Thursday 22 June 2017

郷里にいます

静かだ。

月曜から郷里に帰っている。ほんの一週間という忙しい日程だが良い息抜きになるだろうと思った。私、こども、かぞくみんなにとって。

こどもが動き回るようになってからの疲れ方が激しい。ものごとがよりよくわかるようになっているので、私がいないと分かったときの不安などがはっきりと表れる。後追いもする。3時間に一回授乳しなくてはいけなかった時期からすると楽になったような気はするが、このように追いかけられてばかりだと結構つらい。まったく自分の時間が持てない。「おねがいだからちょっと放っておいて」と言いたくなる。「おかあさーん」と追いかけられることに「母親ってやっぱり特別なのね」と感動を見出す…なんてことは全然ないです、私の場合。

separation anxietyっていうんだろうか。分離の不安。これもまた成長の一過程なのだろうが、早く終わってくれると助かる。それでも「母親なんだから」とか「やっぱりお母さんは特別」とか言われるとピキッとっとくる。それは分かってるんですよ、分かってるんだけど、とりあえずごはん食べる時間ください、お風呂はいる時間ください、ていうかトイレ行く時間ください。誰かこどもみててください。3分でいいから!
同じようなことをきっと多くの人たちが感じているんじゃないだろうか。

というわけで、郷里に帰ってきたのです。コンビニのブリトーかサンドイッチばかり食べていた、あるいは食事をとばす日々が続いていた。体重が二キロくらい減っていて、やせたねと言われてもとくに嬉しくなかった。これはもう限界だと思って飛行機にのったわけです。書類の準備とか保育園見学とかやらなきゃいけないことはたくさんあったんだけど、とりあえず飛んできた。

私の両親ときょうだいの目があるのでだいぶ助かっている。たった一週間でも、切り替えの意味でいったん帰ってきたのは正解だった。周りに人がいるってこんなにありがたい。

こうやってこどもを持ってみて初めてわかるのは、最初にも書いたとおり、大変さの種類が月齢ごとに変わっていくということ。いつも同じ「たいへん」じゃない。今は、産まれたばかりのときのような不安定さはないし、食事も排泄も睡眠もだんだんとリズムができてくるので予測できる分のラクさもある。だけどここ最近の「つきっきり感」は精神的に結構きつい。これがどうってことない、あるいは喜びだという人もいるのかもしれないが、私はやっぱりきついです。

(同時に、いろんな表情をしたり、あちこち動き回ったり、できることが一気に増えるのでかなりおもしろくなってくるのは事実ですが。)

だから、このくらいのこどものいる人に「ママがいいのよね~やっぱり」なんて、私は言わない。昔の私だったら言ったのかもしれないけど、やめてくれと思う人は絶対にいるだろう。今ならわかる。

ところで、ここは空気がきれいで、気持ちがいい。田植えがあちらこちらで行われていてなかなか見応えがあります。見渡す限り田んぼ。大きなプールが続いているかのよう。反射がきれいです。

幸せなことに桃や枇杷がいっぱい穫れている。特に育てているわけでもなくて元々ある木からわんさか穫れる。そしてめちゃくちゃ甘い。この時期に帰ってきて正解だった。

ありがとうとカルボナーラ

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