この「学校行きたくない」は軽いほうだと思っている。「それくらい大したことないさ」がどこまで通用するかな、と思う。もしかしたら深刻な状態のサインを出してくれているときもあるかもしれないし、本当に大したことないのかもしれない。たいていのことは受け流せるが、そうではないときもあるかもしれない。
子は、学力だけならまだしも注意力が著しく低い。さらに自分を客観視することが苦手で、これを今、この集団内でやるとどうなるか、という想像はせずに行動する。給食のときに話を聞いてもらえない、というその様子がわたしには想像できる。成長とともにできるようになっていくものだろうと思っているが、本人としてはそれがつらく、さらになぜそうなるのかわからないこともあるかもしれない。
いっぽうで人と違うことはいいことだ、と思っているのも事実。人の言うことをきかなかったり周りの状況をみなかったり、ということにつながる原因の一部でもある。ありのままを受け入れるとは言え、集団で過ごすなかで身につけるべき作法はある。
とは言え、暗くならないようにしたい。何があっても、暗くならないように。わたしの祖母の、太陽みたいな笑顔を思い浮かべる。
自分の育ってきた家族、環境にはたくさんの人がいて、だいたいいつも明るかった。誰かひとりが明るいというより、そこにある空気が明るかった。ほどよい距離感のもとに、いつも冗談と笑いがあった。それは個々人の努力によるものだったはず。わたしにはその、よい空気の影響が幸いまだあって、ここにいても大丈夫だと思える。しっかりとした基盤を18年間で築いてもらったので、きっとこれからも大丈夫だと思える。