Sunday 19 June 2016

ギリシャ神話、聖書、西洋絵画

あっという間に六月も終わろうとしている。早い。だいたい落ち着いて過ごせているのだが、結局は同じことを繰り返しているだけである。つまり、良いことだ。

昨日図書館で「芸術新潮」という雑誌を手に取った。ツイッターか何かで「今月号面白い」という情報を得てから、読みたいとは思っていた。今月号は「仁義なき聖書ものがたり」というテーマで主に旧約聖書について西洋絵画とともに解説されている。

何を隠そう、この手の読み物、大好きなのです私。小さいころから、たぶん図書館では料理本と同じくらい魅力的だった。小中学生用にわかりやすく図解されている絵画の本など。

小中学生ではなくなった今も、小中学生用があるとどうしても手にとってしまう。で、芸術新潮は大人用であるわけだが、これまた面白かった。読み始めると止まらず、結局全部で4時間ずっと図書館にいたうちの2時間はこの本に費やしたと思う。

なんだ芸術新潮ってこんなに面白かったのかよ、と思いながらバックナンバーを調べてみると、もういてもたってもいられないくらいに魅力的なナンバーが並ぶ。まず「ギリシャ神話」を探し出して、さっそく借りた。

昨日の夜から何度も読んでいる。今朝も起きてすぐに、横になって読み始めた。そもそも西洋絵画が好きなのだが、西洋絵画は聖書やギリシャ神話と切っても切れない縁にある。

で、ギリシャ神話も好きなのだ。小学生のころ、初めてギリシャ神話を読んだときのことを覚えている。あの本は誕生日プレゼントだったかなんだったか忘れたけど、とにかく手から離れなかった。なかば中毒気味に読みふけった。「駄目だ、宿題をしなければ」と我に返り、本を閉じてランドセルの下に隠すか何かして宿題をやりはじめたがまったく手に付かず、横目であのオレンジ色の厚い本をチラっと見る…を繰り返した。

それだけもともと好きだったのなら今さら新しく知ることなんてないのではないか、と思うかもしれないがそうはいかない。読むたびに必ず新しいことがあるし、ギリシャ神話も聖書も西洋絵画も、これでもかというほど奥深い。どれだけ見ても、読んでも飽きない。

紀元前からのお話なのに、とにかく人間くさく、どうしようもなくて、根本的にはみんな今と何も変わっちゃいないんだなと思う。

話は少し変わるがやはり人間は物語性というものにどうしようもなく魅かれるのだと思う。人の話を聞くにしても、そこにストーリーがあるかどうかで引き込まれ方はまったく変わってくる。よいプレゼンテーションにしても、デリバリーの巧さ以上に、ストーリー性がものを言う。ひとつの絵を見ても、その絵にどうやら背景があるらしいと知ると、どうしてもそれを知りたくなるし、その絵の魅力は増す。
だから人に話をするときには、そこに物語性を持たせると良いんだろうな。

さて、ちょっと掃除してプール行って来ようかな。

ありがとうとカルボナーラ

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