Friday 23 June 2017

場面を換えることの大切さ

こどもについて。9ヶ月と23日のメモ。

☆ずりばいからハイハイに移行した。この家に来て二日目のことである。来た当日はおなかが床に付いていたのに、ほんの2日でおなかが離れて完全なハイハイになった。

☆はっきりと後追いするようになった。今月はじめの健診のときに「後追いしますか」と言われて、まあこんなもんだろうと思っていたので「ハイ」と答えていたのだが、今考えてみるとあのときの動きはまだまだ後追いとは呼べなかった、と思う。今のほうが、より確実に、ほんとうに後を追ってくる。泣きながら追ってくる場合、それはそれは必死に見える。

☆母乳がほぼゼロ。東京では日中ひとりでいたので、とりあえず早いとこ昼寝させるには母乳を与えるのが一番だった。そのため、おなかがすいている、いないに関わらずとりあえず食事のあいだに母乳を与えて昼寝させていた。空腹でもないのに母乳を与えるのは本望ではない。しかし抱っこして寝せる気力もなかったし、とにかくさっさと寝せたかったし、自分の睡眠時間も確保したかった。

それがここに来てから、母乳で寝せることをやめてみた。ほかにあやしてくれる人もいるし、家が広い分運動量も多くて疲れやすい。たぶん。

そうすると丸一日、母乳なしで眠りに落ちることができるようになってきた。とりわけ夜寝るときは、本を何冊か読み聞かせて自然と眠らせることができるようになってきた。

できるようになってきた、というより、本当はできるのに今までそうしようとしていなかっただけかもしれない。抱っこしたり自然と寝せたりするのに比べると、母乳で寝せるのはあまりにも楽なのだ。たぶん東京にいたらこの方法に切り替えようとはしていなかったかもしれない。

☆ここから本題:

そう考えてみると、場所の切り替えや場面転換の持つ意味はとても大きい。ローマに行ったときもそうだった。いっきに離乳が進んだ。今回はここに来てまたいっきに(ある意味)離乳が進んだ。身体的にも精神的にもこどもの成長もいっきに進む気がする。

ひとつのブレイクスルー(なにか突破すること)を迎えるには、同じ場所で同じことをやるよりは場面を転換させるほうが良いらしい。引っ越しをしたら新しい出会いがあったり新しい趣味を始める気になったりするのと同じことで。もっと単純な例だと、海外に行くと新しい視点が得られたり考え方が変わったりすること。そういうこと、分かってはいたけどここ数ヶ月、それをあらためて実感している。子どもがいる、いないに関わらずやっぱり場所を切り替えることは、ほどよい刺激をもたらす。いつもと違う人に会い、いつもと違う音をきき、違うにおい、空気を感じて、少しずつ新しい経験が増えていく。そうしているうちにいつの間にか何かを突破していたりする。

数日後、東京に戻ることはまた新しい刺激である。たった一週間でもここに来たおかげで、東京での生活はまた新鮮に感じられるはずだ。私にとっても、こどもにとっても。

ありがとうとカルボナーラ

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