Sunday, 12 October 2025

ヴィクトリア・ベッカム、サイゼリヤ

連休初日。2週間ぶりに土曜休みだ。9月末も、先週も土曜出勤だった。やっと普通の土曜日。朝から合気道に行った。納得いく動きはまだできないけどそれでもこの爽快な感じはやめられない。6時に家を出るので、日の出の時間が遅くなってきているのがよくわかる。段々と暗い時間に突入しつつある。

帰りに少し雨が降っていた。きょうはそういう天気予報だったっけ?

帰ると「おかえり〜合気道どうだった〜」という声が聞こえた。子が、なんと自分で朝ごはんを用意して食べている。びっくりした。バナナとクッキーを、きちんと皿に、さらにお盆にのせて、それからヨーグルトを冷蔵庫から出して、ひとりでもぐもぐしていた。そうか、「自分でできるでしょ」とふだん言っているから、自分でやったんだろうな。ひとりで食べさせるのは申し訳ない感じもするけど、私がいたって自分ひとりで食べることは多々ある。

それから小雨がずーっと続いた。クロスタータを作った。Netflixをみたらヴィクトリア・ベッカムのドキュメンタリがあったので見始めた。

昼は、蕎麦屋に行こうということになっていたがこの雨でどうしようかしばらく様子を見た。それでも、小雨ならいいだろうということで、カッパを着て自転車で行った。

こんな日に限って蕎麦屋は混んでいて、外で待つ羽目になった。予想が外れた。ようやくなかに入り、子は、セットメニューを頼んだが、カツ丼もそばも、どちらも食べた。こんなに食べるのかと驚いた。大人でもお腹いっぱいになるのに。

家に帰ってから、ヴィクトリア・ベッカムの続きを見た。面白かったけどデイヴィッド・ベッカムのドキュメンタリほどではなかったな。デイヴィッド・ベッカムのスピンオフ的に見えた。それでも、見ているうちに、洗練された服が着てみたいものだなと思った。

子は友達のうちに遊びに行ったが、そこにほかの子もいたので、仲間はずれにされたと言って不機嫌なまま帰ってきた。まあそういうこともあるだろう。学んでくれ。

夕方は、友達に会いに行った。5月ぶり。いつも行っていた店が、かわってしまったらしく、サイゼリヤに行った。これまた久しぶりだが、あまりにも変わっていなくて驚いた。そもそも、コロナを経ても値段が同じ。たいていのメニューが四百円以下。そしてなによりも美味しい。驚くことに、アブルッツォ名物のアロスティチーニがある。メニューをみる限り、イタリアに行ったことある人が考えているな、ということがわかる。もちろん「そんなのはイタリアにない」という食べ物もあるけど、日本人向けに作られていて、結局はおいしい。どれを頼んでもハズレはない。

注文が、QRコードからというのはそれほど驚かなかったが、会計までセルフレジになっていて、これにはびっくりした。コンビニと同じじゃないか。無銭飲食もいるだろうに、と思ったけど、その可能性を考えるよりも人件費を削減したいのだろう。

土曜の夜というのもあるだろうけどとにかく混んでいた。90分経つと店員がきて、退店を促される。無理もない。

3人で食べまくって、ちょうど六千円。ほかのレストランではありえないな。

小雨の降り頻るなか帰ったら8時だった。いつもと同じように9時に寝た。

Friday, 10 October 2025

ママは何分くらいで寝る?

今朝は曇り空で朝焼けが見えなかった。秋っぽくなってきた。きのう帰り道、自転車を走らせながらやっぱり10月は最高だなと思った。こんなにいい時期はないんじゃないか。ずっと続くといい。気持ちがいい。

カズオ・イシグロのthe Buried Giantを読み終えたあと、同氏の読みたい作品があったが、手元にはなく、Souvankham ThammavongsaのHow to Pronounce Knifeを読むことにした。このなかの一つはすでにMonkeyの和訳で読んでいるがほかの話は読んでなかったし、何よりも手元にあるのでこれにしようと思った。Kazuo Ishiguroを読んだあとだと、だいぶ簡単に感じる。そして一話をあっという間に読んでしまう。移民の話。かなり面白い。読みやすい。今朝は二話目を読んだ。

英語を読み慣れると、英語力がつく以外にいいことがある。そのなかの一つは、日本語を読むのが一気に速くなる(気がする)ということ。たまに、予約していた本が図書館に届いて取りに行く。たいてい話題の(日本語の)本なのだが、読んでみるとさらさら〜っと読めて翌日には返却できることがある。

きのう帰宅してみると、子はオンラインでわたしの父母と会話をしていた。家に誰もいなくて、ひとりでいないといけない時が最近よくある。それで、完全に1人にしておくより、遠くにいる祖父母とつないでおくという手段をとっている。これがとても助かる。

ほんの数ヶ月前、はじめて鍵を持たせたときのことを思い出す。私が帰ってくるまでの20分間、誰もいないことに不安を感じて1人でソファで泣いていたらしかった。そのことを思い出すとやっぱり1人にさせちゃいけないと思うのだが、今となってはその心配もいらなくなってきた。成長は早い。

きのうはあれだけ学校に行くのを嫌がっていたので、結局どうだったかと聞いてみたらやっぱり楽しかった様子だった。6時間だったけど、仲の良い子たちと一緒に帰ることができたようだ。仲間の存在はありがたい。そして信じられないことに運動会の練習が楽しかったらしい。「Yくんがやってるから、ぼくもやろうと思った」と。こういうのにすすんで参加することは滅多にないのに。家でもその音楽をかけて少し踊ってくれた。

Fがいない夜なので、不安はそこにあるらしい。「ママは、何分くらいで寝る?」と聞いてくる。わたしが先に寝て、1人で目を覚ました状態になるのを恐れているのだ。「何分で寝るかなんてわからないよ。」

8時前に「そうか、今寝れば、ママが起きてて、ぼくが先に寝られる」と言う。「早すぎるよ、大丈夫だよ」と言って、結局9時にふたりで寝た。どっちが先に寝たかわからない。この季節は暑くもなく、寒くもなく、深く寝るのに最適だ。

きょうもいい1日でありますように。

Thursday, 9 October 2025

きっとこれからも大丈夫

子がみるみるうちに大きくなっている。当たり前だけど。身長は140cmもあって、平均よりだいぶ高い。1年に10cmは伸びている。あっという間に中学生になるのだろう。給食のときに同じ班の人にしゃべっても誰もきいてくれないから、隣の班の人としゃべると、しゃべっちゃだめと言われる。だから学校に行きたくない、ぼくは辛い、ときのう言っていて、それくらいなによ、大したことないじゃん、行ってらっしゃいと言って送り出した。そもそもしゃべってはいけないことになっているんだったら、それは仕方ない。

この「学校行きたくない」は軽いほうだと思っている。「それくらい大したことないさ」がどこまで通用するかな、と思う。もしかしたら深刻な状態のサインを出してくれているときもあるかもしれないし、本当に大したことないのかもしれない。たいていのことは受け流せるが、そうではないときもあるかもしれない。

子は、学力だけならまだしも注意力が著しく低い。さらに自分を客観視することが苦手で、これを今、この集団内でやるとどうなるか、という想像はせずに行動する。給食のときに話を聞いてもらえない、というその様子がわたしには想像できる。成長とともにできるようになっていくものだろうと思っているが、本人としてはそれがつらく、さらになぜそうなるのかわからないこともあるかもしれない。

いっぽうで人と違うことはいいことだ、と思っているのも事実。人の言うことをきかなかったり周りの状況をみなかったり、ということにつながる原因の一部でもある。ありのままを受け入れるとは言え、集団で過ごすなかで身につけるべき作法はある。

とは言え、暗くならないようにしたい。何があっても、暗くならないように。わたしの祖母の、太陽みたいな笑顔を思い浮かべる。

自分の育ってきた家族、環境にはたくさんの人がいて、だいたいいつも明るかった。誰かひとりが明るいというより、そこにある空気が明るかった。ほどよい距離感のもとに、いつも冗談と笑いがあった。それは個々人の努力によるものだったはず。わたしにはその、よい空気の影響が幸いまだあって、ここにいても大丈夫だと思える。しっかりとした基盤を18年間で築いてもらったので、きっとこれからも大丈夫だと思える。

Wednesday, 8 October 2025

"The Buried Giant" 読んだ

とうとう読んでしまった。
9月に入ってから読んでいた、カズオ・イシグロの"The Buried Giant"を今朝ついに読み終えた。8月、夏休みのあいだに同氏の"Never Let Me Go"を読んだことがきっかけで「私も英語の長編読めるのか」と思い、本棚にあって読んでいなかったthe Buried Giantをやっと読み始めたのだった。(本棚を新調して、手に取りやすくなったのもあるかもしれない。)

すごい話でした。ファンタジー小説に興味はなかったけど、これを読んではじめて面白いと思ったしわたしがイメージしていたファンタジーとはだいぶ違った。Never Let Me Goに負けず劣らず、深い深いテーマ。だけどNever Let Me Goほどの衝撃はないかもしれない。最後のシーンの意味するものはなんだろう、と思わずにはいられなかったのでいくらか読後の感想をネットで読んでみた。なるほど、と思うものがいくつもあった。

よくわからないままの箇所がいくつかあり、あとから日本語訳を読んでみたい、と思ういっぽうで、英語で読んだままの雰囲気を保っておきたい気持ちもある。たとえばドラゴン退治のシーンはよくわからなくて、本当に何度も読み返したけど、それでもわからない。でもそこに並んでいる単語以上のものはないはずなので、それが読めたらあとはもうこちらが想像するしかないのだろう。

ドラゴンだけでなく、ogre(怪物)やpixie(妖精)なども出てくる。前知識のある人は読みやすいんだろう。5、6世紀の英国が舞台なので、使っている言葉も違う。旅をする老夫婦の話だが、そもそも「道」というものが存在しないころの話。霧に覆われた草地を想像するには、英国に行ったことがあるとより良い。もう20年前、長距離バスで英国を移動するときに見た、絵本のなかのような風景を無意識に思い出していた。羊がいて、霧がかかっていて、寒い、そんな感じ。

インターネット閲覧のできる機器、つまりPCやスマホ(もってないけど)やタブレットが身近にある環境で読書に集中するのはわたしにとってとても困難である。たぶん意見を同じくする人は世の中にたくさんいるはずだ。

それが夏休みに一冊読めたのはなぜかというと、朝起きてから1番最初に読んだから。タブレットを開くより先に本を開くようにする。実は、8月から実践し始めたわけではなく、以前から「朝起きたらまず英字新聞」とか「ビジネス英語のビニエットを一つ聞く」とか自分に課すようにしていた。8月はそれが本にかわっただけのことだが、出会った本が良い本だったので継続に至った。しかも朝はほかの音がないので読むことに集中しやすい。

話に入り込みづらいかと思っていたがしばらくすると慣れてきて、いつの間にかその世界に浸かっていた。毎晩、「明日の朝、またあの世界に戻れること」を楽しみに寝ることができた。ぜんぶで17章、345ページある。1日一章読む日もあれば3ページしか読めなかった日もある。それでも毎日読めた。

こういう読書経験を、もっと若いときにできたらどんなによかっただろうなと思う。今からでも遅くはないけど、若い時に読んでいたら人生にはまた違った深みが出たにちがいない。それでも、英語でこれを読むとなるとやっぱり今ぐらい語彙力がないと読めないだろう。

さて明日からは何を読めばいいだろう。まだもう少し、6世紀の英国にいたいような気がする。

ヴィクトリア・ベッカム、サイゼリヤ

連休初日。2週間ぶりに土曜休みだ。9月末も、先週も土曜出勤だった。やっと普通の土曜日。朝から合気道に行った。納得いく動きはまだできないけどそれでもこの爽快な感じはやめられない。6時に家を出るので、日の出の時間が遅くなってきているのがよくわかる。段々と暗い時間に突入しつつある。 帰...