Friday, 20 June 2025

息をするように行動する友人

きのう。珍しい友人からメッセージが届いた。facebookの投稿をみてメッセージをくれたのだった。30分くらい話そう、と。空いている時間を探してみたらちょうどきのうの午後はあいていて、それ以外だと夕方の、寝る前になる。あとは土日かな、と返事をしたら、その2時間後に話すことになった。つまりきのうの午後。

こういう、約束を取り付ける感覚というのは人と文化によって異なる。日本人の場合、たいていは「きょうはさすがに急だから」となる場合が多い気がする。この場合であれば「余裕のある土日に」となる。相手のことも気遣うゆえの選択。

しかしこの友人はなんともspontaneous(自然発生的、自発的)という特徴がある。その日に話すとなったときに「さすが」と思った。そして「やっぱり」と。

友人はアメリカに住んでいる。20年前、私が英国にいたころ、彼女はイタリアにいた。

「アメリカ的な考え方って日本にいても入ってくるものだけど、ヨーロッパはやっぱり全然ちがうから、やっぱりヨーロッパに住んだ経験があるのは、良かったと思う。あの時間の流れ方とか、生き方とか、何者も匹敵しない歴史の重みとかは、住んでみないとわからない。20代で経験できたのは良かったと思う。」

という話をきいた。「欧米」とまとめていうけど欧州と米国は全然違う。2週間前に会った、米国から帰国したばかりの友人も同じこと、つまり欧州と米国は違う、と言っていた。

あと、聞いた話:

・アジア系がリードしている。学校で言われたことをこなす、というそれだけでも立派なスキルがつくってすごいなって。米国でそれができるのはアジア系の人たちばかり。結果、会社のトップなんて見てみてもアジア系ばかり。

・食べ物はやばい。おいしいものはない。

あっという間に45分間がすぎ、あっさりと「じゃあね」と言って別れた。

20年前のローマ。小さなポーチを斜めがけにして、スカジャンとミニスカートでローマを闊歩する彼女の姿をわたしは未だに記憶している。これどうやって渡るんだ、という交通量の多い道路を、彼女は人差し指をピッとあげてさっさと渡っていった。徒歩であちこち連れて行ってくれて、おいしいジェラートも教えてくれた。当時のローマはもっと閉鎖的で、たとえば地下鉄にのってもアジア人はからかわれた。それを無視できる強さが、かっこよかった。もはやローマっ子だった。

たとえばこの友人のように、息をするように行動する友人が何人かいる。主体が常に自分にあり、誰にも似ることない。20年間会っていなかったとしても、おそらくそのスピリットは今も変わっていないことがだいたいの自信を持って言える。そしていろんな場面で「あの子だったらどうするだろう」と想像すると、自然と勇気がわく。前向きになる。今は40歳すぎていても、私のなかには永遠に「21歳のあの子たち」がいる。

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