Sunday 2 August 2015

Kiev 2日目

8月2日。

キエフは本当にのんびりしていて、昨日も書いたけど、ローマより全然危なくない。ぐうたらさとか、(いい意味での)やる気のなさとか、そういうのはセルビアに行ったときの感じに少し似ている。

今朝はホテル周辺を散歩した。建物がとにかく大きい。旧ソ連のころはこういう建物がたくさん作られたんだろうと思う。なんというか、自分が小さくなったような感じ。靖国神社の鳥居のことを「やたら大きくて、ゲームの世界に入ったみたいだよ」と友達が以前言っていたことがあるが、それに少し似ているかもしれない。必要以上にでかい。1.5倍ぐらい?建物の大きさで力を示したのだろうか。

2014年の革命で命を落とした人たちを追悼する十字架。歩いているとたくさんあるけどここは特に集まっていた。ごく最近のことだと思うと余計に生々しく感じる。

この緑の看板はあっちこっちで目にするので、きっとチェーンのギョーザ屋さんだろうと思っていた。
それで、後から友人に聞いたら「すしや」って書いてあるらしい。ゆるキャラ的なものがマークになっているあたりがいかにも日本っぽい。「R」をひっくり返したやつは「ヤ」と読み、しかも「私」という意味もある、というのは少し勉強して身に付いたことだったので、「すしや、って書いてある」と聞いた時は嬉しかった。
街角のグラフィティ・アート。

歩いていたら美術館が現れた。
11時からということだったので、少し待ってから入ってみた。お客さんはほとんどいないのだが、各展示室に女性が1人か2人ずつ座っていて、おしゃべりしたり本を読んだりしている。2階にあった版画がとても興味深かった。Jacques Hnizdovskyという人。絵はがきでも欲しかったけど、ミュージアム・ショップなどというものは存在しない。

お昼にヴァレニキという、餃子みたいなやつを食べた。中にはザワークラウトが入っている。
あと、クラムチャウダーみたいなスープ。パンの中に入っている。取っ手がついた形をしていて、かわいい。よく決壊しないなと感心した。今のところ、ウクライナの食事は美味しい。

バスに乗ってペチェルースカ修道院を見に行く。
世界遺産だ。敷地はとにかく広い。テーマパークかと思ったぐらい。


カトリックとの違いは何だろうか。もちろん建物の形は違うけど。金色が多く使われているところ?カトリックのほうが装飾その他に繊細さがあるような気もした。 

写真は撮れなかったけど、地下墓地というのが興味深かった。信者でもないのにこんなところに入っちゃっていいんだろうか?いいんですね、たぶん。寛容なのかな。日本だって、清水寺には仏教を信じる人しか入っちゃいけませんみたいなのは無い。そんなことしたら本当に入れる人はごくわずかになってしまう。

いずれにせよ、スカーフをまいて入らなければいけない。偶然、日よけのために持っていたスカーフが役に立った。それで入ろうとしたら、まだだめで、女性はスカートの形をしたものをはいていないとだめだそうだ。つまり、ズボン系のものはだめ。私はジーンズはいてたわけです。だから次は緑色の布を渡された。エプロン状になっている。もはやスタバの店員である。

中に入ると、信者がろうそくの明かりだけを便りに暗くて狭くて天井の低いところを通って行く。そこにあるのはなんとミイラ。しかも顔の部分に布をかぶせてあるから余計に気になってしまうし気味悪い感じがしてしまう。

ローマでカタコンベにいったことがあるけど、カタコンベとはそもそも成り立ちから異なるようだ。でも、雰囲気は少し似ていたかな。じめっとした暗い地下、という店で。

で、この日一番の衝撃が帰りに乗ったのメトロ。つまり地下鉄なのだが、めちゃくちゃ深いところにある。大江戸線どころではない。友人曰く旧ソ連時代の防空壕も兼ねていたらしい。どれくらい深いんだろう?いっこうに着かないし、深いところに入って行くわけだから、ただ長い道が続くのとは違って、先の見えない不安のようなものにかられる。
 しかもエスカレーターがめちゃくちゃ速い。ずっこけそうになった。乗りたきゃ乗れば、ぐらいな感じである。ちなみに切符ではなくて、トークンだった。コインみたいなやつで4フリヴニャ。

それから夜の独立広場。通称マイダン。この日は土曜日で、夜にはすでに目抜き通りは歩行者天国になっていた。いつも音楽とざわめきが聞こえてくる。

歩行者天国が楽しかったので、ホテルに着いた後でもう一回戻ろうかと思ってたんだけど異様に眠くて、あっという間に寝てしまった。太陽をさんさんと浴びると、身体はつかれるのだ。

ありがとうとカルボナーラ

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