Saturday 1 August 2015

"Quest'e' Italia!"

覚えているうちに今朝のことを。

10:55にホテルを出て、空港へ。シャトルバスですぐに到着。
ウクライナ行きのチェックインをしようと、カウンターに行ったらものすごい列ができていた。チェックインのゾーン(?)を飛び出している。チェックインだけにここまで列ができるのは見たことが無い。

なぜって、理由は明らかで、カウンターをたった2つしか開けていないから。さすがイタリアだ。仕方ないので並んでみたら、結果的に1時間以上待つ羽目に。列に並んでこれだけの時間を過ごしたことは無かった。

当然だが、並んでいるうちに搭乗時刻が迫ってくる。周りのイタリア人は文句を言い続けている。ひとつ、ビジネスクラス専用のカウンターがあったのだが、そこ担当のお兄ちゃんが昼食に去ろうとしていた。(このタイミングで!)

そこで後ろのシニョーラが一喝:

「ちょっと、これだけ並んでんだから、ビジネスクラスとか言わずにそこもエコノミーのために働いたらどうなの。これじゃ間に合わないのよ」

一緒に昼食に行く予定(らしい)の職員2人が"Lo sappiamo, lo sappiamo (分かってますよ)" それから「まあ、飛行機は待ってくれるから、そんな心配しないで」

これが火に油を注ぎ、シニョーラもっと怒る。そして最後には"BUON PRANZO!(よい昼食を)"と皮肉を叫ぶ。

そして最後に必ず:
"Quest'e' Italia." (これがイタリア)

今朝のニュースでも、それからきょうのホテルの受付も、いつもみんなこのセリフを言う。「これがイタリアだから」。肩をすくめる動作までみんないっしょだ。

ただ、私はそのセリフに本当の諦めのようなものは感じなくて、むしろイタリア人であることに誇りを持っている感じがするし、「これまでも、そしてこれからも」イタリアがイタリアでありつづけることの宣言のようにも聞こえる。愛嬌のひとつなのだ。イタリア人これだから、許してね、みたいな。

そして結局世の中は結局イタリア人を妬みながらも、どこかでは羨んでいる。

しかし、これだけの列を目の前にしながら、2つしか開けず、しかも自分たちの昼食を優先するのである。しかも作業自体も超ゆっくり進む。進んでるか進んでないか分からないぐらいのスピードで進む。これは時間がかかるわけだ。

なんとか間に合ったのでさくさく歩いてパスポート・コントロールとセキュリティ・チェックに向かったけど、どうやら私みたいに「あと20分で出発なのに間に合わない」と言っている人がほかにもいたようだ。

実際のところ、きょうの出発は1時間近く遅れた。滑走路も混雑しているのだ。

とくにこの時期はバカンスに旅立つ人が多い。(今朝のニュースでも、平均的なイタリア人がどれくらいの額を休暇に費やすか、をやっていた。)空港の混乱は当然予想される。いつものようにやっていてはさばききれないのだ。普段あれだけのんびりのイタリア人が、バカンス時期に対策に乗り出すかというと、到底そうするとは思えない。対策を取るとすれば…自分も休む、といったところだろうか。

逆に考えると、お盆の時期でもきちんと飛行機を飛ばす羽田空港はすごいなあと思った。日本人は偉いなあと言っているイタリアがそれを真似するかというと…答えは明らかだ。

"Quest'e' Italia"

イタリアの底力をさっそく見せつけられたのだった。

ありがとうとカルボナーラ

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