不思議と今日は、困っちゃうなもう、みたいな気持ちにはならなかった。人が目の前で死んでるという事実、そしてもはや原型を留めてないであろう、ビニールシートと車両の下に隠された死体、懸命に作業をする人々の姿、それら目に映る光景がだんだんと現実じゃないような気がしてきた。
愕然としているうちにどんどん時間はたっていた。死体、見たくないんだけど見てみたかった。どうしてもそこに留まってしまったということはやはり本当のところ見たがっていたのだと思う。救助隊は列車の下に入り込む。駅員は線路の上を駆け回る。「近寄らないでください」とアナウンスを繰り返す駅員。
自分のなかではすごく大きなニュースなのだが、これが特にニュースとして取沙汰されることはまず無い。日常茶飯事なのだ。「電車に人が轢かれた」というだけなのだ。
上京して間もない頃「人身事故」という言葉の意味が分からず、長くこちらに住んでいるはとこに訊ねたことがある。「人身事故って、何?」と。あやまって転落したり、自殺だったりする、とにかく人身に関わる事故は全部その名前、と教えてくれた。
人が線路に飛び降りて、命を失うって大変ショッキングなできごとなんじゃないのか、なのに首都圏の、たくさんの人たちが、そんなに死と隣り合わせの状態で特に何事も無かったかのように生きているのが不思議で仕方なかったし、いまだによく分からない。大きな話題になるほどのことではないらしい。
これがほぼ毎日、どこかで起きているのだ。これが現実なのだ。青いビニールシートを見ながら、死とか人間の身体について考えた。死は、意外と近いところにある。そして身体は脆い。
いつまでたっても「救助」活動は終りそうになかったのでその場を去り、埼京線に乗って大崎まで。大崎から目的地まで歩いたことが無かったというのに、"行けば分かるさ"モードになり、とりあえず降りてみたものの最初の出口から早速間違える。やっと駅を出たかと思いきや、目的地とまったく逆方向に歩いていたということに気付かされる。駅員、通行人、スタバのお姉さん、マンションの管理人… とにかくたくさんの人々に道をきいて、やっとたどり着いた。うっすら汗をかいていた。家を出てから1時間半が経過していた。朝日がまぶしかった。