そういうものだと思っていた。ふでばこというのはあって当然のものだと。何しろ、幼稚園を出てすぐに与えられるのだ。それ以降、10年にわたりふでばことの生活は続く。
それがあるとき「ふでばこなんて要らないのでは?」と思った。
重要なのは箱ではなく、ペンである。ペンさえあればよいのだ。
そしてなるべくシンプルに暮らしたかった。あれやこれや、いろんな色は必要ないことに気づいた。そういった中高生が好む文房具類に興味が薄れてきた時期でもあったのかもしれない。
以降、持ち歩くのは黒ボールペン1本になった。時々、赤ボールペンや蛍光マーカーもあったが、増えてもそのくらいだったし、たったの3本であれば、ケースに入れる必要は無かった。シャーペンも使わなかったので、消しゴムすら必要なかった。
そんな感じでふでばこ人生と、ボールペン1本人生をそれぞれ10年ずつ続けてきたのだが、ここへ来て最近また考え始めた。つまり、ふでばこが必要なのではないか、と。
というのも最近、お気に入りのペンを1本なくしてしまったのだ。
実は今年に入ってからとある勉強を始め、筆記用具を持ち運ぶ必要が出てきた。そんな時、ペンをなくした。しかもお気に入りの。(そもそもペンというのは失くすようにできているのかもしれない。たとえば髪ゴムや、ピンのように。)
お気に入りといっても100円出せばまた買えるのだからそんなに落ち込まなくてもよい。さらに、地球上のどこかには必ず存在しているのだから、必死になって探せば見つかる可能性は無くも無いし、それほどその存在を懐かしまなくてもよいはずだ。
ただ、ずっと使っていたものだったので愛着ってものがあったんだよね…
あれがもしふでばこに入っていたら、絶対に失くさなかっただろう。
そう思ってから、ふでばこ使おうかしらと思い始めたのだ。
どうやら10年周期でふでばこ使用機会は巡ってくるらしい。
ちなみに、失くしたペンは「Jetstream」です。使っている人、多いと思う。あれ、革命的に書きやすいですから。右腕にかかる負担も少ない。まさに「ストリーム」という感じ。あれを初めて使ったときには、「参りました、ジャパン・テクノロジー!」と思いました。