8月3日の記録をもう少し。
・朝7:30ごろホテルを出て空港へ。(ホテルのロビー。やっぱりタチアナ・ロマノヴァか赤毛のスパイが出てきそうな気がする。↓)
・10:00ごろ、ウクライナ航空PS305便にて出国。
・12:00ごろローマに着く。飛行時間が3時間と書いてあるのに12時着なんておかしいなあ、いい加減だなあウクライナ航空は、と思っていたら、時差があるだけだった。
・1時ごろには空港を出る。入国審査も、荷物の受け取りもかなりスムーズにいった。
・電車の切符を買うのに多少の混乱が。結局15:48のItaloに乗ることになった。それまでどうしようもなかったので、せっかくだからと思ってテルミニを出た。
・14:00ごろ、piazza indipendenzaのピッツェリアでお昼。特別美味しいわけでもないが、私が学生の頃から知っているレストランなので、なんとなく入りやすい。10年経っても変わらない店主。あっちは私のこと覚えてないだろうけど。ピツァ・カプリチョーザを頼んだ。
・テルミニに戻り、電車が10分遅れということを知る。仕方ない。
・列車の発着を電光掲示板で見るのって旅人っぽくていいですよね。東京だと無い。
・結局15:58にテルミニを出る。
・17:27フィレンツェ着。
何年ぶりだろう?感慨深かったけど、思ったより普通だった。つまり、久しぶりだからと言って感動して言葉を失ったり、涙したりするようなことはなかった。
最初の感想は、日差しが強すぎてびっくり、ということ。刺すような感じ。痛い。肌が焦げる。
この窓の日よけの色を見ると、フィレンツェに来た感じがする。
地図がなくてもスタスタ歩ける。感覚的に地理が身に付いている。規模的にもそういう街だ。
私が来たのが何年ぶりであっても、周辺のお店がいくら入れ替わっていても、ドゥオモは相変わらず、どーんとでかくて、何も変わっていなかった。いつも思うんだけど、焦ってるのは人間だけなのだ。時間はみんなに平等にあって、変わらずに流れて行く。来たり去ったり、産まれたり死んだり、せかせか動いているのは人間だけである。
過去の偉人たちに見守られて、街は、少しも動じず存在し続ける。ただ、太陽が昇っては沈み、季節が巡っている、それだけのこと。歴史は寛容にそれらを見守り続けている。
キエフとローマとフィレンツェという3つの離れた都市を1日にちゃんと移動できるのかどうか不安だったのだが結果的に時間にも余裕を持って移動することができた。
お父さんの回復、12月の疲れ
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