Wednesday 19 August 2015

18.8 空港にてメモ

今からイタリアを出てルフトハンザでフランクフルトを経由して日本に帰ります。これからドイツの管理下(?)に入ると思うと少し安心する。だけど同時に寂しいですね。

目があった瞬間に、目が何かを語りだす、そういう人たちの中にいると、やっぱり日本はだいぶ物足りない気がする。すべてがきちんと機能して何も困らないんだけど。
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イタリアを出てフランクフルトに着いた。すでに寂しい。イタリア語が聞こえてこないというだけで、ああ別の国に来てしまったのだなという感じがする。コーヒーのにおいもしないし、空港に清潔感があるし。
ローマ→フランクフルト便で、ビーチ・サッカーのチームと一緒になった。イタリア代表らしい。ユニフォームを着ている。

あれだけ生命力にあふれた若いイタリア人男性が20人もいると突如その場の空気が染められる。分かる人は分かると思う。イタリア人じゃなくてもそうですよね、たとえばアメフト選手が20人同じ飛行機に乗ってたら、その場の雰囲気が支配されるはず。それがよりによってイタリア人だから、例えるなら小学(中学じゃなくて)2年生ぐらいの少年がそのまま大きくなったような感じ。

私はちょうどその群れの中に座っていたのだが、本当にこの人たちじっとしてない。少しも黙らない。CAにやたら話しかける。
仲間にまず聞く:「おい、気温は何度ですかって何て言うの」「ハウ・メニ・ディグリーズだよ」「オッケ」
CAに聞く「ハウ・メニ・ディグリーズ?」
20度ぐらいです、と答えられてすぐに、向こうの席の仲間に「おい20度だってよー!」と話す。

この人たち、すごい距離で会話をするのだ。スーパーでもそう。レジの人たちが、レジ同士で会話をしている。それぞれに数メートルずつ離れているのに。


さらに、サッカー選手、ずっと立ってうろうろしている。ついにCAが「座って下さい」と言う。

私の隣の選手がパニーノを食べだしたのだが、パンくずがぼろぼろこぼれる。
床がくずだらけになった。

この人たち、まったく周りの迷惑を考えてはいない。…というのも、周りもみんなこんな感じだから!イタリアでは何よりも自由気ままに、自分が心地よく過ごすことを優先して考える。その結果、こういうことになる。

私は興味を持って彼らの生態を眺めているので特に迷惑だとは感じない。むしろ、見ているだけでこんなに面白い人たちもなかなかいないなと思う。
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で、今日本に戻ってきました。日付変わって19日。やっぱり寂しい。人と目が合うことが無いし、なんかこう、素敵なことが起こりそうな予感が無い。うまく言えないけど、そういうのが道に転がってない。人が、人を見ていない。道の照明もギンギラギンで雰囲気のふの字もない。素敵な服を着て歩いても、街に自分が合わない。逆か。自分に街が合わない。素敵な服を引き立たせてくれる街には、無意識なようで計算されて作られた統一感のもとに、ある空気がうまれる。壁、屋根の色、窓の形、それから何よりも、照明。

[ヴェルヴェデーレから降りるところ]

それにしても日本は静かだと思う。今になってようやく分かった。成田に戻って来たときの、最初の印象をまとめる言葉は「静か」。そういう時間帯に着くというのもあるかもしれないけど、相対的に、住んでいる人たちの口数が少ないから。電子音だけはやたらよく聞こえるけど。

ありがとうとカルボナーラ

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