Thursday 8 January 2009

あやまっていっちょきんしゃい

コミュニケーションたるもの、について考える機会が多い。仕事柄、というのもあろうし、人と話すのが元来好きなためでもある。だから老若男女を問わず色々な友達に会う。また、幸か不幸か、たちまちのうちにご機嫌斜めになるボーイフレンドがおり、その対処方法に頭を悩ませているうちにだいぶ自分は大人になったような気がしている。

口論なりケンカなり、いわゆる「ぎくしゃく」にどう対処するか。最近これがやっと分かってきた気がする。

「謝ったらね、そこで自分の非を認めたことになるんだよ。だからダメ謝っちゃ」と、かつて17歳の女の子に、びし、と言われたことがある。なるほどそうかもしれない、と思った。しかし、その当時、結果的に私は「謝る」という方向に出た。

謝ったら本当に負けなのか。

私はそうじゃない気がしている。むしろ、謝ったほうが勝ちなんじゃないか、と思う。相手の言い分が、いくら意味不明であったとしても「ああ、そういうこともあるかな」とか「よくわからんけど、自分にも非があったのかもな」と、なるべく早く思えたほうが、断然いい。「でも自分は絶対そんなこと言ってないし…」とか、意地を張ったり、「よし冷静に、論理的に考えてみよう。やっぱり私は悪くない」と思っても、そして本当に自分に非は無かったとしても、だ。とりあえず気持ちにゆとりを持たせてみると、相手の気持ちが手に取るように分かる。

そして、分かっただけではダメなのだ。まだ、ケンカに勝ったことにはならない。「ごめんね」の一言が要る。それが出たらもう、勝ったも同然である。ただし、結構これって難しいと思う。ごめん、ってしょっちゅう口にしている一言であるはずなのに、肝心なときにはなかなか出てこない。

以前は、絶対に、自分から謝れる人間ではなかった。しかし、段々これができるようになってきた。

そうなったきっかけと言っても良い一言がある。それはどのようなものか。


親戚のおじちゃんが言った。
「どげん相手をむかつくと思ってもな、次の日の朝、"おはよう!"って元気に挨拶してみー。学校行ったら、まるでなにごともなかったかのごと。したら、勝ちたい。もう相手は、なんも言えんやろ。勝った、て思ってよか」

まだ私は小学生だったと思う。どういう流れからこういう話になったのかはまったく覚えていないが、その部分だけよく覚えている。おじちゃんは、小学校の先生をしていたので、まるで生徒に諭すように話していた。そして歳月を経た今となって結構この言葉に助けられていることが多い。仕事でも、人間関係でも。次の日の朝、おはよう言えたもんが勝ち。


謝るのは負けなのか、という前述の話題とはややずれる気もするが、やはり「ここは自分のほうが、いっちょ、大人ってことで…」と、思い切ってふるまってしまうことが、"粋"なのである。プライドを捨てて、思い切って。プライドを崩すって困難なんですよね。少なくとも私の場合は。だんだんできるようになってきました。

やっぱりそういうときは尊敬する祖母や父やおじや友人を思い出すのです。あの人だったらどうするかな、と。すると雲の上から、ぼやーっと言葉が降りてくるんですね。「どがんでんよかたい」「あやまっていっちょきんしゃい」というおばあちゃんの声が、まず。

と、昨夜ひとつ、ささいな口論に"勝利"をおさめながら、思ったのでした。どがんでんよかたい。

ありがとうとカルボナーラ

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