Tuesday 21 January 2014

センター試験 英語について

(別に朝ゆっくりしているわけでもないけどブログ書く。)

新しい週が始まった。忙しくないはずの月曜日なのに昨日はやることがたくさんあって結局とても忙しかった。帰るのも普通より遅くなった。

毎年恒例のセンター試験を解いてみた。英語。2つ間違えた。
ざわざわしている中であまり集中せずに解いたから。というのはまあ言い訳。

新しい傾向の問題が出ていた。どの文を取り除けば論理的な文章になるか、という問題。
いい問題だと思う。全体を考えなければいけないから。木も見るけど、森をもっと見る、というか。
実生活においてそういうことをする必要があるか、というとあまりそういう場面には出くわさないと思うけどね。

私が受けた時とはだいぶ問題も変わってきたと思う。と言ってもそれほど昔ではないのだが。
それだけ日本において英語に対する意識と状況とが変化しているということだろう。

昔、「この文の中でどの単語を一番強く読みますか」という問題があった。発音・アクセント問題ではない。その次にあった問題で、文脈から判断して強く読むであろう単語を選ぶ、という問題だった。
受験生だったころ、これが一番苦手で、同時に、どうしても分からなかったし、解説を聞いても、「んなわけなかろう」と思っていた。

当時(というか今も)毎日ラジオ英会話を聞いていて、ダイアログはニューヨーカーの会話だった。毎日15分の音声インプットを得ていた私としては、紙面で「ここが強い」とか言われてもどうしても納得のいかないことが多かった。

たとえば、(あえて日本語で書くが)こういうのだったら明らか:

「昨日どこに行ったの」
「ディズニーランドよ」
「え?何?」
(1)ディズニーランド(2)行ったの」

これの1と2がどちらが強いか、という問題だったら正解が1だというのは誰にでも分かる。
ただ、当時出ていた問題はこんなのではなかった。
状況によって3でも4でも、あるいは1でも可能なのではないか、みたいな問題がよくあった。
そんなのは問題作成者のエゴである。
価値観というか自分の信念の押し付けである。

「こんなところを問題にしている場合じゃないんじゃないのか」
と誰か気づいたのだろう、しばらくして問題は消えた。
よりリアルなものへと段々近づいている。
消えてよかったと思う。
私も含め、当時の受験生、お疲れ様でしたといいたい。

ありがとうとカルボナーラ

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