コミュニケーションたるもの、について考える機会が多い。仕事柄、というのもあろうし、人と話すのが元来好きなためでもある。だから老若男女を問わず色々な友達に会う。また、幸か不幸か、たちまちのうちにご機嫌斜めになるボーイフレンドがおり、その対処方法に頭を悩ませているうちにだいぶ自分は大人になったような気がしている。
口論なりケンカなり、いわゆる「ぎくしゃく」にどう対処するか。最近これがやっと分かってきた気がする。
「謝ったらね、そこで自分の非を認めたことになるんだよ。だからダメ謝っちゃ」と、かつて17歳の女の子に、びし、と言われたことがある。なるほどそうかもしれない、と思った。しかし、その当時、結果的に私は「謝る」という方向に出た。
謝ったら本当に負けなのか。
私はそうじゃない気がしている。むしろ、謝ったほうが勝ちなんじゃないか、と思う。相手の言い分が、いくら意味不明であったとしても「ああ、そういうこともあるかな」とか「よくわからんけど、自分にも非があったのかもな」と、なるべく早く思えたほうが、断然いい。「でも自分は絶対そんなこと言ってないし…」とか、意地を張ったり、「よし冷静に、論理的に考えてみよう。やっぱり私は悪くない」と思っても、そして本当に自分に非は無かったとしても、だ。とりあえず気持ちにゆとりを持たせてみると、相手の気持ちが手に取るように分かる。
そして、分かっただけではダメなのだ。まだ、ケンカに勝ったことにはならない。「ごめんね」の一言が要る。それが出たらもう、勝ったも同然である。ただし、結構これって難しいと思う。ごめん、ってしょっちゅう口にしている一言であるはずなのに、肝心なときにはなかなか出てこない。
以前は、絶対に、自分から謝れる人間ではなかった。しかし、段々これができるようになってきた。
そうなったきっかけと言っても良い一言がある。それはどのようなものか。
親戚のおじちゃんが言った。
「どげん相手をむかつくと思ってもな、次の日の朝、"おはよう!"って元気に挨拶してみー。学校行ったら、まるでなにごともなかったかのごと。したら、勝ちたい。もう相手は、なんも言えんやろ。勝った、て思ってよか」
まだ私は小学生だったと思う。どういう流れからこういう話になったのかはまったく覚えていないが、その部分だけよく覚えている。おじちゃんは、小学校の先生をしていたので、まるで生徒に諭すように話していた。そして歳月を経た今となって結構この言葉に助けられていることが多い。仕事でも、人間関係でも。次の日の朝、おはよう言えたもんが勝ち。
謝るのは負けなのか、という前述の話題とはややずれる気もするが、やはり「ここは自分のほうが、いっちょ、大人ってことで…」と、思い切ってふるまってしまうことが、"粋"なのである。プライドを捨てて、思い切って。プライドを崩すって困難なんですよね。少なくとも私の場合は。だんだんできるようになってきました。
やっぱりそういうときは尊敬する祖母や父やおじや友人を思い出すのです。あの人だったらどうするかな、と。すると雲の上から、ぼやーっと言葉が降りてくるんですね。「どがんでんよかたい」「あやまっていっちょきんしゃい」というおばあちゃんの声が、まず。
と、昨夜ひとつ、ささいな口論に"勝利"をおさめながら、思ったのでした。どがんでんよかたい。
Thursday, 8 January 2009
海に行った
肌の話の次は、海です。 月曜に行くはずが、前日の夜が遅かったせいで起きたのが遅く、では明日こそ、という話だったはずが、案の定この日(13日火曜)も男たちは10時ごろ起きてきた。(ちなみに私は毎日6時〜7時には起きています。)諦めそうになっていたので、遅くても行こうと私は言った。と...
-
きょうは代休。お昼を食べにでかけたら記録に値する興味深い出来事があった。赤ちゃん連れの多いオーガニックカフェ。昼はビュッフェ形式。私が案内されたのは一番奥の席。両隣にはすでに客がいて食事をしていた。二組とも、女の赤ちゃんを連れた母娘ペア。つまり、女3世代ということ。平日の客のな...
-
みてきました。雨だし、平日休みだし、いましかない!と思った。やっと行けた。子の友達がこのまえ見に行ってて、遊びにきたときに感想をどんどんしゃべろうとするので、それを聞くより先に見に行ったほうがいいなと思った。 正直なところ前作のほうが「すげー」だった。が、今回の目標は今までの話...
-
7時半ごろ、子といっしょに投票に行ってきた。てくてく歩いて、まあ暑いけど、耐えられる程度。500円渡して、コンビニで何買ってきても良いよというと、486円のフルーツサンドを買ってきた。高い。涼しいベンチで食べて帰ってきた。夏の朝の、ちょうど良い散歩。青空に、筆で書いたような、雲が...