Saturday 21 May 2016

英語の本を読むこと

前回の投稿からまた一週間くらい空いた。忙しかったというよりは、ただひたすらに疲れた一週間だった。
おとといとその前は8時半と9時に就寝した。それでも朝まで寝続けた。
体力を回復させるためには食べるのも大事だがとにかく寝ること。それに尽きる。人間は寝ないとどんどん崩れていく。それにしても寝すぎだろうと思われるかもしれないが、これが体からのサインなのだから読み取ってあげないことにはどうしようもない。

まだ半分も読んでいないが、相変わらず面白い。
面白い本は読んでいるときにそれが日本語で書かれているか英語で書かれているかを忘れる。すらすら頭に入ってくる。(もちろん面白くないのはぜんぜん入ってこないので途中で読むのをやめる。)

英語の本を読むようになったのも本当にここ数年の話である。試験などの環境でないかぎり、わざわざ英語の本を手に取ることは以前までまず無かった。それが、読まざるを得ない環境に身をおいてからというもの、自分で本を選び、手に取るようになったのだ。いわゆる「読書家」でもないし、長期間まったく読まない、というときだってある。それでも英語力は格段に伸びたと思う。語彙と文法に関しては、伸びたことが自分でもはっきりとわかる。

学生時代は「文法なんて適当でいい」と思っていたので、当然ながら文法もわかっていなかった。その分、何かを読むとなると「なんとなく」読むしかなかったし、そのへんはごまかしながらやってきた。

それが、読むようになってからはその適当さ、あいまいさがだんだん消えてきて、さらに慣れるとスピードも加わってきた。英語の本を大量に読む人たちの英語力がずば抜けて高いのは、なんだ、こういうことだったのか、と思った。かなり重要な一面をこれまでないがしろにしていたのだとわかった。

Never too late to learn.

学ぶのに遅すぎることはない。「小さいころにやっておけば」とか「帰国子女はいいよな」とか簡単に言う人たちを見ると私はうんざりする。すべて、努力をしていない、いや、しようとしない自分への言い訳に過ぎないから。今何歳であっても関係ないです。すべては自分次第。

ありがとうとカルボナーラ

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