Sunday 2 August 2009

「彼女が花子さんです」

プールサイドでの日々が続いている。
ぶよぶよ太ったアメリカ人のおばさんの太ももとか、
生真面目に泳ぎ続けるイギリス人(ぽい)のおじさんとか、
ひっきりなしに回転飛び込みをするスペイン人の兄弟や、
もう少し周囲を見てちょうだいよと言いたくなるキャッチボールに夢中のティーンエイジャーたちや、
キスし始めたらとまらないフランス人カップル

などなどを眺めながら、1日に5時間くらいは太陽を浴びてゴロゴロしている。

1Q84の第一巻を半分以上読み終えているのだが、読み進めるのがもったいなくなってしまって、ちょっと遠慮気味に読んでいるつもり。スピードを落としているつもり。だけど面白い。読みすすめるほどにはまっていく。村上さん以外読む気にならない、(なれない)と、やっぱりそう思う。そういうときはあえて本を閉じてちょっと泳いだり昨日の日記を書いたりする。

スピーカーから流れるのは、チープな印象が否めないイタリアの歌謡曲。結構な音量で流れているので、うまい具合に集中力を乱してくれる。日本の演歌に似たような感じのするときがある。食事とか、ファッションとか、いろいろな点で個人的にイタリアは好きだけど、歌謡曲だけはあまり受け入れきれてない。ガツンと心に響いてくることがあまりない。どうしてだろう。言葉がわかっちゃうから?いや、それだったら英語も日本語も該当するはずだ。なぜだか、イタリアの歌謡曲は、古くさいような田舎っぽいような感じがしてしまう。全部が全部じゃないけど。

プールではときどきそれが子守唄代わりになって、浅い眠りに落ちる。ごく浅い眠り。

昨日、プールで35ユーロ拾った。今まで拾ったなかでは最高額である。受付に言ったって誰も「じゃあ預かっときます」なんてことは言わない。「マジか」「よくやった」とむしろ褒められた。

今日はそれを使って豪華にお昼を食べることにしている。なんてったって日曜日だ。

今のところ何も買い物をしていない。セール中であったにもかかわらず、何も買っていない。実際、ここ1,2年はそんな感じだ。最後の最後になって、「とりあえず」ということでコーヒーとパスタを買って帰る。服も靴もかばんも買わない。別にそれを目的としていないから、購買欲もほとんどわかない。

話は変わって:

ここではよく、新しく会う人に紹介をされる。つまり、初めて会った瞬間に、そのお互いを知っている第三者が「彼は太郎で、彼女は花子」みたいに、立ち会って紹介をする。そしてお互いに握手して「はじめまして」となってお互いの紹介終了。

日本ではこの流れがあまり定着していないと思う。同じ場所にいるというのに、見知らぬ者同士、紹介をされないままそわそわしている、という場合が少なくない。日本人だからしょうがないんだろうか。間にいる人がお互いを紹介してくれるだけでだいぶその場の雰囲気が変わると思う。紹介してその後どのくらい会話をするのかはその当人たち次第だ。そして紹介しあうタイミングは、会った最初の瞬間であるべきだ。それを逃すとなんだかおかしな感じになる。気まずいような、へんなかんじ。
自分が知っている二者を初めてあわせるときは、紹介をする。あるいは紹介をされなくても、自分から名乗る。その場の一員としての、マナーなのだ。黙っているとまるで他人みたいで「ああ、やっぱり日本人だからねー」と言われてしまう。逆にそういうの上手な人を見ると、気持ちがいい。社交的である最低条件だし、まず、第一印象がとても良い。

いいことも悪いことも、日本人が彼らから学ぶことは山ほどある。その中の、ひとつ。

さて、プール行ってこよう。

万年筆、外出

なくなったと思っていた万年筆が職場の引き出しから出てきた。一本千円のものなので、なくなってもあきらめはつくのだが少し気になっていたのは事実だった。中のインクは空っぽだが一体何色を入れていたのかさえ判然としない状況だった。家に連れて帰って洗うことにした。  翌朝の万年筆カートリッジ...