Saturday 17 June 2017

孤独な子育て

子どもがよく寝ているのでこうやって自分の時間がとれています。それにしても良く寝るな… 心配になるくらいよく寝ている。

日陰にいると涼しいけど外の日差しは結構強い。天気はいいので過ごしやすい1日。

きのう、金曜日は午前中小児科にいき、少し散歩をして、図書館に行き、おはなし会を聞いて、そのあと食事→昼寝という比較的穏やかな過ごし方ができた。夕方からはまた子どもたちが集まる場所に行った。月曜以来なので久しぶりである。実は熱を出してたんですよ~という話をする。どのタイミングで薬を使うべきなのか分らないですよね、という話になった。

私も昼寝はしたものの、やっぱり夕方から夜にかけては相当疲れていた。起きあがるのもおっくうなくらい。

きのうの午後だけで何人もの、子どものいる女性と話したのだが、そこで思ったことを書く。

やっぱりみんなほんとに大変だ、ということ。具体的に何が忙しい、というよりは、孤独なのである。ものすごい孤独。赤ちゃんがいるのに、孤独。1人じゃないはずなのに、孤独。パートナーと話せる時間があるにしてもやっぱり限られていて、1日のほとんどあるいはすべてを赤ちゃんと2人きりですごしている。可愛くないわけではないし不満があるわけではない。だけど自分の自由な時間がほぼとれない。食事もまともに作れないどころか摂れない。極めつけは睡眠。これが長期間にわたって欠けた状態が続く。(たとえば私はこの9ヶ月間、ぶっ続けで6時間とか7時間とか眠ったことがない。)体力的に結構しんどい状態が続く。

そして仕事に復帰していないと、社会に関わっている感覚がとても少ないし、何よりも、1日のうちで人と話す時間がほとんどない。これは精神的なストレス。

結果的に精神的、肉体的、どちらも結構なストレスが積み上げられて行く。

だからみんなこうやって区の施設に子どもを遊ばせに来ながら、ほかの人と話している。コミュニケーションを求めるのは誰だって同じ。だって朝からずっと黙っているのだから。そして心配事や不安は尽きないわけだから。

昨日の夕方、パスタを買って外に出ると知り合いの女性に会った。赤ちゃんとペットの犬を連れている。犬が突然言うことを聞かなくなったらしく、とてもストレスをためているようだった。「誰かに会って話したかった」とホッとした様子で話していた。そしてどうやら体調があまりすぐれないらしい。めまいがとまらないと言っていた。持病か何かか、と思ったがそうではなく、たぶんストレスと睡眠不足からくるもの。疲れているのだ。みんな疲れている。

丸一日を子どもとだけ過ごすのも「こども可愛いし、全然大丈夫」と最初は思っていた。でもそれが数ヶ月も続いてくるとやっぱり耐えられなくなる。繰返すが、かわいくないわけではない。たった一人で子どもの世話に束縛されるという状況がつらい。「あ、きょうもひとりか」と思った瞬間、絶望的になることもしばしばある。仕事と違って終わる時間も、逃げ場もない。絶対に放棄できない。話す相手がいない。ストレスがたまらないわけがない。人に会える場所も条件も限られている。

核家族はこうなるしかないのだ。おとなりにひょいっと遊びに行けるわけでもない。

そしてこういう気持ちははっきり言って当事者しか分らない。絶対にわからない。だって子どもができるまでは全然そんなこと理解できなかった。子どもが欲しくてもいない人たちにとって、子どもがいるのに文句を言っている人のことなんて理解も想像もできるわけがない。どうにかしようと思えばできるんじゃないの、くらいにしか思ってなかった。

分るようになった今、何ができるだろう。

私はちょっと疲れてしまったのでとりあえず月曜から郷里に帰ることにした。やっぱり人の手と、目が必要である。猫の手も借りたいとはよく言ったものだ。スーパーから家に帰ったときにベビーカーの下に入れておいた食材をぜんぶ自分のバッグに移して、同時に子どもも抱えて二階にある我が家に入るとき、そしてバッグの紐が肩に食い込んで行くのを感じるたびに、本気でそう思う。猫の手も借りたい、と。子どもをいったんおろして、食材を取りにもう一度下に行けばよいではないか、と思うかもしれない。数ヶ月前はそれができたけど、寝返りどころかつたい歩きをするようになった今となっては絶対に無理。目が離せない。

話がそれた。

周囲に協力をもとめ、ささいなことでも他者とコミュニケーションをとろうとする姿勢はやっぱり大事だと思う。少しでも孤独さから抜け出すためには自分がなんとかしなければいけない。

ありがとうとカルボナーラ

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