Sunday 4 January 2009

悶々とすること


東京に戻ってきた。戻ってきた当日は、家族と離れて急に一人になって、とても寂しい気がした。三日くらいの滞在であれば、東京に戻ってきてこういう気持ちにはならない。今回は一週間も滞在したからだ。いつまでもダラダラしたいのは山々だったが、早く現実に戻る必要があった。現実、と言ってもそれは仕事に限ったことではない。

部屋に戻って、1人にならなければ。
自炊をせねば。勉強せねば。
身体を鍛えなおさねば。
1人で悶々と思索にふけらねば。

やることがたくさんある。とにかく、私は自分で生活をしなければいけなかった。
一週間、自分自身の身体を放置した状態だったので、色々とメンテナンスをするのに時間がかかった。爪、肌、眉、手、脚…

体重は変わらずとも、実家にいるときは表情が明らかに違う。日々に、緊張感が無いからである。早く日常の顔に戻さなければいけない。

昨日は、日本に一時帰国中の友人と会った。初売にでかけた。午前11時ごろリヴァプールから電話が来た。途轍もなく驚いた。

今日は、プールに行った。今日も1km以上泳いだ。初めて行ったときには、道が分からずに迷ったこのプールだが、なんと家から自転車5分だということが分かった。近い。

話は戻って、1人で悶々と思索にふけるのは、良いことだ。この時間ばかりが多すぎると、多少苦しくもある。ただ、その時間を避けちゃいけないと思うんだよね。意外と色々なことが発見できるし。

はっきり言ってここ最近、私はその時間を避けがちだ。怖がっている。1人になると寂しくて、悶々とするのが嫌で、極力誰かと一緒に居ようとする。

悶々とすること。

それは、悩むこと、とはまた別である。悩みというほど、明確な、悩むべき対象は無い。もっと、輪郭も、線路もない、もやもやとしたものである。いわゆる堂々巡りに似ているかもしれない。自分自身と向き合おうとする作業はたくさんある。その中の一つだ。ただし程度があまり重くない。つまり、頭を抱えるほどでもない。しかし時間は長い。コンスタントに、頭にひっかかる、何か。

たいていの場合その「悶々」はネガティブな方向に作用する。比較的ポジティブといわれる人でもやっぱり少しはネガティブ方向に考えを運ぶ(と思う)。「ああだめだおれって」とか「私どうせモテないから」とか。誰からも、何も、言われていないというのに、自分ひとりでどんどん、勝手に、決め付けていく。人間の思考って恐ろしいと思う。ひどい場合はそれで自分の命を絶ったりするわけだ。

その人がネガティブか、ポジティブか、というのは、結局その時間がどれくらい続くか、ではないだろうか。いわゆる「立ち直る」までの時間である。楽天家と言われている人だって一度は落ち込むのだ。ただ、立ち直るのが早いかどうかの問題だ。

そして(これが一番言いたいことなのだが)、ネガティブから抜け出す瞬間、人間のみせるパワーには凄いものがあると思う。仕事で失敗する、失恋する、試験に落ちる、友達に裏切られるetc.. これらは紛れも無く、とても辛いことだ。しかしそのあと「あのヤロー」と思った、その瞬間のパワーが凄い。何でもできそうな気がする。(私の場合は、創作意欲につながる場合が多い)。新しい何かを始めようとするにはちょうど良い勢いがつく。

いや、こんなことを書いているからと言って別に失恋したわけでも失職したわけでも無いです。悶々とするのは、案外、悪いことではない、ということ。以上。

情熱大陸の立川談春が面白いのでちょっとこの辺できります。

ありがとうとカルボナーラ

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