動さえすれば良いだろうけど、しないとお腹は出る。日本でもお腹出ている人はもちろんいるけど、より「出にくい」感じがする。

■「異国」な感じがない

イタリアに行った時も、戻ってきたときも、不思議なほどに違和感?異国感?がない。日常の続きのように、どちらにも入っていける。例えば、まっさきにコンビニのおにぎりを食べて感動したり、家に帰ってから「わー、フローリングの床を裸足で歩けるなんて」と感動したり、ということが、以前ほど、ない。イタリアに行ったときも同じだった。空港について「ローマの空港のにおい」に異国っぽさを感じていたはずなのに、今回はほぼ何もそれがなかった。空港でしかなかった。

なぜだろうか。ここ数日、いやむしろこの1ヶ月間考えている。

おそらく理由として一番大きいのが、飛行機だ。かれこれ20年前、学生時代にイタリアに行っていたときは経由便で

成田→欧州のどこか(ドイツ多め)→イタリア

が定番だった。

これが、子が生まれてからは直行便を選ぶようになり

成田→イタリア

になった。

そしてさらに今回、驚くべきことに成田まで行く必要がなくなっている。

羽田→イタリア

という夢のような最短経路で行けるのである。(ITAエアウェイズの良し悪しは別として。)行った人なら当然わかると思うけど、成田までの距離は洒落にならんくらい遠い。例えば12時のフライトに乗るとして、2時間前の到着を目指すと、10時。10時に到着するためには8時に家を出ても間に合わない。長距離バスの時刻によっては7時だろう。そうすると空港に着いたときにはとんでもなく疲れている。これが、羽田となると、10時到着を目指すには8時半にでれば大丈夫。

そして経由地がないとなると、飛行機を降りたらそこはもうイタリア、なのだ。タイムスリップというか、ぽん、と自分だけ空間を移動されたようなそんな感じがした。はるばる、長旅をしていたときとはだいぶ違う。今は飛行ルートが、北をまわれないので、遠くなっているがこれでもし以前のようにロシア上空をいけるとなるとさらに時間は短くなるはず。

そんなこんなで「あれ、もう着いた」という感覚なのかもしれない。じわじわ移動していく感じがない。

それ以外にはきっと、こどもと一緒であること、自分が歳をとってきたこと、なども挙げられるだろう。

Tuesday, 27 August 2024

26日、仕事に戻る

27日、朝。4時すぎに子に起こされる。「おしっこしちゃった」だそうだ。布団が濡れたのかと思ってひぇっと飛び上がると、そうでもないらしい。めちゃくちゃ眠くて頭も重かったので睡眠の続きを…と思ったがこれが意外と眠れない。子も同じである。5時が近づいてきて「ままー、日本はもうすぐ朝なの?」「うん、そうだよ…」もう日本に帰ってきているのになぜ「日本は」なんだ、いい加減に寝かせてほしいと思いながら答える。しばらくして立ち上がりカーテンから外を見て「もうそろそろ起きてもいいんじゃないの」と言うので、起きていいし、1人で遊んでていいよ、と答えると「だってぼく寂しいんだもん」「えー…」

このやりとりをしばらくつづけ、5時過ぎ、ついに私も起きた。起こされなければもう少し寝れただろうに。

きのうの夜は猛烈に眠かった。横になるまではそんなことなかったのだが歯磨きを終えて8時半ごろ、横になったら、体の全体重が、ふとんに引っ張られているというか、物理?でいう矢印がすべて下向きにどーんと向かっているような、猛烈な眠気で、寝てしまった。のび太には敵わないけどいい勝負だったと思う。ウトウトするとか、あくびがでるとか、そういうレベルではなかった。疲れているのともちょっと違う。

それでも、仕事に行ったのはよかったと思う。帰国して翌日に仕事に行ったのは初めてではないか。そもそも無理だと思っていたけど、子といっしょだとどうしても思うように休憩できないので無理にでも普段の時間に戻さざるを得ない。

職場に入ったのは1ヶ月ぶりで、そんなに休みが取れるのか、というと取れるんですね。いや、イタリアに行く前にも働いているんだけど単に場所が職場ではなかったから。

ひさびさに同僚にあって「おー、ひさしぶり」と言われた。けど夏休みなんてこんなもので、私以外も結構「おーひさしぶり」状態である。そもそも、誰がいて、誰がいないかを、それほど誰も気にしていない。いなくて申し訳ない、と思っているのは本人だけ。自意識過剰というか。今年1ヶ月離れてみて、さほど大きな問題はなかったので、今後もこれでいこうと思った。

久々に仕事に戻るとリハビリが大変なのでは、と思われるかもしれないが、そんなことはない。30分で戻る。育休明けに、おなじように育休をとった友人に聞いたら「30分で戻るよ」と言われたのをよく覚えている。実際そうだったので、いわんや休暇明けをや。そもそも職場が好きなんだろうと思う。

Monday, 26 August 2024

絶賛時差ボケ祭り

24日の14:55にローマを出て、12時間後、25日の10:15に日本に到着。あっという間に時間が経ってきょうはもう26日。この、時間を失う感じ、なんとも言えない。

そして現在、絶賛時差ボケ祭り。しかも単独ではなく息子とともに。

26日今朝3時ごろ、目が覚めてゴロゴロしていたら子も動き始めていて頭をなでたら「まま、もうおきてる?」と言う。うん、起きてるよ。ぼく、眠れない。そうね、わたしも眠れない。体がまだイタリアだからね。イタリアはなんじ?夜だね。日本はあと何時間で朝?うーん、あと3時間くらい。眠れないね。ぼくね、きょうこの歯抜けそうな気がするよ。あらそうなの。

水を飲みに行って、トイレに行って、もう一回横になる。しばらくして

「ぬけた!」

なんと、歯が抜けた。前歯の隣の歯が、イタリアにいる間に1本抜けたのだが、今回は反対側の、前歯の隣。対象に2箇所抜けている。抜けた歯を洗って、皿に置く。「ちいちゃいねえ」「うん」

このとき4時50分くらい。5時までがんばって横になることにした。

「もう10分たった?」

「まだだよ」

「あと何分?」

「あと5分くらい」

これを繰り返し、ついに5時になったので2人で起きることにした。本来なら今の時間から就寝、なので、もう完全にバグっている。2人でコンビニに行くことにした。5時なんて、人がいないだろうね、と私が言うと「えっ、おみせの人もいないの」というので、「いやいや、お店の人はいるだろうけど、お客さんはいないだろうねってこと」と言いながら店に入ると、なんとお店の人も本当にいなかった。仮眠中なんだろうなきっと。

好きなもの買っていいよ、ということでおにぎり、パン、ゼリー、ヨーグルトを1000円くらい買って帰った。ものすごく久しぶりにメロンパンを食べてみたけど、コンビニの質はすごいなあ。たったの130円でこんなの作れるのか。

眠いはずなのに、眠れない。息子はずっとレゴをやっている。経験上、完全に戻すには一週間以上がかかる。こちらからヨーロッパに行く時とは全然違う。どうしようもないのできょうは勤務することにする。

Saturday, 24 August 2024

23日、ローマ

出発前日は予定を入れずに荷物整理したりローマでしたいことをする日、ということにしていた。午前中は特に何もせず。

お昼は量り売りのピッツァ。

出かけるのは3時ごろからにした。中心部まで車で行っても駐車できないので地下鉄を使うことに。おそらく10年くらい乗っていないと思う。

フラミニオにいくためにテルミニからA線にのる。スリがいる。見てわかる。イメージするのは「いかにも悪そうな人」かもしれないけど、そうじゃなくて若い女の子の集団。きのう見た子は妊娠していてお腹が大きかった。

地下鉄、以前よりきれいになったと思った。

が、まず問題はどっち行きなのかが不明。どこにも書いてない。乗ってみて、中に路線図があるけど、みてもどっちかわからない。ダメ元で乗ってみたら反対方向。ハズレ。一駅乗って、別方向に乗り換える。つまり元いたテルミニに戻ってくる。

するとテルミニで止まり全員降ろされる。なにかというと8月いっぱいはテルミニ以降は運行停止、と。

こういうことを地下鉄入口に書かれていない。知るわけがない。切符の払い戻しをしてもらおうにも、誰に言っても肩をすくめて、終わり。誰も責任を取ろうとしない。たったこれだけのことが、できないのだ!日本のみなさん、信じられないかもしれないけど、こういうことが日常茶飯事。ストレスで爆発寸前。

かわりにバスに乗ってみたけどまあ渋滞で時間かかるのなんの。ようやくポポロ広場に開放されたときには地下鉄に乗ろうと試みてから1時間以上が経過していた。距離としては、大したことはないのである。歩こうと思えば歩けたくらいの距離。調べてみたらたったの5kmでした。

これを「仕方ないじゃん」と諦めながら生きていかないと、ここでは暮らせない。そうじゃなかったら毎回、怒りとストレスで爆発することになる。あきらめているうちに、自分も「責任なんて取りたくない」「まじめにやっているのは損」「働かなくていいじゃん」になる。間違いない。勤勉さを発揮しても、それが自分1人だと、力として不足で、ただの損になる。

ぐったりしていたけどやっぱりポポロ広場も双子教会もとてもきれいで、オベリスクを見上げて「はぁー、ほんとすごい」と声が出る。これをエジプトから持ってきたのか。

コルソ通りを歩いたものの、買い物の欲はまったく出ない。円安もあるけど、以前と違って「イタリアでないと買えないもの」ではなくなった。グローバル化は、ありがたい反面、つまらなくもある。

パンテオンに行きたかったので、行ってみたけどなんと入場料が5ユーロに跳ね上がっていた。無料だったのに、無料から5ユーロとは大きい。ラファエッロの墓参りでもと思ったのだが、チケットを買う列を見て入場は諦めた。

ボルゲーゼ家を入り口から見学。

この時点でだいぶがんばって歩いて疲れていた。ジョリッティでジェラートを食べたら元気が出た。すごく美味しい。さすが老舗。しかしスモールサイズで3.5ユーロは高い。

ここからがんばって、Largo Argentinoを経由してかの有名な「真実の口」まで。
なんと、1分遅れて入れなかった。信じられない。入れてくれてもいいだろうに!しかも無料なのに!同じように残念がる人たちがたくさんいた。心底残念がる息子が気の毒だった。

22日、フレジェネとトレヴィの泉

21日にローマに戻り、22日。

朝から聞こえる喧騒は、ローマだなあと思う。

叔母さん一家を訪ねてフレジェネへ。車で20〜30分くらい。空港に近い。

それはもう豪邸で、庭はもはや公園サイズ。プールもあるが、これがしっかり泳げる、深さも広さもあるプール。海よりやっぱりこっちのほうが良い。水はつめたかったけど嬉しくてずいぶん泳いだ。

叔母さん一家も、知り合って15年くらいになる。どこの馬の骨?か知らないジャポネーゼ、という存在だったはずの私でも、イタリアに行くたびに挨拶してこれだけの年月が経つと、やはり気楽さが増すし距離が近くなった。

運動するとおなかがすいてお昼もおいしい。

それにしても裕福な人たちというのはやさしい。損得を考えていなくて、裏がなくて、ただその場にいる人たちが心地よく気持ちよく幸せに過ごしていることを願っている。生まれ故郷どころか東京でもあまり出会うことのない層の人たちなので、あらためてそれを感じる。

ローマに戻ってから、日が沈むころ。空がピンクで、きれいだったので撮りたかったけど難しくてこんなになった。

9時過ぎに、トレヴィの泉を見に行くことにした。9時に外出なんて、と思うだろうけどローマは夜の散策のほうが断然良い。日中は暑く、混んでいて、そもそも車で中心部まで入ることができない。
相変わらずの大迫力でした。そしてこの時間でもものすごい人の多さでした。初めて行ったときは、イメージしていたよりも大きいということにだいぶ驚いた覚えがある。そう、ひとつひとつの彫刻がかなり大きい。その辺の噴水とはわけが違う。そしてまた驚くのはごく普通の細い、石畳の道を歩いていてこれがズドーンと現れる、ということ。遠くから見えて「あ、あれだよ」とかそんな感じではまったくない。予期せぬ出現の仕方をする。
ジェラートを買って食べたけどやはり観光客向けの店はただひたすらに甘くて必要以上に大きく、胃にもたれてしまった。子は嬉しそうだったが思ったとおり、食べきれなかった。

Friday, 23 August 2024

トゥスカーニャ散策 ラツィオ州 Tuscania, Lazio ②

21日、トゥスカーニャの続き。
この小さな町は、これがとにかくきれいで、よく管理されている。イタリアの有名な観光地は人が殺到して汚れるがここはそんな感じがしない。

チェントロ・ストリコ(中心街)をゆっくり歩いてみた。いい風が吹く。
ふと横を見るとこういう感じ。絵画のよう。ヨーロッパではこういう石畳のシーンが当たり前すぎるのだが写真にとってあとから見ると「わーきれいだ」と思う。
つたで覆われたこの建物、レストラン。木がにょきにょきはえていて、その間にテーブルがある。
ここにしましょうか、ということでお昼休憩。人気の店なのか、テーブルはあいていなかった。ほんの数分たったら座れた。
「特徴的なのは、メニューがないこと」とマリア。ええっ、と驚くが、考えてみればイタリアでこういう店に出会うのは初めてではない。その日にある、その場のメニューを、言われてサッサと選んで答える。店員がでてきて、「ニョッキかタリアテッレ」x「トマトソースかラグー」というメニューをすごいはやさで伝える。わたしはタリアテッレのラグーにした。メニューがないということは値段も不明。

まあ美味しかったけど特別に美味しいとは感じなかった。なので写真もなし。私にとっては量が少なかった。
ながめのいいところに行こう、ということで少し歩くと、これまたよく管理された公園のようなところに出た。ここからトゥスカーニャのパノラマが見渡せる。これは本当にきれいだった。

よく晴れているけどそれほど暑くはない。30度台の前半だと思う。汗もかかない。気持ちが良い。
遠くに見えるのはお城か、教会か、と思っていたら「さっき行った教会」ということ。そうか、あっちからこっちにきたのか。
中世(より前)からこれがまるごと残っているというのはもはや奇跡に近いなと思う。シルヴィアは「有名な観光地はたくさんあるけどトゥスカーニャは真珠だと思う」と言っていた。perla(真珠)と。ちっちゃく、宝物のように、きれいに管理されて、そのまんま残っている町。
かつて演劇が行われていた場所。
かわった椅子があるなあと思っていたら、女性への暴力防止の啓発のため近年作られているらしい。赤い色がそれを表す、とのこと。

女性といえば、ほんの数時間だったけど女3人で出かけたのは楽しかった。自分が年取ったのもあるけど、イタリアの女性がどう生きているのかというのはとても気になる。話す内容や、立ち振る舞いが日本人とは違う。どっちがいい悪いではない。それでもなんだかのびのび、かつ堂々としている雰囲気はどこからきているものなのか、会話をしているうちに感じるものがある。

マリアは自分より20歳か30歳年上。小柄。小麦色の肌だけどシミがない。背筋が伸びていて、落ち着いて話す様子がとても知的だと思った。

シルヴィアは私と同世代。あちらは2歳と5歳の男の子の母親であり、私は7歳の男の子の母、という時点で共通して話せることは尽きることなく、ある。日伊の違いについてお互いに興味があってたくさん話した。お互いに、母親であるというのは、やりがいはあるけどやはりすごく大変なことであり、言語や環境が違っても共感できることはたくさんある。

家に着いたら、男5人はまだ帰ってきていなかったので「もう少しだけ静かな時間があるわ〜」と言いながらゆっくりした。どこの国に行っても、同じだ、と思った。こどもが生まれてから、そして40過ぎた今となってからのイタリアの見方は、自分のなかでちょっと変わった気がする。なんというか、欧米人に対して抱く劣等感が以前に比べて減ったと思う。子供うまれて、年取って「いろいろたいへんよね」はどこの国行っても変わらず、こどもがいるという経験を経た今は、以前より堂々としている。
本当はもう1泊する予定だったけど、翌日の予定を考えると厳しい、ということに気づいて1日早めてローマに戻ることにした。モンタルトの駅を18:18に出る。まだまだ日が高い時間。
友人に別れを告げる。今度会うときにはきっとお互いのこどももずいぶん大きくなっているだろうね、と。

トゥスカーニャ散策 ラツィオ州 Tuscania, Lazio ①

 21日。数時間お出かけする。友人の母、マリアさんが"Approfittiamo"と言ったのがなんだか忘れられなくて、なるほどこうやって使うんだなと思った。approfittareというのは「利用する」という意味だけど、特にこの日のように「男5人が海に行っていて、残りの女3人だけで静かに過ごせるというまたとない機会を利用する」ときにはぴったりの言葉。語彙の習得はエピソード記憶だなとあらためて思う。

寝不足だったのでごろごろしていたい気もしたが行ってみたらそんな気持ち、いや、そんなことを考えていた事実すら忘れてしまった。

さて、Tuscaniaというまちについて。カタカナ表記だと「トゥスカニア」とか「トゥスカーニャ」とかが近いだろう。大事なのは「トスカーナ」と間違えないことだ。私も最初にきいたときはきっとトスカーナ州にある町なのだろうと完全に勘違いしていた。トスカーナ州ではなくラツィオ州にある。そしてトスカーナは州で、トゥスカーニャはコムーネ(基礎自治体)である。これは本当に間違えやすい。Tuscaniaと検索すると「トスカーナの間違いでは?」と出てくるくらいだ。

ここにあるChiesa di San Pietro (サン・ピエトロ教会)とChiesa di Santa Maria Maggiore(サンタ・マリア・マッジョーレ教会)を訪ねた。

まずサン・ピエトロ教会。ファサードの美しさが際立つ。一瞬で、これは古いなと思った。


ロマネスク建築。私にでもわかる中世っぽさ。

中はこんな感じ。ロミオとジュリエットの、古いほうの映画はここで撮影されたらしい。

地下に降りて行く。ひんやりしてくる。ローマでカタコンベに行った時と同じような空気。


下りてみて、息で、しずかに「わあああ」と声が出た。スペインはコルドバのメスキータを思い出した。
なにが嬉しいかというと、この場所を本当に中世の人たちが歩いたんだな、と思うこと。興奮せずにはいられない。そして観光客が全然いないので余計にそれを感じられる。
柱の影から聖職者が出てきそうな感じがした。
別にもともと行きたかった場所というわけではないのに感激、感無量である。
イタリアはどこにいってもこういう歴史的建造物があり、観光客が殺到していない場所もたくさんある。こういった壁の絵なんかも「触らないでください」とか注意書きはない。触らないのが当然なので。

ふたたび上に上がった。
地面のモザイク。


誰が何の目的で書いたのだろう。

11世紀ぐらいですかね、とマリアにきいてみたら、解説を読んでくれた。始まりはもっと古く、7世紀ごろだということだ。日本だと大化の改新とか、そのへんかな。
メモとして解説の部分もとっておく。

それから聖マリア・マッジョーレ教会。同じ名前は各地にある。
閉められる直前だったので、最後の訪問者としてほんの5分くらい見せてもらった。
中は改装中。
カラーで残っている。
このへんは比較的新しい感じがした。
新しいといっても、調べてみたらこの教会の始まりは8世紀らしい。レベルが違う。
この階段の上に上がって、聖職者が説教をする。登れないようになっていたけど、実際今使われているのかどうかは謎。
やはりファサードが印象的だった。
(つづく)

ジャルディーノ・ディ・タロッキ(タロット・ガーデン) トスカーナ州


(前回からの続き)
20日。
Montaltoに着いたその日の夕方、Il Giardino dei Tarocchi(タロット・ガーデン)に連れて行ってもらった。ラツィオ州を抜けて、トスカーナ州に入る。


屋外美術館というか、彫刻庭園。ニキ・ド・サンファル(1930-2002)というフランス人彫刻家によるもの。着いてすぐに「ん?ガウディ?」と思ったのだが、やはりその通りで、ガウディに影響を受けて作ったものらしい。


たとえば箱根の彫刻の森などとはちがって1人のアーティストが作ったもので、点在というより1箇所に集中しているので主張がわかりやすく全体に統一感があってよかった。死ぬまで作り続けたらしい。


この場所のことは行くまで全然知らなかった。ガイドブックにものっているのかもしれないが日本人(というかアジア系)の観光客は誰もいなかった。車がないと到達できないと思う。

自分で計画したわけではなく連れて行ってもらうことによって知る、というのはありがたいなと思った。子どもたちがたくさんいた。遊園地というわけではないけどずいぶんと楽しむことができた。

それにしてもイタリアはいつまでも明るく太陽がしずまない。家を出た時間はそもそも5時を過ぎていて、帰ってきたのは8時半だったか。夕飯は9時すぎ。帰ってきたちょうどそのときに陽が沈むところだったので、きれに見えるほうに歩こうとしたら歩いている間に陽が沈んでしまった。というわけでこれが8時台の写真。明るいですよね…。

くたくたになって1日が終わる。しかし慣れない環境で全然眠れず。

21日。
おそらく、実質眠ったのは3時間くらいだったのではないか。完全に睡眠不足だが、友人の奥さんと、お母さんがTuscaniaに連れて行ってくれるというので、行ってみることにした。男5人は海に行くらしいので、こちらは落ち着いて女3人で過ごすほうがだいぶ魅力的だった。
(つづく)

「どんな思い出もとっておきたい」

 きのうから小学校は給食がない。Fは仕事がある。4時間で帰宅するのでお昼には家にいなければならず、仕事どうしようかと頭を抱えていた矢先、Fの仕事が午後からだからお昼は心配ないということがわかった。ホッと一安心。それでも少し早めに退勤して3時には家についた。お好み焼きを作ることにな...