Wednesday, 23 July 2025

面談、負荷試験、サンドイッチ

宿泊を伴う仕事が2つと、イタリア行きとがこの夏休み中にはある。始まってからドタバタしたくないと思って、病院その他の予約、用事は計画的に済ませているはずなのだが、それでもこの2日間(22,23日)は忙しい。おまけにこんなに暑いので、外に出るのも勇気がいるし、体力を使う。

忘備録もかねて。
22日。
朝は我が子の個人面談。「僕も行きたい」とは言うが、これは大人の話だからね、と言って私だけが行く。朝1番にお願いしていたのだが、あとから担任の先生から電話がきて、もう少し早く来れますか、とのこと。当然、たった15分で終わるわけがないので、二つ返事で15分前に到着した。特別支援の先生もきて、3人で面談した。電話で聞いていたとおりではあるが、やはり学習面での困難が大きい、とのこと。4年生以降、もっと大変になっていくだろうから、今できることとしては、どこまでが身についているか、こちらが把握した状態で、本人に合ったものに取り組ませるほうがよい、とのこと。夏休みは良い機会なので、2年生の復習からはじめてちょうど良い。宿題も、とうてい無理だろうというものがあるので、それだったら、かわりに復習のものを取り組んだら、じゅうぶん、と言われた。ありがたい話だ。

私がみている分には「去年よりだいぶましだな、成長したな」と思うのだが、これがクラスという環境になると、そうも言ってられない。本人が自己肯定感を持つには、周りとの差が大きすぎる。やってもどうせできない→やりたくない、の流れができあがってしまうのも無理はない。

そこでわたしが躍起になりすぎたり、暗くならないことかなー、と思っている。あきらめるわけではなくて。あくまでもこの子をみながら取り組んでいくしかない。焦らないこと。

午後から、アレルギーの負荷試験。今回はクルミ。めずらしく午後の回だった。12時までに行けば良いということだったが、家にいても暑いだけだし、食事ができるのは11時までということになっていたので、早めに行って病院で何か食べようと10時半前に家を出た。暑い。逃げ込むように駅へ。車酔いやらトイレやら、たくさん心配しながら出かけなければいけなかったときと比べると本当に楽になった。自分の荷物は自分で持つ。助かる。

病院のコンビニで食べ物を買う。

お金を渡してコンビニで何か買う、ということを3月以降ときどきやってみている。弟の奥さんが春休みにやらせてくれて、そうかこういうのやってみないとダメだなと思ったのがきっかけ。やってみたら意外とできるしだんだん上手になってきた。

サンドイッチを2つ買ってきてくれた。2人分、とお願いしたので二つあるのだが、「どっちもぼくが食べたくなっちゃうんだよね〜」と言いながら買ってきた。それは困るので半分ずつ食べた。

負荷試験は順調に始まり、クルミ0.3gを食べても症状は出ず。陰性。よかった。ベッドの上でお絵描きやらマイクラやら宿題やらして過ごした。私は読書。「世界の教育はどこへ向かうか」。

2時半くらいに帰宅指示が出たので無事に帰った。やはりお腹が空いたというので、そりゃそうだろうなと思って350円渡したらまたしても「シャキシャキレタス」のサンドイッチを買ってきた。これは1人で食べるらしい。

家に帰って、なんだかぐったり疲れていて、何をしたかあまり覚えていない。6時ぐらいになって、こども用歯磨き粉がないことを思い出し、ドラッグストアへ行った。わたしのシャンプーもない。

2日後にせまった、父子のイタリア行きの準備に、わたしがそわそわしている。まだ何も準備されていないのだ。だいたい前日に始まる。それでもだいたいうまくいくし、心配してもどうにもならない。心配って、具体的になにを?と考えても、実は何もない。パスポートさえあればあとはだいたいのことはなんとかなるわけだから。こんなにそわそわするのは、
①我が子のことだから
②歳をとったから
③上記全て
さてどれでしょう。

Sunday, 20 July 2025

投票は気ままに

7時半ごろ、子といっしょに投票に行ってきた。てくてく歩いて、まあ暑いけど、耐えられる程度。500円渡して、コンビニで何買ってきても良いよというと、486円のフルーツサンドを買ってきた。高い。涼しいベンチで食べて帰ってきた。夏の朝の、ちょうど良い散歩。青空に、筆で書いたような、雲がしゅーっと流れていて、はあ7月だなという、暑いのになんだか嬉しいような気持ち。

投票について思うこと。

きょうの選挙はいつもより盛り上がっている…ような気がする。それでも投票率が高くはならないのかな。いや、高いというのは比べる対象によるのだろうけど。スウェーデンと比べたら、そりゃ低い、でも前回と比べたら高い、とか。

選挙に行くべき、というのは当たり前のことなのだが、あんまり大きな声で言えないけど選挙に行ってなかった時期が、長くある。まず、上京してから住民票を移していなかったため、投票の封筒が届くことがなかった。それが大したことだと思っていなかった。母親は、娘の住民票を移したくなかったと言っていた。

だからおそらく5〜10年くらい投票したことなかったのではないだろうか。今考えると信じられない。誰もそれに対して文句を言う人もいなかったし、友達と選挙の話題になることもなかった…と思う。たぶん。

そしてなによりも、政治に興味がなかった。これは、特に理由にもならないくらい。一般的に言われる「最近の若者は」に文句は言えない。そうです、そのまま。興味がなかった。いわゆる「行っても同じだろう」と思った。なにせ生まれたときから(与党は)自民党しか見たことがない。意見を出してひっくりかえるようなものだとは思っていない。そして選挙権があるのに手元に投票用紙がないという状態に慣れすぎていて行かなければいけないとは思えなかった。

どこかの時点で、住民票を移し、封筒が届くようになった。投票したという、記憶にあるのはこの10〜15年くらいだと思う。伊藤詩織さんの事件のあたりで「やばいことが起きている」と思うようになった。森友問題や、学術会議の任命拒否問題や、望月記者と菅さんがバチバチしているあたりで、あからさまなおかしさを感じるようになった。安倍さんのことは好きじゃなかったけど、「ぼーっとしてるとやばいな」と思わせてくれたのは安倍さんのおかげなのかもしれない。

子が生まれたこともあるかもしれない。人ごとだったいくつかの政策は、身近になった。

そのあたりでツイッターやらインスタやらが身近になってきて、コロナが起きて、ついにジャニーズも崩れて、今まで見てきたものは虚構の世界だったのか、というような、今。それは、ダメなことではなくて「世界は変わりうる」「常識も変わる」ということを、目の当たりにしているだけ。

投票というのは政治をよくわかった立派な大人がするものだと思っていた、というのもあるかもしれない。実際、よくわかってなくても投票していい。遠慮したり気を遣ったりする場所ではない。そういうことに気づいたのは、よくわからないながらも、最初の投票をしてみたから。何歳の時か覚えてないけど、とりあえず行ってみたから。今考えるとなんであんなのに票を入れたんだろう、とかある。たぶん。覚えてないけど。でもそれで良いのだと思う。またしばらくすれば、投票の機会は巡ってくる。間違いはないし、票を入れたことを誰かに責められることはまずない。

finalventさんのポリタスの記事を読むといいと思う。もっと「気まま」でいい、と。これでいいんだなと思える。やたらと「投票に行こう」と言われるとなんだか怒られているような気持ちになって萎縮してしまう(人は少なくないのではないかと思う。このあたり、日本人とくにそうかも。)けど、この記事を読むと少し楽になります。「票を入れたい人がいない」んだったら、消去法でいいと思う。投票においては、消去法=消極的ではない。時々思い出してこの記事を読む。

そんなに一生懸命考えなくても、直感でもいいと思う。そんな適当なことをやっていいのか、と思うかもしれないけど、参加する第1歩はそこから。あんまりにも考えすぎると投票できなくなってしまう。まじめな人ほど、結局投票しないということになりかねない。前回はA党に入れたけど今回はB党に入れる、という変更に、罪悪感も感じなくていい。なぜなら時代も考え方も人も変わるから。そもそも誰も見ない、責めない。    

さて、きょうの結果、どうなるでしょうね。

Thursday, 17 July 2025

モデルとしての上司

 自分よりだいぶ若い同僚が増えてきた。あまり今まで考える必要のなかったことを考えるようになったきた、と最近よく思う。仕事をはじめて18年間、自分が教わる側だと思っていたから。それが、ほとんど意識していないうちに、教える側に移行しつつある。年をとるというのはこういうことだ。

押し付けがましくもなりたくないし、おせっかいなのも嫌だ。かといって放っておくのも違うだろう。難しい。同僚が失敗したとしたら、それは同僚のせいではなく明確に指示をしなかった自分のせいかもしれない。

こういうときはやはり、自分がどうされて嬉しかったか、どうされたことが役立ち、今も生きているか、を思い出しながらやるしかない。

働き始めた1年目の上司が、とてもよかった、といまだに自分の運に感謝している。話もよく効いてくれたし、だいたい好きなようにやらせてくれて、さらに上の上司から怒られる前に、先回りしてカバーしてくれていた。仕事の速さと、ユーモアのセンスが抜群で、周りからの信頼もあつかった。あの「理想の上司」が未だに自分のなかには生きている。

「尊敬する人」というほどではなくても、いくつかのモデルを人生で持っておくと、迷ったときは歩きやすくなるかもしれない。

Wednesday, 16 July 2025

ビフィズス菌と朝食


写真1。

うちにある豆皿。いつもこれに、子が食べるためのナッツ類をのせる。おととい「あっ!」と言うので何かと思ったら

「ビフィズス菌」

と。ほんとだ!!このテトラポッドみたいなやつはよく似ている。なんで知ってるんだろうと思ったら先日学校の図書館から借りてきた本にあった。一緒に読んだんだった。そして私もここ数ヶ月、腸内細菌についてよく読むので、言われてすぐにピンときた。それにしてもこどもはよく覚えているなあ。あの時のあの場面がこんなに頭に残っているのか、と驚いた。



 写真2。

きのうの、子の朝ご飯。ふとならべてみたら顔みたいだったので写真をとった。あみえびとチーズのオムレツと、みそのおにぎり。このあとヨーグルトも食べた。ちなみにわたしはこんなにしっかりした朝ごはんは食べない。

朝、卵を食べるようになったのはこの1年くらいだと思う。その前は、朝ごはんを作る、というほどでもなく、パンとジャム、とか果物とか、そんな感じで終わっていた。それが、いつごろからか卵のリクエストがあるようになり、作ってみると、よく食べる。もしかしたら前からこういうしっかりしたご飯を食べたかったのかもしれないなと思うと少し申し訳なくも感じる。

そんな感じで毎日卵を焼いているとこちらもコツがだいぶわかってきた。スクランブルにならず、かといってとろとろでもなく、ちょうどよくまとめるためにはコツがある。しかし1個だけだし、深型フライパンをつかっているので、理想のオムレツとは程遠い。それでもちょっとずつ上手になってきた気はする。

さて、そろそろきょうのを作ろう。

Saturday, 12 July 2025

親は難しい、腸内細菌

 涼しい。おととい夜の大雨からいっきに涼しくなって、夜でさえエアコンが要らなくなった。この天気がもう少し続けばいいのにと思っている。昨年7月のブログを見てみたら同じように「涼しい」と書いているので、こういう時期はあるのかもしれない。

子にどう接したらいいかわからない時がある。かわいいけどかわいいとばかりも言ってられない年齢。難しい。この子を傷づけているのかもしれない、と思うときがよくある。疲れていることを言い訳にはできないだろうけど、意地悪なことを言っているなあ、自分、と思うことがある。もっと肯定してあげないといけないのかもしれない。いっぽうで、叱るのは自分しかいない。親にそうされたくなかった、と思うようなことをまさに自分が繰り返していて、嫌気がさす。自分の器の小ささにうんざりする。まっすぐに伸びるはずのものを、自分がねじ曲げてしまっているかもしれない。考えすぎだろうか。親というのはこんなに難しいものなのだろうか。悩みも心配も尽きない。しかし暗くなってはいけない。

ここ数ヶ月、腸内細菌についてよく読んでいる。こんなに面白いのに今までどうして無関心でいられたのだろう、と思う。いくつか本を読むとだいたい同じことが書いてあって、「あ、これはこの人が誇張して書いているわけではないんだ」とわかる。腸と脳にはつながりがあって、腸の調子が良いと脳も調子が良い。逆もまた然り。

というわけでこの数ヶ月は摂取するものにたいする見方がだいぶ変わったと思う。身体に良いものを優先的に食べる。腸内細菌はどういう状態にあるのかなとイメージしながら。

さてきょうは土曜だけど出勤。準備します。

Friday, 11 July 2025

大雨、朝稽古

 あと少しで夏休み。夏休みになったらスイっと動けるように片付けられるものは片付けておこう、と思う。病院とかクリーニングとかゴミとか、そういうものが頭にある。仕事も同じで。どこかでスタックしたくない。

きのうは朝から、子の学校に2回行った。午後は保護者会だったが、隣に座っている保護者が先生の話のあいだずっとスマホをいじっていて、何の悪気もなさそうだったので、これはもう珍しいことでもないのかもしれないなと思った。

きのうの朝は合気道に行った。めちゃくちゃ暑かったけど、エアコンが導入されたのでだいぶ楽だ。行くまでのほうが暑い。朝6時であってもずいぶん暑い。7時半ごろ、スッキリした気分であいさつをして帰る。6時半からこれだけ身体を動かすと、当然だけど、みなさん爽やかで満たされた表情をしていらっしゃる。こんなハッピーな人々、空間がこの世にあるのですよ。朝の7時半に、こんなに気持ちよく1日を始めている人たちが。朝稽古に参加しはじめて、本当に自分が変わったと思っている。朝稽古が終わると、もうその1日に悔いがないくらい満たされている。

夕方、予報通りにちょうど6時から雨が降った。大雨だった。雨の多い地域で育ったせいだろうけど、夏の雨は好きで、降る前はワクワクする。洪水とか地滑りとかはまた別の問題。

おかげできょうはずいぶん涼しい。エアコンいらない。さてきょうも仕事がんばろう。

Wednesday, 9 July 2025

スペリングビーとサンダル

ここ3年か4年くらいだろうか、wordleに加えてSpelling Beeをやっている。最初は無料で楽しめる分でよい、と思っていたがあまりにも楽しいのでお金を払ってやることにした。これは正解だった。

確実に語彙が増えたと思っている。最初は知らない語をノートに書き留めていたが、そこまで必要なくなってきた。面倒になったというのもある。毎日出題される。以前はその日しか解けなかったがいつ頃からか過去も遡って解けるようになったので、少しこちらも怠惰になってきた。次の週の月曜には問題が消えるのでその前までには全問正解目指そう、という感じ。

単語帳というものでいざ勉強しようとすると、単語テストでもやってくれる人がいない限りやる気にならない。そういう私にはゲーム形式がちょうどいい。毎日知らない語に出会う。「入試頻出語」とかそういうわけではないのでかなりマニアックなものが多い。きょう初めてお目にかかったのはhamartiaという単語。ハマーティア。意味は「悲劇の主人公の性格的欠点」だそうだ。ギリシャ語由来。日本語もしょっちゅうでてくる。tatami, hamachi, tamari, honchoなど。

話は変わって。

サンダルが戻ってきた。何があったかというと、日曜に家族でプールに行った時のこと。着替えて更衣室から出てきた我が子が「サンダルがない」と言う。いつもの注意不足だろうと思っていたら本当にないらしい。係の人も探してくれたけど、なかった。同じブランドのサンダルが置き忘れてあったので、きっと誰かが間違えて持っていったのだろう。名前と電話番号を書き残してその日は去った。月曜は連絡がなく、まあ諦めるしかないかなと思っていた。そして火曜の夕方、ふと携帯を見ると着信が。これはもしかしてと思ったら、案の定、「それらしきものが届きました」とのこと。ありがたい。早速取りに行ってみると、間違いない、黒いサンダルだった。お礼を言って去った。

あきらめてもいいくらいに使い古していたのだが、いざなくなると惜しくなる。春に一回なくなった私の自転車も同じ。とにかく、よかった。

Tuesday, 8 July 2025

朝顔と空気質

今年第1号の朝顔が咲いた。5時にはまだくたっとしていたのだが、見ているうちに花びらが開いてきた。朝顔は強いし、育てやすい。田舎に住んでいたらなあ、もっといろいろと、広々と、育てられるだろうになあ、と思うけど、仕方ない。
きのうもきょうも、とても暑いのだが空が曇っていて、とても変な感じがする。なんだろうと思って調べてみたら、空気質はあまり良くなさそうだ。もしかしたら光化学スモッグ気味なのかもしれない。光化学スモッグについてよく知らなかったけど、暑い日の都市部はそうなることがあるらしい。今まで気にしていなかっただけのようだ。田舎に住んでいたらこういうことにはならないだろうにな、とまた思わずにはいられない。気にしていたら生きていけないのだが、この空の白さと、霞んだような感じはどうも気になる。

Monday, 7 July 2025

ピーナッツ陰性、と自転車との別れ、oasis


この週末はいろんなことがあった。振り返ってみれば、である。特になにも問題はないのだが、考えてみたらあれもこれもいろんなことあったなあ、と思う。きょうはいつもとかわらない月曜日。

そういえば金曜に出勤しなかったのだ。だから週末が3日あったような気がしているのだろう。金曜は子のアレルギーの再診。といっても私しか行かない。5月の負荷試験でピーナッツ1粒を食べても陰性だったので、今後のことなどを話しに行った。これからは、ピーナッツ半粒ぐらい食べていけばいいだろう、とのこと。そしておそらく今後は反応が出ない。むやみに避けなくてよさそうだ。こんな日が来るとは。救急車で運ばれて死にかけたのが信じられない。アレルギー科に通い始めて4年近いが、思い切って通ってよかったと心底思っている。

 これから先はヘーゼルナッツとくるみが残っている。

帰宅したあとで、新しい自転車を受け取りに行った。そう、新しいのを買ったのだ。ということはつまりこれまで15年近く乗っていた相棒と別れることになる。これがもはや信じがたく、ここ数日は乗るたびに「もうお別れか」という思いが募った。仕方がないのだ。サドルもブレーキもタイヤもチェーンもハンドルも全部かえてきた。それもボロボロになっていて、ついには心臓部分がすり減り、切り替えがきかない時がでてきて、自転車屋に相談しても修理をすすめられなくなった。いよいよ限界か、と思ってついに購入に至ったのだった。

自転車屋にはピカピカの、新しい私の自転車が届いていた。店に入ったらすぐわかるくらい目立った。

カゴを注文していなかったので、どうしたらいいか話したら、今使っているものを移植できるらしい。時間に問題はなかったのでその場でお願いした。

移植も整備も点検も防犯登録も終わって、いよいよ別れるときになったらちょっと涙が出そうになった。「よくがんばったな」と言って、頭を撫でるように、ハンドルの部分をポンポンとした。「ちょっと写真とっていいですか」と言ったら自転車屋さんが外に出してくれた。ガラケーしか持っていないので、仕方なくそれで撮った。ほんとによくがんばった。毎日往復1時間近くの出勤に付き合ってくれた。雨の日も風の日も、なんなら雪の日も、去年事故にあってぶっとばされた時も、この自転車といっしょだった。週7日で乗らない日は、まずなかった。感傷的すぎるだろうか。「この前、盗まれたんですけど、戻ってきたんですよ」と自転車屋さんにいうと「そんなことがあったんですか〜」と。

実際、盗まれたことも買い替えのきっかけだったと思っている。葬るなら自分の手で、お礼を言って、葬りたいと思った。

自転車を買い替える人たちはこんな気持ちがするのだろうか。

自動車を買い替える人たちも似たようなものだろうか。

自転車屋さんはこういうシーンをこれまで何度かみてきたんだろうか。

新しい自転車は、それはもちろん乗り心地がいい。ちょっと前より重くなった気もする。タイヤが少し太い。その分安全な感じはする。まだ「乗り心地最高」とは言えない。まだ「私のもの」になっていないから。

同じ日、地球の向こう側ではoasisのコンサートが開かれている。歴史に残るレベルだと思っている。

朝、できるだけ新聞を読むようにしている。ニューヨーク・タイムズでは「oasisが今度こそアメリカでうまくいくか」を書いていて、
久しぶりに1ページまるごと読んだ。「欧米」とは言うものの「欧」と「米」はだいぶ異なる、といういい例だ。

土曜は合気道の朝稽古。気持ちよかった。エアコンがきいているのにすごい量の汗をかいた。

日曜はプールと、いつものレストランと、韓国ドラマと、バーガーキング。週末はこうあるべき。土日とも、バナナブレッドを焼いた。軽いのであっという間になくなる。砂糖は15gに減らしてみたけど、じゅうぶん甘い。もしかして砂糖はいらないのかもしれない。

Sunday, 6 July 2025

かき氷

この夏初めてのかき氷を食べた。途中から口の中も身体も冷えすぎてだんだん食べるのが辛くなる。2人がかりでも食べ終わるのが大変だ。屋台のかき氷程度がちょうどいいのかもしれない。
 

Friday, 4 July 2025

「酒の力を借り」ない人たち

先週、職場の飲み会があったが私はいかなかった。理由を考えてみると
・酒に興味がない
・夜は寝たい
・価値を見出していない
行ったら行ったで楽しいんだろうけど。枠を決められての集まりがとにかく苦手な私。数人で集まるのはいい。

週があけて、盛大に酔っ払った人たちがいたようでだいぶ話題になっていた。家でそのことを話していて、「自分を変えるために飲む人たちがいるからね」という話。日本人にはぴったり当てはまる。「酒の力を借りて」なんていうけど、飲み会に行くのは「普段言えないことも言える」という利点?期待?もあって参加する人も多いと思う。日本だけじゃないかな。酔っぱらい文化はヨーロッパにもある。

しかしながら、私の知る限り、イタリアでは酔っぱらいを見ない。自分が変わるほど酔っ払うことはかっこよくないとされる。いわゆる「千鳥足」だったり、お店の前で仲間に抱えられていたり、翌朝地面に寝ていたりする人はまず見たことがない。きっといるのかもしれないけど、かなり珍しいのではないか。酒ごときに変えられる人たちではない。言いたいことを言うにも、酒の力を借りる必要がない。

肌について不思議に思うこと

肌の話。 昨夜、レストランでの夕食にはいわゆる子育て世代の人たちが集まっていて、私以外に女性が3人いた。その中の1人はスイス在住。夏休みでイタリアに帰ってきているらしい。その人に向かってほかの2人が"bella abbronzata”(よく日に焼けている)と言っていた。...