Sunday 1 May 2016

周りに流されるくらいなら

ヨークシャー・ティーを飲んでいます。
ミルク無し。仕方ない。
ミルクがあるか無いかで別の飲み物かというくらいに違うんですけどね…。
そして昨日焼いたマフィンを食べている。ああ美味しい。

爽やかな5月1日。4月29日から5月5日までずっと休みなので、一体今日が何日で何曜日なのか分からなくなってくる。あまりダラダラしないように、やるべきことをリストに書き出して効率よく過ごそうとしている。

去年と一昨年は、連休に里帰りした。今年もと思っていたが訳あってそうはいかない。
人の減った東京をゆっくり楽しもうと思う。

SWITCHのマツコ・デラックスについて。
電車内の広告で見かけてとても気になっていた一冊。
プールに行った帰りに見かけて手に取ったら、結構本気で「立ち読み」をしてしまった。

言うことを文字に起こすよりは、動いているマツコを見たほうが断然面白いと思っていた。が、文字でも十分に面白かった。


ガツンと意見を言える人が極端に少ないこの国において、マツコはスケープゴートとも言える。(自分でそう言っている。)媚びないところが本当に気持ち良い。テレビに出る人々なんてほとんど媚びる人ばかりだから。


以前、厚切りジェイソンが「日本では突飛な意見でも通っちゃうよ、外国人だから!」と言っていたけど、それすごく分かる。突飛であれなんであれ、周りを気にせず言いたいことが言える人って本当に少ない。

幼稚園から大学まで、いや、社会人になってからも、周りに合わせることばかり教え込まれてくるから、自分の頭で考えられない幼稚な人間ばかりが育つ。たしかに公共のマナーを守るとか、迷惑をかけないとか、協力し合ってがんばるとか、そういったことは海外に比べて日本の優れているところで教育の成果である。ただ、周りに流されずに自分の意見を堂々と述べるということは、両立できないことではないはずだ。

海外旅行ではガイドブックに書いてある店にしか足を運ぼうとしなかったり、雑誌が30日分のコーディネートを載せたりするのも、日本人の特徴。

自分の目で見て、自分の感覚を信じて動くことが、どうしてもできない。そしてそうなっちゃっていることに気づいていない。

私は、周りに流されるくらいなら嫌われた方がマシと思って生きています。これは小さい頃からずっとそうだった。学校という環境が苦手だった。授業は、周りと同じ動きをしなければいけない体育の授業が苦手で、周りに合わせなくていい美術・工芸が好きだった。私がアートを好むのはそういうところから来ている。個性を没させたら終わり。

就職したばかりのころは「ん?」と思いながらもとりあえず周りに合わせてきたつもり。それでも、前職を去るときにトップに言われた言葉は:
「これからは、周りに合わせることも覚えなさい。そうすると生きやすくなるから。」
というものだった。なるほどそうか、と思い、ハイ、と答えて次の職場に移った。

そうするとやっぱり「ん?」と思うことがたくさんあった。
一年間は大人しく過ごしたが、そのあとは自由に振る舞うようになった。ただし、バランスを取りながら。
成果を出したから。
その言動が人に迷惑をかけているのか?
いやむしろ私の言動が勇気を与えている場合がある。
嫌われているとすれば?
嫌われて上等。


「生きやすい」のは一体どっちなのか?

万年筆、外出

なくなったと思っていた万年筆が職場の引き出しから出てきた。一本千円のものなので、なくなってもあきらめはつくのだが少し気になっていたのは事実だった。中のインクは空っぽだが一体何色を入れていたのかさえ判然としない状況だった。家に連れて帰って洗うことにした。  翌朝の万年筆カートリッジ...