月曜日でいったん仕事に区切りがついたので少しゆっくりしている。
専修免許申請のために集めなければいけない書類があり、時間のあるときにと思ってここ数日集中して準備することにした。今は東京都の免許申請受付停止期間なのだが、まあ5月ぐらいに開始だったかしらと思っていたら4月16日再開だということ。だったら急がなければいけない。書類関係は面倒なのだが、それだけに勢いをつけて一気に済ませてしまったほうが良い。ミスすることなく申請がうまく行けばいいと思っている。
3月は別れの季節で、最終週である今週は特に各地で色々とドラマが繰り広げられている。
かく言う私も例外ではなく、(いや、私は去らないのだが)近々東京を去る親しい友人がいるし、尊敬する同僚の一人がこの3月で退職する。去る人々をとどまらせることは不可能で、かと言って自分が一緒に去るかと言うとそうもいかないのが現実。
だったらどうするのか。
受け入れるしかないのである。去る者は去る。残る者は残る。いつもどんな時代も、別れというものがある。どれだけテクノロジーが発達しようとも、そこには去る人がいて、とどまる人がいる。どれだけ辛かろう受け入れるしかない、その別れを。
何かが終わるということは、そして区切りをつけるということは、新しい章の始まりでもある。前向きになろう。別れと言っても生きている限りはどこかで出会うことはある。きっと楽しいことが将来には待ち受けている。人生には色々なことが起こるので、別れと行ってもその中に起きる一つの通過点にすぎない。
辛かったり楽しかったり、色々あるけど思い出は多いほうが良い。何年も経ってからそれが大きなエネルギーになっていたりするし、人生をより深いものにしてくれる。
というのは村上春樹が言っていることですが。最近それが少しわかるようになってきた気がする。人は思い出を作ろうと思って生きるわけではないだろうけど、よき「思い出」ができるためには、新しい人と関わり、新しい場所に出かけ、新しいことに挑戦してみることがまず必須だと思う。ぼうっとしていると時間はあっという間にすぎて行くんだけど、実はチャンスはすぐそこの曲がり角まできているかもしれない。
別れがある以前に、出会いがある。出会いがあってこその別れだ。
Wednesday, 27 March 2019
Sunday, 17 March 2019
還暦を祝う会、こどもがかわいい
てな訳で(どういうわけかというのは、前2投稿をお読みいただきたい)、この土日はこどもがいつも以上に尊く可愛く愛おしく感じられた。わがままで泣いてもそれほどイライラしない。そこに元気でいるだけで、いや、生きているだけで上出来すぎるぐらいに十分なのである。これだけの危険に囲まれて暮らしているのに何事もなく今ここにいるというだけで奇跡みたいなものなのである。
たったの一週間で色々なことがありすぎた。人生観を変える、というと大げさかもしれないがそれくらいに大きな出来事だった。もう二度と無くていい。
*********************
きょうは恩師の還暦祝いに行ってきた。15年ぶりに会う人でも顔を見れば「あ」とお互いなんとか思い出せた。居心地の良いゼミだったのだがその9割以上は先生の人柄によるものだったと思う。学部のゼミにも修士とかなんとかとかいろいろずっといた気がする。それくらい人が集う、言い方を変えるとなかなか人が出ていかない場所だった。
ゼミで学んだことに直結する職についたものの、学生時代ろくに勉強をしなかった。控えめに言ってもだいぶ横柄な学生だったと思う。現場では困ることだらけだった。先生に連絡を取るようになったのははっきりいって職についてから、である。なんであの時勉強してなかったのだろうとしきりに思ったし、先生だったら何と言うのだろうといまだによく思う。
先生のゼミに入ったことがきっかけで、その後15年もたっても、基盤となっている考え方は崩れていないと思う。大学二年間に勉強できなかったとしても、勉強はこれからもできるわけです。
先生からいい影響を受けた学生の一人として、先生が目指してきたことや、主張されてきたことを少しでも現場に還元する役割を担えればと思っている。
そしてこれだけ人に慕われる「師」というのは一体どういうものかなと考えると、同じ教師という立場にある者としてやはり学ぶことが尽きないのである。
家に帰るとこどもがきょう借りたレスキュー車の本を見せながら「これもいす〜ず」「これもいす〜ず」と言って走り出てきた。さらに「新しい笑い方」を披露してくれた。かわいい。かわいすぎる。丸くて柔らかい肌に触るだけで究極に幸せな気持ちになる。こどもは三日連続で昼寝をしていないので案の定疲れはたまっており、すぐに眠りについた。明日は元気に登園できますように。
たったの一週間で色々なことがありすぎた。人生観を変える、というと大げさかもしれないがそれくらいに大きな出来事だった。もう二度と無くていい。
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きょうは恩師の還暦祝いに行ってきた。15年ぶりに会う人でも顔を見れば「あ」とお互いなんとか思い出せた。居心地の良いゼミだったのだがその9割以上は先生の人柄によるものだったと思う。学部のゼミにも修士とかなんとかとかいろいろずっといた気がする。それくらい人が集う、言い方を変えるとなかなか人が出ていかない場所だった。
ゼミで学んだことに直結する職についたものの、学生時代ろくに勉強をしなかった。控えめに言ってもだいぶ横柄な学生だったと思う。現場では困ることだらけだった。先生に連絡を取るようになったのははっきりいって職についてから、である。なんであの時勉強してなかったのだろうとしきりに思ったし、先生だったら何と言うのだろうといまだによく思う。
先生のゼミに入ったことがきっかけで、その後15年もたっても、基盤となっている考え方は崩れていないと思う。大学二年間に勉強できなかったとしても、勉強はこれからもできるわけです。
先生からいい影響を受けた学生の一人として、先生が目指してきたことや、主張されてきたことを少しでも現場に還元する役割を担えればと思っている。
そしてこれだけ人に慕われる「師」というのは一体どういうものかなと考えると、同じ教師という立場にある者としてやはり学ぶことが尽きないのである。
家に帰るとこどもがきょう借りたレスキュー車の本を見せながら「これもいす〜ず」「これもいす〜ず」と言って走り出てきた。さらに「新しい笑い方」を披露してくれた。かわいい。かわいすぎる。丸くて柔らかい肌に触るだけで究極に幸せな気持ちになる。こどもは三日連続で昼寝をしていないので案の定疲れはたまっており、すぐに眠りについた。明日は元気に登園できますように。
Saturday, 16 March 2019
救急車 その2(アナフィラキシー・ショック)
木曜日、4時に迎えに行った。新年度のため改めてアレルギーの書類を書いてくださいと受け取り、それについて翌日の4時に園長先生と面談するという話になった。
私はこの日年度末の忘年会だったため5時半には家を出ようと思っていた。こどもはイタリア人とともにパスタを買いにスーパーまで行った。
5時すぎ。帰ってきてすぐに「お風呂に入ろうか」というと大人しく入った。だいぶ早いけどまあいっかと思って一緒に入ったものの様子がおかしい。声が枯れている。顔色もおかしい。青いような黒いような色をしている。反応も鈍い。「いたい」と言いながらおなかをひたすら掻いている。だんだんと目が閉じてきた。風邪かな、どうしたのかな、胃腸炎が流行ってるとも聞いたからそれかもしれないなと思いながら「髪洗うのやめとこうか」と聞いたが、ウトウトし始めてほとんど反応しない。「おふろあがる?」と言ってもほとんど眠るような感じになってきて反応がない。乾かしてもらおうとタオルでくるんだところ、吐いた。
ああやっぱり胃腸炎か、と思った。大丈夫だよ心配しなくていいよと言いながらちょっと洗ってあげた。吐くと毎回本人はそうとうショックを受ける様子で、さすがにちょっと泣いていた。
着替えを頼んで、私はゆっくりお風呂から上がろうと思っていたところ、大声で名前を呼ばれた。こどもが相当やばいらしい。早く救急車を呼ばないとやばい、と。急いで着替えてこどもの様子を見ると、ぐったりしている。慌てて小児科に電話すると「救急車すぐ呼んで」と言われた。
そして、スーパーに行く途中で会った知り合いからもらったクッキーのなかにピーナッツが入っていたということがわかった。
救急車を呼んだのだが到着するまでに結構時間がかかった。車が来ない代わりに救急隊の人たちが到着した。それから救急車を待った。その間、子供は大変なことになっていた。思い出したくもないくらい。白目をむいて、ぐったりしていた。父親は「目覚まして」と叫び続けている。手を握り返せますか、と救急隊の人から言われたのでやってみたがまったく握り返さない。何の反応もない。声も出ない。消防車のおもちゃを持ってきて、「ほら消防車だよ」と言っても反応がない。
それでも完全に目が閉じていたわけではなかったので絶望的にならずに済んだ。焦ってもどうしようもないとわかっていた。
どれくらい時間がたったかわからないけど救急車がやってきた。救急車を見てこどもがようやく「いすず」と反応した。おお、よし、だいぶましになってきたぞ、と思った。救急車に乗る頃には最悪の状態を脱したと思った。が、乗っている途中でまた同じような症状になった。つまり目を閉じて反応がなくなっている。一生懸命名前を呼んで、起こそうとした。私の両親に電話をした。今考えてみるとあれは、知らせなければいけないというより、こどもを直視できなかったので何かしら他の行動を取ろうとした結果なのかもしれない。たぶんその電話をした前後だったと思うが、その日初めて「これは本当にやばいかも」というネガテイブな感情が出てきた。心臓がドキドキするのがわかった。まさか、そんな、頼む、と思った。まさに生きた心地がしなかった。
自分の体のことではないのに、自分の体が切り刻まれるかのような気がした。
病院に着いてからは最悪の状態は脱していた。医師と看護師は結構のんびりした感じで対応した。「今すぐ注射しなければいけない、というような感じではない」と言われた。しかし「このまま帰らせるわけにはいかないので入院」と言われた。
採血、点滴、レントゲン撮影を経て入院の説明が始まり、部屋に通された。
9時過ぎだったか、子供が寝た。私はまだ神経が尖っていて、呆然としていた。wifiのパスワードを看護師に聞いたりしていたところで荷物を取りに一旦家に帰ってくれていたイタリア人が戻ってきた。
二人で寝息をたてる子供を見たら、いっきに力が抜け、涙が溢れてきた。本当によかった、無事でよかった、と。元気でさえあれば他に何も要らないと思った。どんなに泣き叫んでも、わがまましてもいいから、元気でさえいてくれれば良い。救急車で味わったあの感じは、もう二度とごめんである。
そのあとも、寝る気にはなれず、暗い部屋で二人でこどもを眺めてぼうっとしていた。思いついたこと(「なんとしてでも守ろう」とか「この小さい身体でどんな辛かったろう」とか)をぽつぽつと呟きながらも、ほとんどは静寂だった。
買ってきてもらったコンビニの弁当を食べて、突然襲ってきた空腹を抑えた。こんなベッドで眠れるのかなと思いながらも予期していたよりだいぶ深い眠りについた。
二日連続で救急車に乗るとは。こんなことは人生で滅多に起こるものではない。
私はこの日年度末の忘年会だったため5時半には家を出ようと思っていた。こどもはイタリア人とともにパスタを買いにスーパーまで行った。
5時すぎ。帰ってきてすぐに「お風呂に入ろうか」というと大人しく入った。だいぶ早いけどまあいっかと思って一緒に入ったものの様子がおかしい。声が枯れている。顔色もおかしい。青いような黒いような色をしている。反応も鈍い。「いたい」と言いながらおなかをひたすら掻いている。だんだんと目が閉じてきた。風邪かな、どうしたのかな、胃腸炎が流行ってるとも聞いたからそれかもしれないなと思いながら「髪洗うのやめとこうか」と聞いたが、ウトウトし始めてほとんど反応しない。「おふろあがる?」と言ってもほとんど眠るような感じになってきて反応がない。乾かしてもらおうとタオルでくるんだところ、吐いた。
ああやっぱり胃腸炎か、と思った。大丈夫だよ心配しなくていいよと言いながらちょっと洗ってあげた。吐くと毎回本人はそうとうショックを受ける様子で、さすがにちょっと泣いていた。
着替えを頼んで、私はゆっくりお風呂から上がろうと思っていたところ、大声で名前を呼ばれた。こどもが相当やばいらしい。早く救急車を呼ばないとやばい、と。急いで着替えてこどもの様子を見ると、ぐったりしている。慌てて小児科に電話すると「救急車すぐ呼んで」と言われた。
そして、スーパーに行く途中で会った知り合いからもらったクッキーのなかにピーナッツが入っていたということがわかった。
救急車を呼んだのだが到着するまでに結構時間がかかった。車が来ない代わりに救急隊の人たちが到着した。それから救急車を待った。その間、子供は大変なことになっていた。思い出したくもないくらい。白目をむいて、ぐったりしていた。父親は「目覚まして」と叫び続けている。手を握り返せますか、と救急隊の人から言われたのでやってみたがまったく握り返さない。何の反応もない。声も出ない。消防車のおもちゃを持ってきて、「ほら消防車だよ」と言っても反応がない。
それでも完全に目が閉じていたわけではなかったので絶望的にならずに済んだ。焦ってもどうしようもないとわかっていた。
どれくらい時間がたったかわからないけど救急車がやってきた。救急車を見てこどもがようやく「いすず」と反応した。おお、よし、だいぶましになってきたぞ、と思った。救急車に乗る頃には最悪の状態を脱したと思った。が、乗っている途中でまた同じような症状になった。つまり目を閉じて反応がなくなっている。一生懸命名前を呼んで、起こそうとした。私の両親に電話をした。今考えてみるとあれは、知らせなければいけないというより、こどもを直視できなかったので何かしら他の行動を取ろうとした結果なのかもしれない。たぶんその電話をした前後だったと思うが、その日初めて「これは本当にやばいかも」というネガテイブな感情が出てきた。心臓がドキドキするのがわかった。まさか、そんな、頼む、と思った。まさに生きた心地がしなかった。
自分の体のことではないのに、自分の体が切り刻まれるかのような気がした。
病院に着いてからは最悪の状態は脱していた。医師と看護師は結構のんびりした感じで対応した。「今すぐ注射しなければいけない、というような感じではない」と言われた。しかし「このまま帰らせるわけにはいかないので入院」と言われた。
採血、点滴、レントゲン撮影を経て入院の説明が始まり、部屋に通された。
9時過ぎだったか、子供が寝た。私はまだ神経が尖っていて、呆然としていた。wifiのパスワードを看護師に聞いたりしていたところで荷物を取りに一旦家に帰ってくれていたイタリア人が戻ってきた。
二人で寝息をたてる子供を見たら、いっきに力が抜け、涙が溢れてきた。本当によかった、無事でよかった、と。元気でさえあれば他に何も要らないと思った。どんなに泣き叫んでも、わがまましてもいいから、元気でさえいてくれれば良い。救急車で味わったあの感じは、もう二度とごめんである。
そのあとも、寝る気にはなれず、暗い部屋で二人でこどもを眺めてぼうっとしていた。思いついたこと(「なんとしてでも守ろう」とか「この小さい身体でどんな辛かったろう」とか)をぽつぽつと呟きながらも、ほとんどは静寂だった。
買ってきてもらったコンビニの弁当を食べて、突然襲ってきた空腹を抑えた。こんなベッドで眠れるのかなと思いながらも予期していたよりだいぶ深い眠りについた。
二日連続で救急車に乗るとは。こんなことは人生で滅多に起こるものではない。
救急車 その1
今週は2回も救急車を呼ぶことになった。しかも連日。
水曜日。私だけでごはんを食べさせることになるのはわかっていたので新鮮な魚でも買おうと思い帰り道にスーパーへ。鯵が美味しそうだったので焼いて食べさせた。骨のある部分を口に入れたので「あ、吐き出して」と言ったものの手遅れ。痛い痛いと泣き出した。最初は冗談で言っていると思ったのだがどうやら本当に痛いらしい。午後6時半。2017年秋に救急車を呼んだことがあったがそれと同じ時間帯だ、と思いだした。小児科はちょうど閉まったばかりで、急患はまだ開いていない。こういう時間帯に病院に行くことになった人はどうしようもない。つまり救急車を呼ぶしかない。すぐに呼んだらすぐに救急車到着。どの病院に連れて行くか、救急隊の人たちが探してくれている。そしてようやく見つかって「車走らせます」というとき、赤色灯が点滅するのを見て子供はぴたっと泣き止んだ。痛くないのかと聞くと「いたくない」と答える。おかしなことだがだんだん雰囲気も和やかになってきた。いつも見に行っている消防署の人たちだったので顔も知られており「いつもの子だよね」と言われた。病院に着く頃にはけろっとしていた。「このまま乗せて帰ろうか」と隊員さんも冗談を言うくらい。
診察はしてもらったものの実際に骨が見えるわけでもない。結局救急車に乗って戻ってくるだけの旅だとなった。
帰りのタクシーでなんだか気持ちが悪そうだなと思ったら案の定タクシーが止まった瞬間に吐いた。車酔いしやすい性質らしい。これまでなんども同じパターンがあった。本人も驚いてイタリア語で「ケ コルポ」とつぶやいている。「びっくりした」の意味だ。
いずれにせよ何事もなくてよかった。とりあえず家に帰り子供を寝かせたあとで嘔吐物で汚れた服を洗った。やれやれ、で水曜日は幕を閉じた。
Monday, 11 March 2019
こどもメモ 2歳6ヶ月「いすず」
こどもメモ。
2歳と6ヶ月。
車への強い関心はとどまるところを知らず。
もっぱら救急車と消防車に熱中していたと思っていたらだんだんと工事現場の車や乗用車にも興味を示し始めた。なかでも感心させられるのが、車のメーカーを言い分けること。特に「いすず」には過敏に反応する。理由は、消防車がISUZU製なのでそれがきっかけでいすずを先に覚えた。大きいはしご車になると「HINO」と書いてあるのでそれもすぐに覚えた。
あまりにもいすずに熱中していて、散歩しようにも散歩がまともに進まないほど。昨日は止まっていたトラックを指差して「あれ、いすーず」と言うのだが、前面はこちらから見えなかった。「うーん、そうかもねえ。前が見えないからわからんねえ」と言うと、なんと後方にあるタイヤの泥除けに「ISUZU」のロゴが。そしてそれを指差している。まさかこんな小さいのを見ているとは。
それにしても世の中にこれほどまでいすずが溢れているとは思わなんだ。考えたことさえなかった。トラックのほとんどはいすず、と言ってもいいほどである。
救急車はトヨタ、というのも覚えた。そして「三菱CANTER」も覚えた。ただし発音はイタリアっぽく「みつびし きゃんてる」だが。
近所に駐車してあるありとあらゆる自動車のロゴを見てはvolvo, nissan, ford... と指差して言う。ものすごい遠くから走ってくる車も「ニッサン!」と言うのでほんとかよと思ってみると本当なのである、これが。
メルセデス・ベンツ、BMW、ポルシェなどの高級車も覚えたのだがなにせ教える側がイタリア語話者なので日本での呼ばれ方とは少し異なる。
例えば:
「メルセデス」ではなく「メルチェデス」
「びーえむだぶりゅ」ではなく「びえむゔ」
「ぽるしぇ」ではなく「ぽるしゅ」
ポルシェなんて確かにイタリア語のほうがだいぶ本物に近い。
********************
昨日は近くで行われていたフリーマーケットに3人で行ってきた。数々のミニカーを買ってもらえたおかげでこどもは退屈することなく、まるでマタタビを浴びた猫のように車に陶酔しており帰宅後も、何時間も一人で遊んでいた。本を読むと言っても、「消防車もみる」と言って車にも本を見せようとし、寝る時もものすごい数のミニカーに囲まれて寝ていた。寝にくそうだが本人にとってはこれが天国なのだろう。かわいいなあ。
2歳と6ヶ月。
車への強い関心はとどまるところを知らず。
もっぱら救急車と消防車に熱中していたと思っていたらだんだんと工事現場の車や乗用車にも興味を示し始めた。なかでも感心させられるのが、車のメーカーを言い分けること。特に「いすず」には過敏に反応する。理由は、消防車がISUZU製なのでそれがきっかけでいすずを先に覚えた。大きいはしご車になると「HINO」と書いてあるのでそれもすぐに覚えた。
あまりにもいすずに熱中していて、散歩しようにも散歩がまともに進まないほど。昨日は止まっていたトラックを指差して「あれ、いすーず」と言うのだが、前面はこちらから見えなかった。「うーん、そうかもねえ。前が見えないからわからんねえ」と言うと、なんと後方にあるタイヤの泥除けに「ISUZU」のロゴが。そしてそれを指差している。まさかこんな小さいのを見ているとは。
それにしても世の中にこれほどまでいすずが溢れているとは思わなんだ。考えたことさえなかった。トラックのほとんどはいすず、と言ってもいいほどである。
救急車はトヨタ、というのも覚えた。そして「三菱CANTER」も覚えた。ただし発音はイタリアっぽく「みつびし きゃんてる」だが。
近所に駐車してあるありとあらゆる自動車のロゴを見てはvolvo, nissan, ford... と指差して言う。ものすごい遠くから走ってくる車も「ニッサン!」と言うのでほんとかよと思ってみると本当なのである、これが。
メルセデス・ベンツ、BMW、ポルシェなどの高級車も覚えたのだがなにせ教える側がイタリア語話者なので日本での呼ばれ方とは少し異なる。
例えば:
「メルセデス」ではなく「メルチェデス」
「びーえむだぶりゅ」ではなく「びえむゔ」
「ぽるしぇ」ではなく「ぽるしゅ」
ポルシェなんて確かにイタリア語のほうがだいぶ本物に近い。
********************
昨日は近くで行われていたフリーマーケットに3人で行ってきた。数々のミニカーを買ってもらえたおかげでこどもは退屈することなく、まるでマタタビを浴びた猫のように車に陶酔しており帰宅後も、何時間も一人で遊んでいた。本を読むと言っても、「消防車もみる」と言って車にも本を見せようとし、寝る時もものすごい数のミニカーに囲まれて寝ていた。寝にくそうだが本人にとってはこれが天国なのだろう。かわいいなあ。
Sunday, 10 March 2019
土曜、合気道
土曜は朝からこどもを小児科に連れていき、アレルギー関連の書類をもらい、そのまま図書館とスーパーに行き、いったん家に戻り、それから電車に乗って下北沢へ行き、無印でお菓子を買い、ピッツァを食べて帰り、こどもを置いて、さっきまでいた下北沢にまた自転車で戻り、美容院に行った。
花粉が飛んでいる。結構ひどい気がする。「例年に比べて…」というニュースはあまりあてにならないので参考にしないようにしている。というか参考にしたところで対処の仕様もないから。目を触らなければなんとか1日を乗り切れると思うのでメガネをして過ごしている。それでもだんだん調子が狂ってくる。発熱とか、そういう本当の具合悪さとは違うものの、ものごとが思うようにいかない感じがする。ストレスがたまる。ストレスの原因はあちらこちらにあるのだろうが花粉症のせいということにしておこう。
それで、数日前から心に決めていたとおり昨夜は合気道に行ってきた。すべてを忘れるにはこれが一番良い。水泳でも良いのだがプールは結構いつでも開いているので行けるチャンスは多い。合気道は決められた時間にしか行われておらず、さらにこどもを預かってもらう都合もあり、行けるチャンスを逃すとなかなか難しくなる。だから今週土曜は行く、と宣言しておいたわけです。
二月に二級へ昇級したのでその免状をもらった。みんなに拍手してもらって嬉しかった。大人になってこういう褒められ方をすることは滅多にない。逆に、注意されることもない。立場は全員同じで、ここでは職業も年齢も何も関係ない。全員がフラットな関係を保っている。合気道は私にとってかなり貴重な場なのである。
子供が生まれてからは「月に1回行ければよし」と自分を許している。そのくらいじゃないと続けられない。とりあえず決めていることはただ一つ:辞めない、ということ。それだけ決めている。なかなか行けないときも自分を責めないこと。そうすると自然と言い訳をする必要もなくなる。
家に帰って、子供を寝かして、シャワーを浴びてからモッツァレッラとアボカドとソーセージを食べた。花粉の季節が終わるまでにあと二週間くらいだろうか。
花粉が飛んでいる。結構ひどい気がする。「例年に比べて…」というニュースはあまりあてにならないので参考にしないようにしている。というか参考にしたところで対処の仕様もないから。目を触らなければなんとか1日を乗り切れると思うのでメガネをして過ごしている。それでもだんだん調子が狂ってくる。発熱とか、そういう本当の具合悪さとは違うものの、ものごとが思うようにいかない感じがする。ストレスがたまる。ストレスの原因はあちらこちらにあるのだろうが花粉症のせいということにしておこう。
それで、数日前から心に決めていたとおり昨夜は合気道に行ってきた。すべてを忘れるにはこれが一番良い。水泳でも良いのだがプールは結構いつでも開いているので行けるチャンスは多い。合気道は決められた時間にしか行われておらず、さらにこどもを預かってもらう都合もあり、行けるチャンスを逃すとなかなか難しくなる。だから今週土曜は行く、と宣言しておいたわけです。
二月に二級へ昇級したのでその免状をもらった。みんなに拍手してもらって嬉しかった。大人になってこういう褒められ方をすることは滅多にない。逆に、注意されることもない。立場は全員同じで、ここでは職業も年齢も何も関係ない。全員がフラットな関係を保っている。合気道は私にとってかなり貴重な場なのである。
子供が生まれてからは「月に1回行ければよし」と自分を許している。そのくらいじゃないと続けられない。とりあえず決めていることはただ一つ:辞めない、ということ。それだけ決めている。なかなか行けないときも自分を責めないこと。そうすると自然と言い訳をする必要もなくなる。
家に帰って、子供を寝かして、シャワーを浴びてからモッツァレッラとアボカドとソーセージを食べた。花粉の季節が終わるまでにあと二週間くらいだろうか。
Saturday, 9 March 2019
いいものに囲まれて暮らす
パペリナのラグを買った。今まで使っていたものに満足していなかったわけではないがキッチンから移動させて使いたい場所があったのと、キッチンには実は50cmほど足りていなかったので思い切って2mのものを買ったのでした。どのデザインにするかだいぶ迷った。一年くらい迷っていたんじゃないだろうか。結局赤いやつにした。届いたのはイメージとちょっと違ったけどすぐに慣れてきた。
イッタラのティーマ(赤17cm)を追加で1枚と、クチポールのナイフとフォークも試しに買ってみた。
キッチンマットとか皿とか、役目さえ果たせばどれでもいいのは事実なのだがいいものに囲まれて暮らしていると、どうでもいいものを使っているよりは生活がずいぶん楽しいものになる気がする。
同時に、どうでもいいものは処分しないとものは増えていく一方である。
最近「こんまり」が海外で大ブームのようだ。日本国内でも最近こんまりのことを知ったという人もいるのかもしれない。日本で最初の本が出たのはだいぶ前のこと。5年くらい前じゃないのかな。結構私は当時影響を受けたうちの一人で、その時の「たたみ方」がいまだに身についているくらいである。あの本はやっぱり革命的に良い出会いだった。そのほかにもお片づけ本はたくさんあるけど、こんまりのを読めばほかはあまりいらない気がする。
こどもがいると当時のように思うようにはいかないのだが、それでも基本の考え方はしっかり持てている。おかげさまで。
そろそろ本棚に集中して手をかける予定。
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お父さんの回復、12月の疲れ
父が入院している。経過は良いようで、退院が見えてきたらしい。よかった。毎日のようにテレビ電話で様子をきいているが、話す様子が1日、1日と元気になっていくのがわかる。人間の身体はすごいなあ。 話を聞くたびに、普段の姿勢とか、動き方とか、注意しなければと思う。身体に負担をかける動きを...
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ブログを書く時はたいてい文章を書いてから最後にタイトルをつける。ところがきょうは逆です。 もめんやまきの の実力。この一文が先にうかんでいた。これについて書くぞ、と思って、はい、今から書きます。 きょうは午前で仕事を終わらせ、4月からの認可保育園のためのシーツのための布のため...
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数ヶ月間のなぞがやっと判明した。 cul-de-sac だったのだ。 ******************* 「行き止まり」とか「袋小路」とかいう意味の「コーデサック」か「コーダセク」というような単語がある、ということは知っていた。 ただ、音で聞いたことしかなくて、読...