Thursday, 6 August 2015

4.8 - 5.8 Galleria Palatina / パラティーナ美術館

感じたことは後から書くとして、とりあえずメモ。

8月4日(火)

学校開始。周りの生徒より1日遅れで参加。プレイスメント・テストを受けたらレベル4に配置された。といっても全部でいくつレベルがあるんだろう?たぶん5かな。細かい文法でよく分かっていないところがあるので、ここまで丁寧に解説があるとありがたい。

お昼にメルカート・チェントラーレ(中央市場)に行ってみた。かつては昼の2時までだったのに、最近では3時まで延長されたらしい。そして衝撃だったのが、2階部分がすっかり変わっていたこと。かつては八百屋だったのに、ちょっとオシャレな食堂みたいになっていた。しかも夜12時まで空いているんだとか。観光客向けという感じがしてショックだったが、実際のところ結構便利らしいです。

市場で革製品を見てみた。相変わらず安い。日本で買うのの10分の1である。いや、これは大げさに言ってるのではない。実際、45ユーロでひとつバッグを買ったのだが、これ日本だったら5万はくだらないと思う。

それからうろうろしていたら歩き疲れたので帰ることにした。家でパスタをゆでてシャワーを浴びたらもう出かける気もなくなってあっという間に眠りについた。

8月5日(水)

学校が終わって、家で昼を食べてから、パラッツォ・ピッティに行ってみた。というかパラティーナ美術館。ここなら列を作る必要も無いだろうと思ったし、好きな美術館のひとつだから。昔買ったガイドブックを日本から持って来たので、それを見ながらゆっくりまわる。何度行っても面白いし、良いものは良い。行く度に新しい発見がある。

結局3時間ぐらい鑑賞していたので、これまた疲れきってしまった。脚が棒のようになっていた。家に帰ってすぐに寝てしまった。本当はジェラート食べに行きたかったんだけど、白いシーツの上でごろごろしているほうが魅力的でした。

Wednesday, 5 August 2015

3.8 ②キエフ、ローマ、フィレンツェ

8月3日の記録をもう少し。

・朝7:30ごろホテルを出て空港へ。(ホテルのロビー。やっぱりタチアナ・ロマノヴァか赤毛のスパイが出てきそうな気がする。↓)
・10:00ごろ、ウクライナ航空PS305便にて出国。
・12:00ごろローマに着く。飛行時間が3時間と書いてあるのに12時着なんておかしいなあ、いい加減だなあウクライナ航空は、と思っていたら、時差があるだけだった。
・1時ごろには空港を出る。入国審査も、荷物の受け取りもかなりスムーズにいった。
・電車の切符を買うのに多少の混乱が。結局15:48のItaloに乗ることになった。それまでどうしようもなかったので、せっかくだからと思ってテルミニを出た。
・14:00ごろ、piazza indipendenzaのピッツェリアでお昼。特別美味しいわけでもないが、私が学生の頃から知っているレストランなので、なんとなく入りやすい。10年経っても変わらない店主。あっちは私のこと覚えてないだろうけど。ピツァ・カプリチョーザを頼んだ。
・テルミニに戻り、電車が10分遅れということを知る。仕方ない。
・列車の発着を電光掲示板で見るのって旅人っぽくていいですよね。東京だと無い。
・結局15:58にテルミニを出る。
・17:27フィレンツェ着。

何年ぶりだろう?感慨深かったけど、思ったより普通だった。つまり、久しぶりだからと言って感動して言葉を失ったり、涙したりするようなことはなかった。
最初の感想は、日差しが強すぎてびっくり、ということ。刺すような感じ。痛い。肌が焦げる。
この窓の日よけの色を見ると、フィレンツェに来た感じがする。
地図がなくてもスタスタ歩ける。感覚的に地理が身に付いている。規模的にもそういう街だ。

私が来たのが何年ぶりであっても、周辺のお店がいくら入れ替わっていても、ドゥオモは相変わらず、どーんとでかくて、何も変わっていなかった。いつも思うんだけど、焦ってるのは人間だけなのだ。時間はみんなに平等にあって、変わらずに流れて行く。来たり去ったり、産まれたり死んだり、せかせか動いているのは人間だけである。
過去の偉人たちに見守られて、街は、少しも動じず存在し続ける。ただ、太陽が昇っては沈み、季節が巡っている、それだけのこと。歴史は寛容にそれらを見守り続けている。
キエフとローマとフィレンツェという3つの離れた都市を1日にちゃんと移動できるのかどうか不安だったのだが結果的に時間にも余裕を持って移動することができた。

3.8 ①ウクライナ出国

(8月3日の記録。)

ただいまローマからフィレンツェに向かう電車の中です。イタリアで電車に乗ったのなんて、いつぶりだろう。
           
今朝は無事にウクライナを出国した。色々心配したけど、結果的に大きな事故も事件も起きずに34日を過ごした。7時半にホテルを出た。タクシーは昨日ホテルに頼んでおいた。昨日の帰りに乗ったタクシー運転手に260ではだめかと頼んだら「スリー・ゼロ・ゼロ」と言われた。300なら良い、と。問題は現金が263しか無いってことなのだ。友人は250フリヴニャで行けると言っていたのだが、ホテルの受付もそれではだめだと言った。仕方が無かったので両替所を探して両替した。なんとたったの5ユーロを。これはさすがに嫌がられたが、拒否はされなかった。半分笑いながら、122フリヴニャに替えてくれた。良かった。これでなんとか乗れる。

今朝、空港で嫌なことがあった。パスポート・コントロールの所で、写真と見比べて顔が違うと言ってなかなか通してもらえなかったのだ。こんなことは初めてだった。確かに、パスポートの写真とはだいぶかけ離れている。化粧も違うし髪型も違うし、そもそも8年前の写真である。変わっていて当然と言えば当然。そんなに老けただろうかとショックだったのもあるが、本人だと言っているのに信じてもらえないっていうのはとてつもなく悲しいです。例えば「この料理本当にあなたが作ったんですかー、うそー、信じられなーい」というのとはだいぶ違う。自分が自分であることを信じてもらえない。

3人もの人が顔を見に来たが、みんな私のことを信じなかった。そこでなんと別室まで案内された。ここまでくるともうほとんど怒りである。しかし何か罵ったところで、逆効果だと思ったので耐えた。そして別室の、また別のスタッフが顔を見て半笑いで「グッドラック」と言ってパスポートを半ば投げ返された。「ま、がんばって」みたいな感じ。これはもう本当にひどすぎる。

列に並んでから40分かそれ以上が経過していた。結局通してもらえたものの、こんなにひどい対応はされたことがなかったのと、自分が自分であることをここまで疑われたのは初めてだったのでショックで半ば呆然となっていた。

原因としては、もちろん私自身と写真がかけ離れているというのはある。それに加えて、東洋人の顔に慣れていないこともあると思った。空港中を見回して、あの時点では私以外に東洋系の顔は見当たらなかったし、全体としても数は少ないはず。

ここで私がウクライナ語を話すことができたらたぶんあれほどなめられた対応をすることは無かったのだろう。それに話は戻るがタクシーも250ぐらいで乗せてもらえたかもしれない。

観光客というのはなめられがちである。「旅をする人」にはtouristという言葉とtravellerという言葉がある。touristは観光客でtravellerはより旅人に近いだろう。賢いtravellerでありたいものだ。

今回の件でひとつ学んだことがある:それは、顔写真入りの証明書をあとひとつなにか持っておけば良かったということ。信じてもらえないなんてことは普通は無いんだろうけど、今日、日本の免許証でも良いから持っていれば良かったと思った。


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で、一晩経った今あらためて考えてみると、まあ悪気は無かったんだろうと思えるようになった。国の事情もあるし、と考えたら許せた。神経尖らせて仕事をしているんだろう。

Monday, 3 August 2015

Kiev3日目

8月2日、キエフ3日目の朝。前日に引き続き、めちゃくちゃ暑い。日差しが強くて、肌が焦げるような感じは、イタリアと同じである。日陰にいると涼しい。
 もっと寒いのかと思っていた、と友人に話すと「それはロシアと混同してる」と言われた。そうかもしれない。やっぱり勝手なイメージ。
 歩いて国立博物館へ。
見るからにイッちゃってるお店。日本であんまり見ない気がする。ほかの店に紛れて気づいてないだけかしら。

途中に、聖ミハイルの黄金ドーム修道院があった。入ろうかどうしようか迷って、結局博物館に行ったんだけど、博物館が「日曜だから11時スタートですよ、10時じゃなくて」と言われてしまって、結局ここに戻ってきた。昨日と同じくスカーフをまいて入る。日本から持ってくるときはまったく考えてなかったんだけど、持って来てよかった。暑さ、寒さ、埃その他をしのぐためにスカーフは旅行のときに必ず持って行くことにしているのだが、教会に入るためという用途もあるのだ。やっぱり役にたつ。ちなみに一番持って行って良かったと思ったのはカンボジアで、トゥクトゥクに乗って赤土の上を走り回るにはちょうどよかった。つまり、埃避けに。

これ、外務省だそうだ。これまたでっかい。

心無しか、水色の建物が多い気がする。きれいなんですよね。それが。

日曜の朝は通りが落ち着いている気がした。

アンドレイ教会。これは他の教会より繊細?な作りになっていると思った。

博物館前で何かの儀式をする人々。男女交互に並び、円になり、真ん中で何かを燃やしている。

Sunday, 2 August 2015

Kiev 2日目

8月2日。

キエフは本当にのんびりしていて、昨日も書いたけど、ローマより全然危なくない。ぐうたらさとか、(いい意味での)やる気のなさとか、そういうのはセルビアに行ったときの感じに少し似ている。

今朝はホテル周辺を散歩した。建物がとにかく大きい。旧ソ連のころはこういう建物がたくさん作られたんだろうと思う。なんというか、自分が小さくなったような感じ。靖国神社の鳥居のことを「やたら大きくて、ゲームの世界に入ったみたいだよ」と友達が以前言っていたことがあるが、それに少し似ているかもしれない。必要以上にでかい。1.5倍ぐらい?建物の大きさで力を示したのだろうか。

2014年の革命で命を落とした人たちを追悼する十字架。歩いているとたくさんあるけどここは特に集まっていた。ごく最近のことだと思うと余計に生々しく感じる。

この緑の看板はあっちこっちで目にするので、きっとチェーンのギョーザ屋さんだろうと思っていた。
それで、後から友人に聞いたら「すしや」って書いてあるらしい。ゆるキャラ的なものがマークになっているあたりがいかにも日本っぽい。「R」をひっくり返したやつは「ヤ」と読み、しかも「私」という意味もある、というのは少し勉強して身に付いたことだったので、「すしや、って書いてある」と聞いた時は嬉しかった。
街角のグラフィティ・アート。

歩いていたら美術館が現れた。
11時からということだったので、少し待ってから入ってみた。お客さんはほとんどいないのだが、各展示室に女性が1人か2人ずつ座っていて、おしゃべりしたり本を読んだりしている。2階にあった版画がとても興味深かった。Jacques Hnizdovskyという人。絵はがきでも欲しかったけど、ミュージアム・ショップなどというものは存在しない。

お昼にヴァレニキという、餃子みたいなやつを食べた。中にはザワークラウトが入っている。
あと、クラムチャウダーみたいなスープ。パンの中に入っている。取っ手がついた形をしていて、かわいい。よく決壊しないなと感心した。今のところ、ウクライナの食事は美味しい。

バスに乗ってペチェルースカ修道院を見に行く。
世界遺産だ。敷地はとにかく広い。テーマパークかと思ったぐらい。


カトリックとの違いは何だろうか。もちろん建物の形は違うけど。金色が多く使われているところ?カトリックのほうが装飾その他に繊細さがあるような気もした。 

写真は撮れなかったけど、地下墓地というのが興味深かった。信者でもないのにこんなところに入っちゃっていいんだろうか?いいんですね、たぶん。寛容なのかな。日本だって、清水寺には仏教を信じる人しか入っちゃいけませんみたいなのは無い。そんなことしたら本当に入れる人はごくわずかになってしまう。

いずれにせよ、スカーフをまいて入らなければいけない。偶然、日よけのために持っていたスカーフが役に立った。それで入ろうとしたら、まだだめで、女性はスカートの形をしたものをはいていないとだめだそうだ。つまり、ズボン系のものはだめ。私はジーンズはいてたわけです。だから次は緑色の布を渡された。エプロン状になっている。もはやスタバの店員である。

中に入ると、信者がろうそくの明かりだけを便りに暗くて狭くて天井の低いところを通って行く。そこにあるのはなんとミイラ。しかも顔の部分に布をかぶせてあるから余計に気になってしまうし気味悪い感じがしてしまう。

ローマでカタコンベにいったことがあるけど、カタコンベとはそもそも成り立ちから異なるようだ。でも、雰囲気は少し似ていたかな。じめっとした暗い地下、という店で。

で、この日一番の衝撃が帰りに乗ったのメトロ。つまり地下鉄なのだが、めちゃくちゃ深いところにある。大江戸線どころではない。友人曰く旧ソ連時代の防空壕も兼ねていたらしい。どれくらい深いんだろう?いっこうに着かないし、深いところに入って行くわけだから、ただ長い道が続くのとは違って、先の見えない不安のようなものにかられる。
 しかもエスカレーターがめちゃくちゃ速い。ずっこけそうになった。乗りたきゃ乗れば、ぐらいな感じである。ちなみに切符ではなくて、トークンだった。コインみたいなやつで4フリヴニャ。

それから夜の独立広場。通称マイダン。この日は土曜日で、夜にはすでに目抜き通りは歩行者天国になっていた。いつも音楽とざわめきが聞こえてくる。

歩行者天国が楽しかったので、ホテルに着いた後でもう一回戻ろうかと思ってたんだけど異様に眠くて、あっという間に寝てしまった。太陽をさんさんと浴びると、身体はつかれるのだ。

Saturday, 1 August 2015

Kiev 1日目

部屋のテレビをつけたが、ニュースが3秒後に"TV service is too busy"という表示に切り替わり、何も見れなくなってしまった。やれやれ。昨日のことでも書こう。

7月31日の午後、無事にキエフ、ウクライナに着いた。イタリアとの時差は1時間。
フライトは結構長く感じた。3時間ぐらいあっという間だと思っていたのだが、機内サービスも特にないし、席は狭いしで、あっという間とはいかなかった。使用したのはウクライナ航空PS 306。
しかしよくしゃべる乗客たちだった。イタリア人とウクライナ人どっちが多いのかは分からないけど、着陸時には拍手が起きた。
空港に着いて最初の印象は、結構きれいということです。つまり、看板が壊れたり床が汚れたりしていなくて、清潔感がある。ローマより断然整っている。
しかし、それと同時に暗い。電気が無いか、あるけどつけていない。東京と比べたら3分の1ぐらいの明るさではないかな。キリル文字とこの暗い雰囲気は、007シリーズの"From Russia with Love"を思い出す。柱の影からタチアナ・ロマノヴァが出てきそうだ。勝手なイメージ。

まずは空港内で両替をする。90ユーロが2088フリヴニャ。どこかに旅をする時に必ずおさえておきたいのが、空港からの移動手段だ。私にとってはもっとも緊張するし気を張る点でもある。今回は友人から言われたとおり、タクシーにしてみた。相場を聞いていたので、500フリヴニャと申し出た運転手は断った。

タクシーから見えるのは変な形の建物ばかり。無機質というべきか何というか。空気は、肌寒いくらい。長袖を持ってはいるものの、太陽ギンギラギンのイタリア国から来る人たちには簡単に切り替えられない湿度と気温だ。

外国について本や映像でたくさんのものが得られる。
けれど実際に異国の地を訪ねてみると、本や映像がそのうちのほんの数パーセントでしかないということに気づく。空気、におい、湿度、ざわめき、味。そういったものはやっぱり実際に行ってみないと全然分からないし、ネットでいくら見たって、分かったことにならない。
口より身体を動かせ、つべこべ言わずに行動に移せ、というのは、常日頃自分に言い聞かせていることでもある。言い訳するよりも実際にやってみること。
ウクライナなんて遠いと思っていたし、危ない国だと思っていた。だから自分が行くことになるとは思わなかった。でも、遠くて危ないと「思っていた」に過ぎない。実際に来てみて分かる。思っていたような危なさは無いし、遠くもなかった。

友達が「ローマより危なくないと思うよ」と言っていたが、事実だ。路上の物乞いもほとんどいないし、ドラッグやってる人もいない。まあ、1泊しかしてないから分からないけど。

イタリアにいると、自分のせいじゃなくてもいつの間にか権利が侵害されるという恐れに常にさらされている。銀行にお金を預けてもそれがちゃんと保たれているか心配だし、フライトの時間に間に合うように空港に行っても勝手に飛行機が飛んでっちゃう恐れがある。例えば昨日の場合だって、急いで搭乗ゲートに行ったら別のゲートに変更になってました、「ごめんね知らせてなくて」みたいなことも簡単に想像できた。実際にそうならなかったから良かったものの。

ホテルの窓からはこういう景色が見える↓ 
                    
独立広場。去年、ニュースで見た時は黒こげだったのに。(The Huffington Postから借りた画像↓)ここであの騒動が起きていたとは。今となってはにわかには信じがたいほど平和な広場である。
当時、私が今泊まっているホテルからスナイパーが人を撃って殺していたという話もあるらしい。確かに、スナイパーにとってこのホテルは完璧なロケーションにある。

夜はボルシチを食べた。サワークリームを入れると、思った以上に鮮やかなピンク色になった。とても美味しかった。それと、ちょうど村上春樹のエッセイで、シーザー・サラダについて読んだばかりだったのでシーザー・サラダをたのんでみた。鶏肉とベーコンが盛りだくさんという、スタンダードからは外れたものが出て来た。ちょっと村上さんに報告したくなった。美味しかったからよし◎
現在朝9時半。さて、散歩でもしてこよう。

"Quest'e' Italia!"

覚えているうちに今朝のことを。

10:55にホテルを出て、空港へ。シャトルバスですぐに到着。
ウクライナ行きのチェックインをしようと、カウンターに行ったらものすごい列ができていた。チェックインのゾーン(?)を飛び出している。チェックインだけにここまで列ができるのは見たことが無い。

なぜって、理由は明らかで、カウンターをたった2つしか開けていないから。さすがイタリアだ。仕方ないので並んでみたら、結果的に1時間以上待つ羽目に。列に並んでこれだけの時間を過ごしたことは無かった。

当然だが、並んでいるうちに搭乗時刻が迫ってくる。周りのイタリア人は文句を言い続けている。ひとつ、ビジネスクラス専用のカウンターがあったのだが、そこ担当のお兄ちゃんが昼食に去ろうとしていた。(このタイミングで!)

そこで後ろのシニョーラが一喝:

「ちょっと、これだけ並んでんだから、ビジネスクラスとか言わずにそこもエコノミーのために働いたらどうなの。これじゃ間に合わないのよ」

一緒に昼食に行く予定(らしい)の職員2人が"Lo sappiamo, lo sappiamo (分かってますよ)" それから「まあ、飛行機は待ってくれるから、そんな心配しないで」

これが火に油を注ぎ、シニョーラもっと怒る。そして最後には"BUON PRANZO!(よい昼食を)"と皮肉を叫ぶ。

そして最後に必ず:
"Quest'e' Italia." (これがイタリア)

今朝のニュースでも、それからきょうのホテルの受付も、いつもみんなこのセリフを言う。「これがイタリアだから」。肩をすくめる動作までみんないっしょだ。

ただ、私はそのセリフに本当の諦めのようなものは感じなくて、むしろイタリア人であることに誇りを持っている感じがするし、「これまでも、そしてこれからも」イタリアがイタリアでありつづけることの宣言のようにも聞こえる。愛嬌のひとつなのだ。イタリア人これだから、許してね、みたいな。

そして結局世の中は結局イタリア人を妬みながらも、どこかでは羨んでいる。

しかし、これだけの列を目の前にしながら、2つしか開けず、しかも自分たちの昼食を優先するのである。しかも作業自体も超ゆっくり進む。進んでるか進んでないか分からないぐらいのスピードで進む。これは時間がかかるわけだ。

なんとか間に合ったのでさくさく歩いてパスポート・コントロールとセキュリティ・チェックに向かったけど、どうやら私みたいに「あと20分で出発なのに間に合わない」と言っている人がほかにもいたようだ。

実際のところ、きょうの出発は1時間近く遅れた。滑走路も混雑しているのだ。

とくにこの時期はバカンスに旅立つ人が多い。(今朝のニュースでも、平均的なイタリア人がどれくらいの額を休暇に費やすか、をやっていた。)空港の混乱は当然予想される。いつものようにやっていてはさばききれないのだ。普段あれだけのんびりのイタリア人が、バカンス時期に対策に乗り出すかというと、到底そうするとは思えない。対策を取るとすれば…自分も休む、といったところだろうか。

逆に考えると、お盆の時期でもきちんと飛行機を飛ばす羽田空港はすごいなあと思った。日本人は偉いなあと言っているイタリアがそれを真似するかというと…答えは明らかだ。

"Quest'e' Italia"

イタリアの底力をさっそく見せつけられたのだった。

海水浴を比べる

 きょうだい家族と両親で海に行った。1時間半、車を運転してこんな良いところに着くとは素晴らしい環境だと思う。「これが東京だったら」と思わずにはいられないのは、どこに行っても同じだ。それは東京がひどいとか恵まれていないとかそういうことではなくて、人はだいたい自分の知っている環境と比...