最近、川上未映子の本を読んでみたらとても面白かった。考えてみたら村上春樹以外で日本人の作家の書いた日本語の文章をここまで集中して読むことがしばらく無かった。ま、同時に村上さんのも再読してるんですが。ここ数日は「職業としての小説家」をもう一度読み直しています。
川上未映子を読んであらためて村上さんすごいよなと思うのは、村上春樹はほんとに誰にでもなれちゃうということです。例えばカフカを書けば15歳の少年だし。何歳にでも、どの性別にでもなれてしまう。そしてそれが不自然ではない。ほかの作家を考えてみても、なかなかそんな人はいない。と言っても読んだ本の種類がとても少ないんですが。江國香織も常に女性目線。まあ、子どもの視点に立って書くときはあるかな。川上未映子だってやっぱりどこまで行っても「女」だろうと思う。一冊しか読んでなくてこんなことは言えないだろうけど。
で、その「女」として「女」である川上未映子の本を読んだらめちゃくちゃ面白かったということ。これ女じゃないと面白いと思えないかもしれない。
読んでいるうちに、私も書きたいと思った。昨日、プールの中でゆっくり歩きながら文章を少し考えていたらいくらでも出てきた。
今朝起きたら、雨風が去ってとってもいい天気だった。気分も良かったので、体操をしてヨーグルトを食べて、少し書き始めた。もういくらでも文章が出てくる。そのうちバカみたいに1人で泣き始めた。まあ幸せなやつですよね。自分について書いて自分で泣くんだから。ある意味では自己陶酔である。
だけどこの世界に、いや、宇宙に感謝したくなってきた。自分の生きている意味とか、周りの人へのありがたい気持ちとか、宇宙の神秘への感動みたいなものまでもがこみ上げてきてもはや自分がステージに立っているかのような顔をして「うう、ありがとう」と泣きじゃくった。
小さい頃からこういう傾向はある。1人で感極まって泣く。想像力が豊かなのだ。自分で言うのも何だが。
仕事が無いとこんなにも色々と、深くものごとを考えてしまうのだ。それはきっと良いことなんだろう。暇にならないとなかなか自分には向き合えない。
そしてその手段としてはやはりものを書くというのは良い。インプットも大事だが、同じくらいアウトプットも必要である。話すのも良いけど、書くとより整理される。自分の抱えているものを言語化する作業は、一見面倒だが、そうすると本当に自分自身に問いかけるものだ。
さて、お天気が良いので出かけてきます。
Wednesday, 4 May 2016
セールの思い出
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