Sunday 5 January 2014

東儀秀樹 NHK カルチャーラジオ

2日から実家に帰ってきている。
することがなくて暇だろうと思っていたのだがなんだかんだ毎日忙しい。
といっても東京にいるときよりも時間がゆっくりと流れているのだが。
空気がきれいで、静かで、広々としている。
「えーっと、何をしようかな」と考える余裕がある。

昨日も今日も、ラジオを片手に散歩をした。
今日は、東儀秀樹による講座が流れていて、最後まで聞きたかったので、わざと遠回りをして、終わるまで延々と歩き続けた。
最初は東儀さんであることが分からなかったのだが、だんだんと声に聞き覚えがあることに気付いた。
そして、話の内容をよく聞いているうちに東儀秀樹であることが分かってきた。

日本文化と、雅楽について話している。

「枕草子のなかで、清少納言が笙の音について書いた部分がある。
『月夜の晩に、牛車にゆられているときに聞こえてくる笙の音がたまらなく好き』とある。
いっぽうで、篳篥は嫌いだ、と。素人が演奏すると騒音にしか聞こえない、篳篥はそういう楽器である。僕が演奏するのがなめらかに聞こえるのは、僕が上手だからであって(笑)たぶん清少納言のそばにいた人は演奏が下手だったに違いない。もしタイムマシンがあったら、僕は、平安時代に行って、清少納言のそばで優しく演奏してあげたいと思う」

笙の出す「和音」について。
「西洋では、和音を協和音と不協和音と分ける。
こういった、はっきり白黒付けるあたりがとても西洋的とも言える。
その考え方で行くと、笙の出す和音は「不協和音」とされるのだが、笙を聞いていて不協和音だと感じますか。むしろ、すっきりすると思いませんか。1000年以上前から存在してきた和音。西洋音楽においてのちに前衛音楽が作られたがその時にこういった不協和音をあえて出してきたりもした。」

「外国人と関わる機会が増えてきた世の中だが、日本文化に興味のある外国人もたくさんいます。そして、我々日本人よりも日本文化に詳しい外国人がいるなんていうことも稀ではない。

英語を何の不自由もなく話せる日本人がいたとして、たとえば雅楽と歌舞伎の違いは何ですか、と、とある外国人に言われて何も説明ができなかったら、そこでその人の英語は何の役にも立っていないわけです。

いっぽうで、英語は話せないけどその場で通訳という職業の人に来てもらって、同じ質問をされて、日本語でその人が説明をしたとする。そして通訳がそれを英語に訳す。それを聞いた外国人が、コミュニケーションを取りたいと思う相手は通訳ではなく、その人なのです。そこで通訳に、あなたは国際人ですね、なんて言う人はいません。」


ほかに;
「雅楽は難しいと思っている人が多いが、それはメロディーを探そうとするせいである。頭、あるいは耳で聞くのではなくて、毛穴から入り込んで血液の循環に取り込まれていくような、つまり細胞で聞くような音楽である。そう思って雅楽を聴いてほしい。」

最近ラジオを持って移動することが多いのだがおかげでいろいろな情報が入ってくる。家にあるコンポで聞くよりも、ポータブルラジオがあるほうが聞く機会が増える。昔はよくラジオを聞いていたのだが最近はあまり聞かなくなっていたのだった。

いや、情報が入ってくるというよりもむしろ勉強をしているに近い。情報ならネットをしててもテレビを見ていても入ってくる。視覚情報が入ってこない分、頭に残りやすいような気がする。

うちのおばあちゃんが知的だったのは、本をよく読むのに加えて、ラジオを聞きながら農作業をしていたからじゃないかと思う。

この、東儀さんの話していた1時間はカルチャーラジオという番組だったようだが、もう一度聞くにはどうしたらいいだろうか。もう再放送は無いのだろうか。とても面白かったしためになったのだが。60分話されていたうちの30分しか聞けなかった。

ありがとうとカルボナーラ

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