domenica 9 luglio 2017

ある平和な夏の朝

朝は5時半ごろ起きた、と思う。時計を見ていないし、太陽が5時台ぽかったし、ラジオ第2は無音だったから。こどもが起きたのでそれで一緒に起きた。昨夜はよく眠れたのか何なのか覚えていない。何度か起きたような気もするが覚えていない。エアコンをつけたのもあって比較的良く眠れていたのではないだろうか。

昨夜は7時ごろから泳ぎに行った。家の近くにもプールはあるが、そっちじゃなくてもっときれいでもっと人の少ないほう。かれこれ10年ぐらい行っているんじゃないだろうか。こどもを預かってもらい、手放しで出かけた。もう、気持ち良いのなんのって!

夏の夜が好きだ。日が沈んで暑さがおさまり、プールで泳いで濡れた髪で外に出ると気持ちが良い。Tシャツ、短パン、サンダルで、つめたいビールを飲んでぶらぶらする。
こんな形の自由もある。
ささやかだけど、確実な幸せ。

やっぱり同じ時間に寝ても、運動をした後には眠りの深さが違う気がする。夜に何度か起きたとしても、そして今朝5時台に起きたとしても、きょうはいつもより目覚めが良い気がする。暑かろうが寒かろうがからだを動かすのは大事だ。

6時半にラジオ体操をしていたら汗がふきでてきた。暑い。今日は(今日も)暑い。こどもにご飯を食べさせた後、本格的に暑くなる前にと思って外に出た。7時から8時まで散歩。健康的だ。暑いだろうと思って甚平に着替えさせた。この前西友で衝動買いしたつ。や夏らしくて良い。

コンビニでアイスコーヒーを買っていたらおじさんに「早いねえ」と話しかけられた。花壇の雑草をとっている別のおじさんに「おはようございます」と言ったらやや驚かれたがおはようございますと返ってきた。八百屋さんにもおはようございますを言ったら驚かれたが返ってきた。だって朝7時だもんね、おはようぐらい言いたくなるよね。この時間に外に出てるってことはやっぱり彼らも朝の爽やかさを感じているわけで、気持ち的には「おはよう」なんだから。

公園にはすでにたくさんの人たちがいた。ジョギング、犬の散歩、などなど。みんな健康コンシャスだ。だけどこんなに小さいこどもをつれているのはどこを見渡しても私ぐらいしかいない。

公園を回っている間に眠くなったらしい、泣き始めたので帰った。ベビーカーから抱き上げた途端に頭をことんともたれ掛からせて眠りに着いた。エアコンを入れて、横にして、
いまちょうど2時間くらい眠ったところ。平和な夏の朝。

mercoledì 5 luglio 2017

7月5日。忙しくて暑い。

7月5日。暑くて、忙しい一日だった。
7月5日といえばちょうど産休が始まった第1日目だった、去年は。もう一年が経つのだ。

朝6時ちょうど:
子どもが目覚める。本当に健康的だ、この子は。

6:30 (いっしょに)ラジオ体操をして朝ごはんを食べる。

8:30 おしりのかぶれが気になるのと、右目の目やにが気になるので小児科へ。

少し買い物をして帰宅。帰り道のベビーカーでみごとに眠りにつく。それから10時ごろ、おきてくれたらいいなーと思って見つめていたら本当に起きた。

10:30~ 保育園入園手続き。あらためて、急だなあと思う。こどもは、いつになく警戒していた。先日も行った場所だというのになかなか動き出そうとせず、おもちゃにも興味を示さず、不思議な泣き方をする。抱っこしてしばらくすると落ち着くが、泣き方がおなかすいた、でも、ねむい、でもない。自分がここに預けられるということを察知しているのだと私は思った。なんでも分っているのだ。まさか自分をあずけるんじゃないよね、みたいな目でときどき私を見つめる。

12:00に説明が終わって、郵便局に寄ってから帰る。郵便局のお姉さんが「私はこどもが今月で1歳になるんです」と言っていた。つまり彼女はこどもが1歳になる前にすでに仕事に復帰しているのだ。思わず「復帰していらっしゃるんですね」と言ったら、微妙な表情、というか苦笑しながらだまってうなずいていた。みんながんばってる。帰り道がめちゃくちゃ暑い。

13:00から遊び場で行われるリトミックに参加すべく大急ぎで昼ごはんを食べさせた。私が口に入れたのはかろうじてCCレモンだけ。めっちゃ暑いけど出かけよう~♪という適当な歌を歌いながらリトミックへ。

リトミックって一体何なのか分ってなかった。私がイメージしていたのはもっと音楽に特化した、より専門的で高度で面白いものだった。実際は、歌にあわせて体をうごかそう~♪みたいな感じ。そんなに専門的なものでもなんでもない。

問題は、それに参加するかどうかだ。いや、こどもはその場(部屋の中)にはいるのだが、部屋中を縦横無尽に這い回っておもちゃで遊んでいるため、リトミック自体にはまったくといっていいほど興味を示さない。「はい、だっこしてみましょう」とか「ゆらしてみましょう」とか夢のまた夢というか。その場に留まっていないしほかのものに興味を示しているため抱っこどころではないし、無理に連れ戻すほどでもないなと思ってそのままにしてあきらめた。タンバリンを持ったときだけは大喜びしていたけど、スカーフみたいなのをかぶせられたりしたときは本気でうっとうしそうだった…。「はい、ではこどもと向き合って、おかあさんがこどもの視界から消えてみましょう~」といわれて、同じようにまったく輪に入ってない子のお母さんと目を合わせて笑った。「視界から消えるって、どっちの話だろう、って感じですよね」と。

2時過ぎ。お昼を食べていなかったのでセブンイレブンで冷たいうどんを買って帰る。またしても帰り道に寝てくれた。すごい。帰宅して横にして、つかの間の休息。うどんを食べる。それにしても暑い日だ。寝ているすきに、保育園の書類を書きこむ。

4時からは(私の)歯医者。これまたこどもが起きてくれたのですんなりと移動ができた。電車にのっていつもの歯医者へ。クリーニングをしてもらう。

それから帰り道大変なことが起きた。

雨が降ったのだ。大雨。しかし、乾いたアスファルトが湿っていく感じは結構好きだし、まあそのまま歩こう、と思っていたらなんとどしゃぶりになった。これは楽しむどころではない。ベビーカーには幸い、カバーがあったので取り付けた。私はというと、ずぶぬれになって帰った。いや、実を言うと少し楽しかった。中学のときに自転車で濡れながら帰ったこととか思い出した。すれ違う、かさを持っていない小学生や部活帰りの中学生を見てちょっと嬉しかった。ある意味、この季節の醍醐味かもしれない。

帰ってからすぐにこどもをおふろに入れた。

咳が相変わらず治らないのできょうこそはのど飴を買った。VC3000。つらいなあ。

忙しかったけど充実した1日だった。子どもは朝寝も昼寝もしたにも関わらず、7時過ぎにすでに眠りについた。

こうやって、産休に入って一年後の1日は過ぎて行く。きょうはアイスクリームもゼリーもヨーグルトも食べたけどまだのどがつめたくてつるんとしたものを欲している。ジュース飲みたいなあ…

martedì 4 luglio 2017

周りに感謝した日

保育園から電話がかかってきて、その内容を聞いた瞬間はまさかこどもを預けて復帰しようとは思わなかった。3月までは毎日こどもとつきっきりで過ごすつもりでいたし、そもそも復帰する予定を「やっぱり育休延長します、言うことがコロコロ変わってすみません」と職場に頭を下げてきたのが2ヶ月くらい前のこと。だから電話が来たときは、その内容を理解はできたもののなんとなく人ごとのようでもあったし、現実的に考えられなかった。ほんの数分たって、「あれ、もしかして仕事ができちゃうということか」と思った。だんだんとリアルになってくる一方で、誰かにこのことを話したかった。家族や友人に相談することにした。あまりに急すぎて、ドキドキがとまらなかった。こどもの顔を見たら急に泣けてきた。(ということはもうあの時点で、預けようと思っていたということだろう。)

結局一番最初に相談をしたのが、地域の子育て支援コーディネーターだった。ちょうど先日、一応と思って電話番号を控えておいたので、そこにかけてみた。そしたらどうやらいつも行っている遊び場の担当の方だったようだ。私のことを覚えていてくださった。よかったですね、またとない機会だと思う、と言われた。急で戸惑いはあるだろう、というのも分かっていてくださった。ごく冷静に、「保育園に連絡する前に、職場に、空きの連絡が急に来て戸惑っているという連絡をしておくべき」と言われたのでその通り、すぐに職場に連絡した。「今日中に決めて連絡します」と言った。

親とも話した。父親、母親、弟、それぞれに受け止め方も考え方も違うと思った。それでも、「答えは出ている」と父親に言われて、うん、そうだなと思った。

よく言われることではあるが、やたらと人に相談するときは実は答えが自分で決まっていて、あとはただ後押しが欲しいだけという場合が多い。昨日の場合はまさにそうだったと思う。どうしよう、と言っている割には、「こどもは親と一緒にいるに限る」などと言われると過剰に反応してしまったり、預けたほうがいい理由を一人でどんどん列挙しながらしゃべったりしていた。

それでもやっぱり大きな物事を決めるときには他人と会話するに越したことはないと思う。話すことで自分のもやもやを外に出して、考えとして整理できるから。そして特に手順を踏まなければいけないときなど、一人で慎重さが欠けそうなときはなおさら他人に話す。

そんなこんなで電話が来てから数時間後にはだんだんと「預ける」方向に考えが固まって行った。

大事なのは、職場である。この一年にわたる「ぜったい延長しません」「あ、やっぱり延長します」「あ、やっぱり延長しません」という一連の宙ぶらりんな感じを本当に受け止めてくれるのか。

電話したら管理職は「いずれにせよ決める権利はあなたにありますから」と言った。そして私の代替の方は「どちらになっても大丈夫です」と言った。理解あるどころではない、もう、頭が上がらない。すみませんしか言えなかった。いい加減にどっちかにしろよ、と言われてもおかしくないところなのに。

夕方に代替の方に「保育園に預けることにしましたので復帰します」という旨を伝えると「決まって良かったですね」とさわやかに答えてくれた。有難すぎる…

午後から、遊び場に出かけて行って、直接コーディネーターと話した。1時間近く、話ができた。仕事と育児についてが主だったがかなり深い話を聞くことができた。行って本当に良かった。こういう場や人をaccessibleに設けてくれている自治体に感謝した。そして、この10ヶ月間でこの場を見つけてこの人と知り合った自分に、でかした、と言いたかった。

それにしてもコーディネーターをはじめとした、自治体の、子育てに関わるスタッフさんたちはプロだ。経験があるというだけではない。よく勉強して、最新の情報を常に仕入れているので話がしやすい。考えを押し付けられることもない。なのに日々見守られている。よく遊び場に通っているというのもあるけど、とにかくよく理解してくれていて、覚えてくれている。道であっても声をかけてくれる。適格なアドバイスをくれる。

私自身の心がだいぶひらけた、というのもあるだろう。最初は「うちの子は他の子と違うし」という意識がやっぱりどこかにあって、地域がこんなにオープンでいてくれているのになかなか打ち解けようとしていなかった。要するに、強がっていたのだ。それがここ数ヶ月、手も足も出なくなり、発狂寸前になって助けられたのがこういった遊び場、区の施設だった。いつでも相談どうぞ、いつでも味方ですよ、と手を差し伸べてくれている。

保育園が見つかった今だからこんなに明るい気持ちになっているだけかもしれないけど、やっぱり自分もオープンになって近づいて行けば、いい環境、いい関係が自分で築ける。結局は自分次第である。どんな環境にいても自分が変わればちょっとずつでもいいことは起きる。そして受け入れてくれている周りに感謝。

さて、雨の音を聞きながら寝るとします。咳は相変わらず治らないけど昨日よりちょっとマシかな。

lunedì 3 luglio 2017

空きのしらせ、喉が痛い

喉が痛い。数日前から痛い。
昨日は咳が止まらなかった。きょうあたり、治るだろうと思っていたのだがそうすんなりとはいかない。きょうは声が枯れている。久しぶりにこんなことになった。咳が何週間も止まらなくて困ったことが、仕事をしていたときにはあった。あのときは本当に苦しかったのだが、今までその大変さと苦しさを忘れていた。これは苦しい。ちょうど数年前もだいたい梅雨の時期だった気がする。季節の変わり目ということだろうか。何をどうすれば治るか分らないが、地道なうがいが一番効くと聞いた。そしてきょうのど飴を買うのを忘れていた。

どうして忘れていたかと考えてみると、きょうはとても大きな出来事があったから、かもしれない。午前中に留守電メッセージが入っていたので聞いてみたところ、以前見学に行った保育園からだった。もしかしてと思ってかけなおしたら、空きが出たとのこと。以前書いたとおり私は育児休業を延長することに決めていたので正直なところ気が動転するくらい驚いた。そんなつもりではなかったからだ。それでも冷静になって考えてみると、こんなチャンスはなかなか無い。つまり秋から仕事ができるわけだ。数時間の間にいろいろな人に相談をして、保育園にいかせることに決めた。これで断る理由は無い。

あさって手続きをすることになった。とにかく急だが、このチャンスにのってみることにした。

sabato 1 luglio 2017

ママとかパパとかねんねとか

湿度が高い。洗濯物が全然乾かないにも関わらず新たに洗濯をして干してしまった。まあいずれは乾くだろうし、汚れて湿ったものを積み重ねておくよりはマシかと。

朝からエネルギーが有り余った子どもを遊びに連れ出し、帰り道にみごと眠らせて帰ってきた。最近は横にしただけですーっと眠るようになったので楽になった。授乳やだっこの必要がないので、深い眠りに落ちるまでずっと腕に抱いたまま待つ必要もない。焦らなくても自然と成長していくものだ。

それにしても夜に起きる回数がすごい。昨日は蒸し暑くて寝苦しかった。私でもそうだったのだからいわんや赤ちゃんをや。

きのう、「赤ちゃんが朝までぐっすり眠る本」だったか何だったか、タイトルは忘れたけどそういうのが施設にあったので手にとってみた。本屋で平積みされていたのを見たこともある。

開いてしばらくして思った。
「アウトー。」

合わない。私には合わない。というのも「睡眠」のことを「ねんね」、読者として想定される女性のことを「ママ」、そのパートナーのことを「パパ」と書いてある。

なんだよたったそれだけかよ、と思うかもしれない。
むしろ子育て本なんてそんなのばっかりだろうに、と思うかもしれない。

しかし私はこういう文言を見ただけで拒否反応が出る。(実際のところ、書いてある内容も「うーん、そうかしら」と思えるようなものばかりだったのだが。)世間では受け入れられるかもしれないけど、私はお断りだ。

どうして世の中は「ママ」と呼びたがる、あるいは呼ばれたがるのだろう。(「ママ」と「おかあさん」の違いについてはまた別の話。)私は私であって「ママ」ではないし、パートナーはわたしの「パパ」ではない。その男性は、その女性の産んだこどもにとっての「パパ」であって、彼女のパパでは決してない。「パパはこどもの泣き声が聞こえてないことが多いのです。ママには本来から察知する能力が備わっています。」と平気で書いてある。

たったそれだけのことなのだが、言葉の持つ力はとても大きいし、出てくる言葉には全てその人の根底にある意識が表れていると私は思っている。自分のことを「ママ」とか「おかあさん」にカテゴライズしてしまう女性は、そうすることが心地よいからそうするのだろう。しかしその人からママとしての役割をとってしまったら何が残るのか。こどもが生まれる前、彼女は一体誰だったのか。こどもが生まれた途端に「ママ」になることが決定して、そのあとの人生もずっと「ママ」なのか?

ママである以前に女性であり人間なのだ。私は私であり、ほかの誰でも無い。私にある魅力は、私だからあるのであって、ママだからあるものではない。子どもがいる、という事実は私についての情報のひとつに過ぎない。だから私は、どうしたって自分のことを「ママ」とか「おかあさん」とか呼ぶことができない。自然と呼ぶようになるのかと思っていたが、どうしてもその言葉は口から出てこない。

さらにこどもは私の所有物でもなんでもない。ひとりの人間であり、私とは別の個性を持つ、別の人物。制御できる部分はすでに限られている。

私は第二者の前で自分のことを「わたし」と呼ぶ。その相手(第二者)が誰であろうと、変わらない。

「ねんね」についてはまた別の話だ。
相手がこどもだからといってこども専用のことばを使うのにも私は抵抗がある。立つことを「たっち」とか、靴のことを「くっく」とか、ごはんを「まんま」とか言わない。こどもは小さいけど一人の人間であって、一対一でコミュニケーションをとるのだから、普通に話して良いしむしろそうすべきだと思っている。

ただ、これは、わたしのこどもがまだ10ヶ月で、ことばを話さないからそう思っているだけかもしれない。実際に話すようになると「たっち」とか「くっく」のありがたみが分かるようになる…のかもしれない。

まあ今の時点では、ママとかパパとかねんねとか、そういう言葉を見るたびにうんざりしてしまうのであります。賛否両論あるだろうし、もしかしたら数ヵ月後の私がこれを読んだら何言ってんだい、と思うかもしれないんだけど、今のところの正直な気持ち。

venerdì 30 giugno 2017

ぎっくり肩(首)

朝起きると、肩から首にかけてがピキーっと痛んだ。首が回らない、というやつだ。以前もあったけど、それよりは肩に近い気がする。気づくと子どもが「まんまんまんま」と言いながらそこらじゅうを這い回っている。普段ならさっさと座らせて朝食をとらせるところだが、どうにもこうにもからだが動かない。参った。病院にいこうにも子供を連れて行くわけにはいかないし、雨も降っている。ゆっくり起き上がってとりあえず一連のなすべきことをする。

湿度や気圧のせいもあるとは思うが、からだの凝りがピークに達しているのだ。というのも、昨日の夜は全身がこりすぎて全然眠れなかった。痛いというか、疲れがたまっていて、眠いのにからだが休むモードになかなか入らない。スポーツが必要だと思った。同じ「からだを動かす」でも、子育てでバタンキューになるのとスポーツで汗をかくのは全然違う。そろそろ合気道かプールに行かせてもらおう。ほどよく運動をしたあとの眠りの深さがなつかしい。

giovedì 29 giugno 2017

家事サービスを無料で利用

はい、じゃじゃーん♪

これ、なんでしょう?
きょう、家事サービスの女性によって作られた料理。作ったのは私じゃない。だけど食べるのは私。

興味がある人もいるだろうからきょうはこれを書いてから寝ることにする。

私の住んでいる区では、産前産後の家事育児サポートサービスがある。といっても無料で利用できるのは三回まで。母子手帳といっしょに、三回分のチケットをもらう。利用できるのは産後一年まで。つまりこどもが1歳になる前までに使わないと無効になる。利用できる会社がいくつかあり、そこから自分で選んで、自分で電話をして予約をする。実際、これをもらってからだいぶ月日がたっていて、申し込もうと思いながらも、なんだか面倒というか腰が引けていて使っていなかった。

しかし、そろそろこどもが1歳になろうとしている。
さらに、最近、自分がまともに食事をとるのが困難になってきている。(本当にハイハイのスピードが速くなってきていてまったく目が離せないのと、後追いしてやってきて脚にしがみつくので身動きがとれず料理できなくなる。椅子に座らせておとなしくしている間はいいが、料理しながらあやすのも結構大変である。)

そして、先日会った女性が「もちろん3回分利用したわよ~」と軽い感じで言っていたのを見て、これは私も電話かけねば!と思ったのである。

申し込みをしたのはかれこれ2週間か3週間前。なにも予定の無い、この29日の午後にお願いすることにした。

その女性は一時に現れた。

「一体なにをお願いすればいいのか分らないんですが、とりあえずあの洗濯物をたたんでいただきたいのと、私がまだ昼を食べて無いので何か作っていただければ嬉しいです。あとは、まあこどもと一緒にいてもらえれば私の自由時間もすこしできるかなー、とか」と言ってみた。

実際のところ、何をどうお願いしていいかイマイチわからない。お願いし慣れていない、というのもある。家事代行なんてやってもらったことない。一体どれくらいの要領で、どれくらいのことをやってくれるのかわからない。でもこの会社で評判の良いらしい、料理してもらえるサービスをとりあえず頼もう、と思ったのだった。

女性は「はいはい、それでは」といいながらエプロンを身につけ、料理に取り掛かった…と思ったらものの5分か10分でチャーハンが完成していた。頭下げながらいただく。冷凍のご飯と、北海道展で何ヶ月か前に買っていた瓶詰めの鮭と、しいたけと、実家からもらってきたピーマンが使われていた。と思う。おいしい。あっという間に食べてしまった。

それから一時間あまりで、高野豆腐の煮物、ナスの揚げびたし、ひじきの煮物、にんじんしりしりが出来上がった。

すんごい。

すんごいよこの人。

すんごい手際いい。

それから「時間があったらポテトサラダつくりますから~」といいながら床に座る。洗濯物をたたみながら、こどもをあやしてくれている。残り時間が30分。「ああ十分時間がありますね」と言って、あっという間に野菜をきざみ、じゃがいもが茹でられた。あとは冷まして混ぜるだけ、というところで3時になった。時間が来てしまった。残りは私が自分でもできるので、そのままにしてもらっておいた。

女性はほがらかに帰っていった。

プロだ。さすがプロ。ある食材だけを使ってこんなに美味しくたくさんのものが作れるとは。しかも台所の勝手を理解するのの早いこと早いこと。「お鍋はどこですか」とか聞かれなかったなあそういえば。聞かれたのは「お砂糖は」と「マヨネーズは」ぐらいだった。

というわけで、このサービスすごくいいです。お掃除とか子守とかいろいろあるんだろうけど、とりあえず利用してみてよかった。そもそも我々の税金から補助が出ているわけだから、利用しない手はない。

なんで利用しなかったのかなと考えると:

1、家に誰かが来るということは、それに都合をあわせなければいけないわけで、なんだかそれって面倒、と思っていた。

2、助けなんていらない、と思っていた。というか強がっていた。

3、自分で電話したり調整したり、めんどいなーと思っていた。

そんなこんなで自分でハードル高くしていた。そしてそもそも私は人に頼るのがとても下手だ。うまく頼ればいいのに強がる傾向がある。(これは出産を経てわかったこと。)もし迷っている人がいたらこのサービスは利用すべき。実際お金にしていくら分のサービスなのかは分らないけど、価値はある。周りの、知っている産後の女性に聞いても「あ、それありますよねー 使ったこと無いけど」とか「そもそも料理なんてしてもらわなくてもいい」という人ばかりだったので私も「まあいっか」と思ってここまで放っておいた。

でもきょう早速、夕方に会った知人女性たちには勧めておいた。こどもが1歳になるまでにはぜひ、と。

やっぱり、難しいのは最初なのだ。いつも。最初の一歩がなかなかでない。
一歩を踏み出せばあとは、ものごとは思ったよりも簡単だったりする。

チケットはあと2枚残っているので、この夏で全部使い切ろうと思う。そして、いいサービスが見つかれば今後お金を出してでも利用してみたいと思った。手を抜くのは悪ではないし、それに払うお金は意味のあるお金だと思う。

11月になった。10月を振り返って。

 11月になった。いい季節だ。いい季節だけど10月には叶わない。いちばんいい時期はどうしてこんなにすぐ過ぎ去ってしまうのだろう。10月が好きであることには変わらないけど、しばらく前までは4月〜9月までの季節が大好きだとよく言っていた。いつの間にか、うーんどっちでもいいなと思えるよ...