Thursday, 26 June 2025

セールの思い出

 激しく怒る夢を見た。理由も覚えていないけどその相手が母だったり子だったりした、気がする。夢で怒ったり、走ったりすると、「届かない」感じが苦しい。スローモーションで動くベルトコンベアの上を、自分も無理やり同じスピードで走らされているような感じがする。声も主張も、届いていないのに自分だけがエネルギーを著しく消費しているような、そんな感じがする。

さて6月が終わろうとしていて、世の中はセールの時期が近づく。仕事を始めて1年目、世の中に「セール」というものが存在することを知ったのはおそらくこの時だったと思う。それまでお金もなかったので服や靴を買うのとは無縁だった。そして働き始めた年は、定期券内に新宿があって、帰り道にあらゆる店に立ち寄ることが可能だった。あの夏にいろんなものを買ったのを覚えている。給料が出るのも初めてだったのでひたすら嬉しかった。「こんなに買っていいのかな」と思いながらおそるおそる1万円のポロシャツを買ったりした。

それから20年近くが経った今、当時に買った「いいもの」をまだ使っている。たとえばラコステの水着はいまだに状態もよく、夏の休暇先には必ず持って行く。リネンのワンピースも、なんだかんだでずっと使っている。あの選択は正しかったのだ。

欲しいなと思っていた綿のシャツがきのうの夜9時からセール、ということを、きのうの朝知った。9時というのは寝る時間なので、翌朝(つまりきょう)に見てみて、買おう、と思っていたのだが、今朝どう検索してもない。もしかしてと思ったら売り切れていた。考えが甘かった。諦めるしかない。

話変わって、昨日の朝の土砂降りにはやられた。あと5分で職場に着く、というときに降り始めた。途中でカッパを着込んで正解だった。

Wednesday, 25 June 2025

よく眠れた、と健康診断

 エアコンをつけっぱなしで寝た。とてもよく寝ることができた。5時に起きたときに重い感じもしないし、5時前に起きることもなかった。これが理想。これが毎日達成されるわけではない。暑い季節はなおさら難しい。だから1日の照準を「夜よく眠る」になるべく絞って過ごすようにしている。

最近新しくアイマスクを買った。高いものでもないので、試しにと思って買ったがこれが正解だった。真っ暗になるけど目への圧迫もない。

先日、職場の健康診断があった。これで病気が見つかるとは決して思っていないので、必要な検診は自分で受けている。職場のは、義務なのでやるだけ。職場に来ているクリニックの人たちもかなり「テキトー」にやっている。それで別に構わない。仕事と仕事の合間に済ませるので、「なるべく短時間で」済むことが大事だ。実際、15分くらいで終わった。

体重はずっと変わっていない。24歳くらいから、妊娠中をのぞいてずっと60kg代だ。少しの上がり下がりはある。ホルモンの影響で62kgくらいまで増え、浮腫むことはある。これが食生活や運動不足のせいではないとわかっている。自然と60kg代に戻る。それでも年間平均をとったら、きっとすこーしずつは増えているのかもしれない。体型は少しずつ変わってきている。

先日、同年代同僚と話していたら、こどもを産む前よりも14kgくらい太った、と言っていた。驚いたけど、これは結構普通のことなのかもしれない。

さ、きょうもがんばろう。

Tuesday, 24 June 2025

『問題は、躁なんです 正常と異常のあいだ』


 土曜日は朝から仕事で、しかし時間があったのでずっと読書をした。春日武彦の『問題は、躁なんです 正常と異常のあいだ』を読んでしまった。久しぶりに1冊いっきに読み終えた。同僚に精神的な不調に関する本を借りたことがあり、そのタイトルはなんだったか忘れたけど躁鬱病についての章をこの医師が書いていたのを覚えていた。先日図書館で見た時にこれは面白いかもと思って手に取った。

「うつ」のほうばかりが取り沙汰されるが、「躁」については問題とされることは少なく、傍目から見ても「元気があってよろしい」となってしまう場合が多い、というあたりからはじまる。具体的な対処法が書いてあるわけではないが、歴史において、おそらく躁の人が起こした事件や問題について具体的に取り上げられていた。内容も面白いが文の書き方が面白い。ユーモアがある。読んでいて引き込まれた。これは笑っていいのかどうか、と思う箇所がいくつもある。不謹慎だと思ったり深刻にとらえる人は多いだろうけどわたしは笑う。ユーモアだ。

こういうのを読んでいると「問題を抱えている人たちはたいへんだな」と思ってしまうが、自分もいつでもそうなりうるということを忘れてはいけない。昨年、村上春樹の『アンダーグラウンド』を読んで思った。その箇所を具体的には覚えていないが「自分はこっち側で、あの人たちはあっち側の人、と思ってしまうこと」について書かれていた。この事件の場合は、オウムであるわけだが、たいていの人は自分がそうなりえない前提でものごとや事件をみる。実際のところたいした壁はなくて、自分は「そうじゃない」と思っていても、そうなりうる。

さてきょうはちょっと涼しい。朝から忙しいが、きょう夜寝ることを楽しみにして1日を生きる。

Friday, 20 June 2025

息をするように行動する友人

きのう。珍しい友人からメッセージが届いた。facebookの投稿をみてメッセージをくれたのだった。30分くらい話そう、と。空いている時間を探してみたらちょうどきのうの午後はあいていて、それ以外だと夕方の、寝る前になる。あとは土日かな、と返事をしたら、その2時間後に話すことになった。つまりきのうの午後。

こういう、約束を取り付ける感覚というのは人と文化によって異なる。日本人の場合、たいていは「きょうはさすがに急だから」となる場合が多い気がする。この場合であれば「余裕のある土日に」となる。相手のことも気遣うゆえの選択。

しかしこの友人はなんともspontaneous(自然発生的、自発的)という特徴がある。その日に話すとなったときに「さすが」と思った。そして「やっぱり」と。

友人はアメリカに住んでいる。20年前、私が英国にいたころ、彼女はイタリアにいた。

「アメリカ的な考え方って日本にいても入ってくるものだけど、ヨーロッパはやっぱり全然ちがうから、やっぱりヨーロッパに住んだ経験があるのは、良かったと思う。あの時間の流れ方とか、生き方とか、何者も匹敵しない歴史の重みとかは、住んでみないとわからない。20代で経験できたのは良かったと思う。」

という話をきいた。「欧米」とまとめていうけど欧州と米国は全然違う。2週間前に会った、米国から帰国したばかりの友人も同じこと、つまり欧州と米国は違う、と言っていた。

あと、聞いた話:

・アジア系がリードしている。学校で言われたことをこなす、というそれだけでも立派なスキルがつくってすごいなって。米国でそれができるのはアジア系の人たちばかり。結果、会社のトップなんて見てみてもアジア系ばかり。

・食べ物はやばい。おいしいものはない。

あっという間に45分間がすぎ、あっさりと「じゃあね」と言って別れた。

20年前のローマ。小さなポーチを斜めがけにして、スカジャンとミニスカートでローマを闊歩する彼女の姿をわたしは未だに記憶している。これどうやって渡るんだ、という交通量の多い道路を、彼女は人差し指をピッとあげてさっさと渡っていった。徒歩であちこち連れて行ってくれて、おいしいジェラートも教えてくれた。当時のローマはもっと閉鎖的で、たとえば地下鉄にのってもアジア人はからかわれた。それを無視できる強さが、かっこよかった。もはやローマっ子だった。

たとえばこの友人のように、息をするように行動する友人が何人かいる。主体が常に自分にあり、誰にも似ることない。20年間会っていなかったとしても、おそらくそのスピリットは今も変わっていないことがだいたいの自信を持って言える。そしていろんな場面で「あの子だったらどうするだろう」と想像すると、自然と勇気がわく。前向きになる。今は40歳すぎていても、私のなかには永遠に「21歳のあの子たち」がいる。

Thursday, 19 June 2025

自転車、フムス

 暑い。言ってもどうしようもないけど暑い。暑いと眠りが浅くなり、日中も疲れてイライラするようになる。なんとかしないと。エアコンをつけて寝られるように、エアコンのフィルタを掃除しないといけない。

きのうの朝、4時50分ごろに子が「もうそろそろ起きる?」と言ってやってきた。なんと4時25分に起きたらしい。証拠写真まで撮っていた。つらいだろうに。明るくなるのが早いので、こういうこともある。昼寝もせずに1日を過ごし、きのうは9時にすぐ寝た。

火曜日の午後、猛烈に暑いなか、帰り道に自転車屋さんに寄ってきた。買うものはだいたい決めているのだが、やっぱり実物を見たいと思ったので。実際に乗れるかなと思ったけど、店員があまり元気なくて、しかも修理のほうで忙しそうだったので、まあいいや、と思って話だけ少し聞いてきた。

そしてきのう水曜日、ネットで注文した。2週間くらいで届くらしい。楽しみにしている。今の自転車はもう十分に元を取ったと思う。

最近フムスを週1回くらいのペースで作る。ブレンダーがあればできる。材料は、ひよこ豆、レモン汁、ねりごま、オリーブオイル、にんにく。にんにくがなかったのでこれはにんにく抜きで作ったけどじゅうぶんおいしかった。

からだにもいいし、冷蔵庫に入れておくとなにかと使える。

Wednesday, 18 June 2025

冷やし甘酒、つめたい飲み物

訳あってこの2ヶ月間、微生物についての本をよく読んでいる。読むといっても熟読ではない。わからないこともたくさんある。それでもこれだけたくさんの情報を手に入れていると、今まで知らなかったことを知るようになった。だいぶ勉強したな、と思う。

おかげでいろんなことが気になるようになった。なかでも自分の身体については意識することが増えた。腸内細菌は特に面白い。ものすごい数の菌がすんでいるらしい。腸の状態を日々改善しようと思えばできる。そして腸の状態が良いと、脳にも良いらしい。逆を考えればわかりやすいが、ストレスを過剰に感じてはおなかがゆるくなったり便秘になったりする人の例はよくある。つながっているのだ。腸は第2の脳とも呼ばれるらしいがもしかしたらこっちが先に脳だったのかもしれない、というくらい重要な器官。

というわけで、発酵食品をよく摂取している。なかでも甘酒は最近のヒット。ほんの少し飲むだけで満足度は高い。パック入りがおすすめ。100mlくらいだがものすごく甘いのでこれでじゅうぶん。夜にアイスクリームでも食べたいなと思ったときはかわりに甘酒を飲む。添加物はゼロ。おなかにいいことをしてあげている気がする。

アルコールを買う代わりにいくらでも選択肢はあるので、水じゃ物足りないけど何か飲みたいときのための選択肢をいくつか持っておくといいかも知れないと思っている。いまのところヤクルトと甘酒は常備している。そしてきのうはリンゴ酢を買ってみた。これは発酵食品というわけではないけど、ジュースよりましだろう、と。薄いジュースに酢が入ったようなものだろうか。アルコールよりは絶対にまし。

去年は炭酸水を箱で買ってみたのだが、当然ながらペットボトルが大量に出るので廃棄が面倒。そしてペットボトル飲料を日常的に飲むことによるマイクロプラスティック摂取も少し気になりはする。少し、ね。

なんとかその代替手段をこの夏は持っておきたいと思う。甘酒はぐびぐび飲むわけにはいかない。

…やっぱり麦茶かなあ。

Tuesday, 17 June 2025

夏が来た

気持ちが良いと感じられる初夏は、どうやらもう終わったようだ。サワサワと降る雨はほんの数日で終わった。日曜午前の雨を境に夏になった。お昼過ぎに図書館から出たときの「むわっ」とした感じで悟った。ああ、もう逃げられない。

去年、めまいがして立てなくなったのは6月18日だった、ということをよく覚えているので今年は細心の注意をはらっている。体調をくずすパターンがある。

それにしても、我が子を含め、周りを見ても、もう限界です、みたいな気持ちが伝わってくる今週。4月から走り抜けてきて、疲れが出てくるころ。夏休みも目前に見えているのに、気温と湿度が上がってきて、エアコンの風にとどめをさされて風邪をひく。

これは先週末、いつも行くレストランで日曜の昼ごはん。いつもより美味しかった。パスタは乳化がポイントだな、と。

子も、メニューにないものを考えて注文することが増えてきた。大人しくしておいてほしい、と思う私はやはり日本人。ツナと、コーン。美味しく無いわけがない。

Friday, 13 June 2025

会議、月曜の外出、プールカード

 木曜の夕方は会議だった。普段は途中離席するのだが今回は最後まで残ってみた。結果、特にいいことはなかった。得るものはない。資料に買いてあることを読めばたいていの人が困らない。これをわざわざ発言して全体の時間を奪う人たちの気が知れない。

長時間座っていると腰に良く無いのを知っているので途中で立ち上がってリセットする必要がある。1時間でもこれなんだから、夏に行くイタリア行きの飛行機のなかでは一体どうなってしまうんだろうと思う。15時間、耐えられるのか。

月曜に友人と会った。海外から戻った友人で、久しぶりに会うので優先順位がぐっと上がる。たとえそれが月曜であれ。その後のことはなんとかなる!と思って会った。しかしこれがあとを引く。火曜は寝不足状態。水曜は午後から頭が痛い。木曜は戻ってきた感じもするけど寝起きはスッキリしないしまだ顔が浮腫んだ状態。これが(歳をとって)月曜に外出するってことか…。

だからと言って外出したことを後悔していない。やっぱり楽しいし新しいインスピレーションがもらえる。直接会わないと得られない。たいていのことがそうであるはずなのに、最近ではすべてを非対面で済ませようとする傾向がある。あ、ただし会議だけは非対面でもいいな…。

こどもの話。

水泳の授業が始まっている。きのうの朝、5時代にふと「プールカードがない」という衝撃の事実に気づいた。体温と、保護者のサインを書くもので、これが無いと泳がせてもらえない。プールの授業見学だけはなんとしても避けたい。ランドセルのなかをガサガサ探しても見当たらない。「しまった…」

最終手段として、画用紙を探してきて似たようなものを作った。これでなんとか許してもらえないだろうか。万全の手を尽くそうと思い、さらに連絡帳にも書いておいた。「どうしようもない親子で申し訳ありません」。

もっと最終手段を思いついた。学校に置いているのであれば朝、サインをしに行けばいい。わたしは仕事がある。そもそも学校にあるのだろうか。朝7時半ごろ、子を起こして聞いてみると

「ああ、学校にあったねえ」

「あったねえ、じゃないよ!!!持ってこなきゃだめでしょー!!」

というわけでパパの出番。事情を説明して、行ってもらうことにした。結果的に、無事に水泳はできたらしい。よかった。水泳自体よりも、こういう「提出」関連にとにかく気を揉む。

Thursday, 12 June 2025

自転車どこで買いますか

いよいよ自転車の買い替えが近づいている。期限があるわけではない。それでも、もうさすがに、と思うくらいに不具合が出てきている。チェーンをまいている、核となるところ(ブレーキ?)がすり減っていて、上り坂でこぐと、ガシャン、とはずれることがある。それを直すと何万円かかかり、だったら新しいものにお金をまわしたほうがいいだろうと自転車屋から言われた。いや、実際に言われたのはもうだいぶ前で、そのまま乗っていたけどここ最近ブレーキシューのすり減りがひどく、これを替えるならいよいよ買い替えかなと思ってまた相談に行ったら、別の人からも同じことを言われたのだった。

というわけで最近、自転車のウェブサイトを見て、特徴を理解しようとしているところ。いろんな自転車が気になるようになった。

自転車を愛好している同僚がいる。彼はどんなに遠くでもスイスイと自転車で行ってしまう。世間話として自転車の話題をふった。どこでどうやって買うんですか、と。「中高生のころから同じ自転車屋に行っていて、かならずそこで買う」という答え。ほー。曰く、ネットで選んだりは決してしない、と。信頼できる「自転車屋のおっちゃん」がいるのだ。いい話だなと思った。

そして最近15万もする新しい自転車を買ったらしい。雨が降っていたのできのうは乗ってきてなかった。こんど見せてください、と行って退勤した。

なんてことない話なのだが、職場に行く意味というのはこういう世間話にあるのかもしれないなと思った。仕事に必要なこと以外はしゃべらない、というのもひとつのあり方だろうけど、生身の人間どうしなので、知り合って情報を交換したり、他愛無いことで笑ったりするのは自然なことだ。あまり意識しないかもしれないけどこういうのがなくなると日々につっかかりを感じるのかもしれない。

さて、自転車どうしようかな。

Wednesday, 11 June 2025

"I don’t just sit there and worry about it."

 先日見たトム・クルーズのインタビュー。言っていることがあまりにも響いたのでメモをしておいた。

You just have to write down your dream and the write down a list of how do you accomplish that.

 What I need to learn to be able to accomplish those goals?

And that’s what I do.

I don’t just sit there and worry about it.

I just start doing it.

And don’t be so worried if you’re afraid.

It’s like ‘okay I feel it’.

‘That’s fine’.

Just keep working through it.

Really the fear you feel is the unknown.

It’s what you don’t know and just kind of recognise that.

It’s okay not to know and work towards a knowingness of things.

And the only way to do it is not to be in your head on it but just start looking go out and start doing it one step at a time.

When I’m training people or I’m training myself, I’m always thinking I’m gonna learn how to crawl before I walk, walk before I jog, jog before I run, run before I sprint and then I sprint out of a plane or off a cliff, before I do that.


自分の夢を書き出して、それをどうやって実現するかのリストを作るだけでいいんだ。

「その目標を達成するには何を学ぶ必要があるのか?」

それを考える。そして、それを実行する。

ただ座って心配しているだけじゃなくて、

とにかく始めてみるんだ。

怖くても、あまり心配しすぎないで。

「怖いな」と感じたら、「ああ、そうだね、それでいいんだ」と受け止めて、

それでも前に進み続ける。

本当に感じている恐れって、「知らないこと」に対するものなんだ。

自分が知らないことへの不安。まずはそれを自覚すること。

知らなくても大丈夫。大切なのは、少しずつ「知ること」に向かって努力すること。

そのためには、頭の中で考えすぎないで、

とにかく一歩一歩、外に出てやってみること。

誰かをトレーニングしているときも、自分自身を鍛えているときも、

いつもこう考えている。

歩く前に這うことを学ぶ。ジョギングする前に歩くことを。走る前にジョギングすることを。全力疾走する前に走ることを。そして、飛行機から飛び降りたり、崖から飛ぶ前に全力で走れるようになる。

Friday, 6 June 2025

航空券を買うのは神経使う

 ようやく夏っぽくなってきた。暑くなるのか〜と先が思いやられる感じもするけどこの季節を楽しむことにする。初夏のこの感じがなぜいいかというと夏休みが見えてくるからだろう。

そう、ひとつ大きなことがあった。

それは、航空券を買ったこと。火曜日に買った。行き先はやはりイタリアです。家族は先に行き、私は仕事を終えて行き、仕事のために早く帰ってくることになっている。1人で行きたいところに行く旅行ではないし、行った先のこともいつもどおりでぜんぶわかっているのでそれほどワクワクドキドキというわけではない。それでも、だ。やはり国外に旅立つ日が先に待っているというのは、普段の過ごし方に影響する。

それにしても、航空券を買うのにこんなに神経を使うのはなぜだろうか。昨年、チケットを買うだけすごく緊張して、ぐったり疲れてしまった。コロナあけて5年ぶりの海外だったからだと思う。今年は去年ほどでもなかった気がする。それでもやっぱり疲れた。

20代のころ、何も考えずに年間に2回も3回もポンポン買って、飛んでいたのがしんじられない。こどもが生まれて以降の変化だろうか。それとも20代のころだって緊張して購入していたのだろうか。歳をとって、考え方をはじめ自分のなかでいろいろなことが変わり、判断の軸ができてきた。そのため全体的には生きやすくなっているはずなのだが、たとえば航空券の購入とか、思い切ってえいやっと動かなければいけないことにたいしてはどんどん腰が重くなっている気がする。

Tuesday, 3 June 2025

Mission: Impossible - The Final Reckoning

 みてきました。雨だし、平日休みだし、いましかない!と思った。やっと行けた。子の友達がこのまえ見に行ってて、遊びにきたときに感想をどんどんしゃべろうとするので、それを聞くより先に見に行ったほうがいいなと思った。

正直なところ前作のほうが「すげー」だった。が、今回の目標は今までの話をまとめていくということがあるだろうから、そう考えると自然。スタントやアクションは前回のほうが多かった気がする。いやこれは期待はずれというわけではなくてミッション・インポッシブルは標準が高すぎるのでじゅうぶんすごいです。

30年前の第1作に登場した人が今回出てきた。これはうれしかった。相変わらずヒヤヒヤするし、いちいち心臓がバクバクするし、手の汗はすごいし、首と肩まわりの筋肉が緊張し続けていて3時間おわるとげっそり疲れる。見ている間の自分の表情なんてほんとすごいだろうなと思う。でも映画ってこういうものだろう。

飛行機のシーンはすでに有名になっていたので「これか」と思ったけど、これがCGじゃないというのはいったいどういうことだろう。ミッション・インポッシブルを見るたびに思うけど、きっとどこかはCGで、どこかはスタントマンで、どこかは本物なんだろうけど、それぞれのシーンがどうなっているのか。どう組み合わさっているのか。インタビューを見る限りトムは本当にヘリコプターに捕まっている。「目もよくみえないし息ができなかった」と言っているので。一体どうなっているんだ。

しかし飛行機にぶらさがる系のことはミッション・インポッシブルではもはや当然というかおなじみくらいになっていて、見ているこちらの感覚も正直いっておかしくなっているといえる。「ああ、あれね」くらいに思っているけど、「普通の」人間はあんなことできないししようと思わないのだ。

先日、the New Yorkerのニュースレターでこんなのがあった。"Why Tom Cruise Will Never Die"(トムクルーズはなぜ死なないか)。こんな画像もついていた↓

映画を見るまで読まないようにしていたが、いまはやっと読める。

メイキングをさっき見ていたら、共演者が「トムは新しい賞をつくるべき」と言っていた。アカデミー賞とか、そういうこと。撮影の現場はいつも前向きでポジティブな雰囲気だったそうだ。共演者も監督も「トムが」「トムが」と言う。人生が映画なのだ。

今回見た作品のなかに「未知の人たちのために」という台詞が何度か出てくるけど、まさにトムは、全世界にむけてこの作品を作っていて、それは映画を見るすべての人のために、それ以外の何でもないと思う。インタビューを聞いてると何度もaudience(観客)という言葉が出てくる。

小学生のころに第1作を見てから、今に至るまで、ミッション・インポッシブルのある時代?に生まれてよかったと思うしトムの活躍を見てきていて、本当に運が良いと思う。トムいわく、今回の作品は30年の集大成というよりculmination of 45 yearsと言っていた。つまり自分が映画に関わりはじめてからの、45年間の集大成。プロという言葉では表現できない。単純だけど、トムががんばっているという事実は、私を含めた多くの人にpositivityとoptimismと生きる希望を与えてくれている。

Monday, 2 June 2025

89歳Yさんのことば

6月になった。涼しい。寒いときもある。こんな6月はあまりない気がする。しかしこのくらいでちょうどいい。汗もかかず、夜もよく眠れる。 

オーブンもフル稼働でよく色々なものを焼いている。最近はこのバナナブレッドをよく焼く。若山曜子さんのレシピで、本当は長方形の型で焼くはずだが、マフィン型で焼いている。このほうが食べやすくて美味しい。

とにかく簡単なのでしょっちゅう焼く。ただ混ぜれば良い。コツも道具もほとんどいらない。スプーンでできる。

先日、合気道でいっしょのYさんが89歳の誕生日を迎えた。89歳である。ここでは何度も書いたけど、腰は少しも曲がっておらず、動きは早く柔軟で、当然だが受け身がとれる。毎日徒歩で稽古にいらっしゃっていて、少しも偉そうでなく、私にさえ敬語を使ってくださる。

こんな人をわたしはほかに知らない。この方に会えたことは私の人生に訪れた幸運のうちのひとつだと思っている。そして家族でもない人の誕生日がこんなに嬉しいなんて。

誕生日おめでとうございます、と言ったら、「ありがとうございます、こうやってみなさんが相手にしてくださってね、本当にありがたい」と言っていた。会話のひとつひとつを私は、からだに刻み込むように、かけがえのないもののように思っている。

故郷に帰りたいと思うことはないか、と尋ねてみたら「帰っても、友人ももうほとんどいないしね」と。「山や海はあるけどね、人がいないとね」。「帰ってもいいんだけど、ひとりで思い出に浸ってもどうしようもないもんね」

なるほど、と思っていたら「今はまだお知り合いとか、友達とかいらっしゃるでしょうからね、大事にしたほうがいいですよ。じゃ。」と言って颯爽と帰っていかれた。

小雨の降る土曜日の朝、7時半。すごく深い言葉をいただいて、この上なく満たされた気持ちで家に帰った。これはどこかに書いておかなければ、と思ったので、忘れないうちにここにかく。わたしはどう生きるのだろうか。

肌について不思議に思うこと

肌の話。 昨夜、レストランでの夕食にはいわゆる子育て世代の人たちが集まっていて、私以外に女性が3人いた。その中の1人はスイス在住。夏休みでイタリアに帰ってきているらしい。その人に向かってほかの2人が"bella abbronzata”(よく日に焼けている)と言っていた。...